第123話 謝罪

 東京ライス国際病院、病室。

 俺とサマンサさんは、ソファで向かい合っていた。


「……すごいわね。たった半日で、世界の常識がひっくり返ったわ」


 サマンサさんがタブレットを見ながら、呆れたように笑う。

 画面には、ポーション価格の暴落と、バチカンへの批判記事が並んでいる。


「俺はただ、教科書を載せただけですよ」

「それが一番効くのよ。暴力には暴力で返せるけど、真実には誰も勝てない」


 その時、サマンサさんのスマホが鳴った。

 彼女は画面を見て眉をひそめ、すぐに通話ボタンを押した。


「……ええ。……はい。……彼に? 代わります」


 サマンサさんが俺にスマホを差し出す。

 口パクで『バチカン』と告げながら。


 どうやらアメリカ経由で俺に渡りをつけてきたらしい。

 俺はスマホを受け取り、耳に当てた。


「もしもし、柴田です」

『……初めまして、ミスター・シバタ。私はバチカン国務長官のピエトロと申します』


 聞こえてきたのは、落ち着いた、だが疲労の滲む老人の声だった。

 しかも流暢な日本語だ。

 これが外国語なら分からないと言ってサマンサさんに丸投げしようと思っていたのに、どうやらこの手は使えないようだ。


 それにこの電話の主は、朝の会見で喚き散らしていた枢機卿とは違う、理知的な響きがあった。


『この度は、我が国の一部過激派が、貴方様に多大なるご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます』


 開口一番の謝罪だった。

 どうやら、話が通じる相手が出てきたらしい。

 強硬派を切り捨てて、幕引きを図るつもりか。


「随分と態度が変わりましたね。数時間前まで、俺は悪魔扱いされていたはずですが」

『お恥ずかしい限りです。全ては、マキャベリ枢機卿の虚偽報告によるものでした。彼は既に更迭し、厳正なる処分を下しております』


 トカゲの尻尾切り。

 まあ、組織の自浄作用としては正しい反応なんだろう。

 切られた方はたまったものではないだろうが。


『ミスター・シバタ。我々は貴方様への異端認定を即時撤回いたします。

 また、今回の件に関する慰謝料として、ご希望の額をお支払いする用意があります。

 ですので……これ以上の追撃は、どうかご容赦願えないでしょうか』


 声が震えている。

 彼らは恐れているのだ。俺がこれ以上、隠し持っているかもしれない『神の秘密』を暴露することを。

 もちろん、公開したレシピ以外には何もないのだが、疑心暗鬼になっているのだろう。


 俺は少し考え、答えた。


「金はいりません」

『は……?』

「金で解決したとなれば、俺が金目当てで脅迫したことになりかねない。俺の要求は一つだけです」


 俺は窓の外、東京の空を見上げながら告げた。


「公式な会見を開き、俺達への謝罪と、異端認定の撤回を世界に向けて発表してください。

 全ては誤解だったと、貴方たちの口から訂正するんです。

 それが実行されるなら、俺はこの件を水に流します。これ以上の情報は——少なくとも今は出しません」


 電話の向こうで、長い沈黙があった。

 公式謝罪。それは宗教国家としてのプライドを泥にまみれさせる行為だ。

 だが、今の彼らに選択肢はない。


『……承知いたしました。数時間以内に、教皇庁より公式声明を発表いたします。

 ……神の、ご加護があらんことを』


 通話が切れた。

 俺はスマホをサマンサさんに返した。


「終わりました」

「金銭を要求しないなんて、貴方らしいわね」

「下手に金をもらうと、後で弱みになりますからね。それに、一番欲しいのは平穏ですから」


 俺は伸びをした。

 これで、本当に終わりだ。


 ◇


 その日の夕方。

 テレビのニュース速報が、バチカンの公式声明を伝えた。


 『日本の探索者ヒロユキ・シバタ氏に対する異端認定は、誤った情報に基づく誤解であった』

 『彼はポーション技術の発展に寄与した功労者であり、我々は深く謝罪する』


 苦渋に満ちたその声明は、俺の「悪魔」というレッテルを剥がし、代わりに「聖人セイント」としての認定を決定づけた。

 いらなさすぎる!!


「……やっと、帰れるな」

「うん!」


 俺と桜は、病院のロビーでサマンサさんとアリスちゃんに見送られていた。

 アリスちゃんは車椅子に乗っているが、その顔色は驚くほど良い。


「ヒロユキおじちゃん、サクラお姉ちゃん。ありがとう」

「元気でね、アリスちゃん。また会おう」


 もう普通におじさんと言われる年なんだと思うと、涙がちょちょぎれるぜ。

 そんな俺に、桜は生ぬるい微笑みをくれた。

 

 俺たちは手を振り、用意された車に乗り込む。

 目指すは羽田空港。そして、プライベートジェットで愛しの岡山だ。

 この短期間でまさか二度もプライベートジェットに乗ることになるとは思わなかった。


 車窓から流れる東京の景色を眺めながら、俺は大きく息を吐いた。

 今回の東京遠征。

 精霊を倒し、国家権力とコネを作り、宗教国家を屈服させ、世界経済をひっくり返した。


 何なら島根遠征から考えれば、もっと酷い。


 ……やりすぎた。

 絶対にやりすぎた。


「次はもっと、地味な冒険にしよう」

「えー? 私は楽しかったよ?」


 桜が無邪気に笑う。

 この笑顔が守れたなら、まあ、多少の苦労も悪くないか。


 俺たちを乗せた飛行機は、夕焼けに染まる空へと飛び立った。

 眼下には、俺が撒いた種によって、大きく変わり始めた世界が広がっていた。

 だが、それはもう俺の手を離れた話だ。


 今はただ、家のベッドで寝たい。

 切実に、そう願う俺だった。

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