第124話 世界は彼をどう見るのか【サマンサ】

 ——大西洋上空32,000フィート


 専用機エアフォースワンのキャビンは、異様なほど静かだった。

 予備機とはいえ、質は本機と同等だから当然ではある。


 振動は抑えられ、エンジン音も低く制御されている。

 だが、その静けさは決して安らぎを与えるものではない。むしろ、思考を否応なく深いところまで沈めていく、作戦会議前の静寂に近い。


 サマンサ・リードは、シートに身を預けたまま、タブレット端末に表示されたレポートを静かにスクロールしていた。

 画面に並ぶのは、つい数日前に発生した出来事の解析結果。

 衛星データ、街頭カメラ、そして現場に居合わせた工作員からの報告。それらをAIで統合した戦況図が、無機質に展開されている。


 日本、東京都の新宿。

 ダンジョン帰還直後の監視対象者に対する多段階襲撃。

 使用された武装、推定人員、交戦時間、被害規模――そして。


「……死者、ゼロ」


 思わず、声が漏れた。


 襲撃者はプロだ。それが明確に殺意をもって動いていた。

 使用されたのは魔改造された大型トラック、至近距離での魔導武器に対物魔導ライフル。殺意の塊のような波状攻撃。


 どれも、一般の探索者相手なら致死率が跳ね上がる手段だ。

 さらに都心のど真ん中という超過密都市での襲撃だ。通常なら相当数の巻き添え被害は避けられない。


 それにもかかわらず、死者はおろか、重傷者すら出ていない。

 それは奇跡ではない。

 もっと恐ろしい、完全なる制御コントロールだ。


 サマンサは、画面上の赤い点浩之を指先でなぞる。

 彼は襲撃を躱したのではない。

 流れ弾が誰にも当たらない射線を選び、破片が広がらない角度で衝撃を受け止め、周囲の群衆をパニックに陥らせない速度で事態を収拾した。


 つまりは、彼は自身が襲われながらも、周囲の人間にも気を配り、救っていたということだ。


「余裕という言葉が、ここまで当てはまるケースも珍しいわね……」


 サマンサは小さく息を吐き、別のウィンドウを開く。


 ——評価対象:柴田浩之。


 そこには、CIA、NSA、そして各国の情報機関が作成した浩之に関するプロファイルが並んでいる。

 

 【戦略的脅威度:測定不能】

 【単独行動時の戦闘力:測定不能】

 【精神的安定性:極めて高い】

 【敵対時リスク:敵対を推奨せず】


 どれも、慎重な言葉を選びながら、しかし結論だけは一致している。


 ——扱いを誤れば、世界が揺らぐ。


 だが、サマンサの目を引いたのは、別の項目だった。


 【思想・信条:未確定】

 【政治的野心:なし】

 【宗教的傾向:なし】


 そして、最も厄介な項目。


 【行動原理:極めて個人的かつ流動的】


「……本当に、厄介な人」


 権力を欲する独裁者なら、交渉の余地がある。

 金を欲する犯罪者なら、買収すればいい。

 神を信じる狂信者なら、教義を利用できる。


 だが、柴田浩之にはそれがない。

 彼はただ、平穏に暮らしたいと願い、手の届く範囲の大切な人を守るためだけに、世界そのものに匹敵する力を振るう。


 コントロールできない。

 予測もできない。

 国家という枠組みなど、彼の散歩コースにある小石程度の意味しか持たない。


 サマンサは自身が気づかないまま再びため息をつき、バチカンから届いた極秘電文に目をやった。

 公式声明として謝罪と訂正が出ており、表向きは事態の沈静化に成功している。

 しかし、文面からは枢機卿たちの脂汗が滲み出ているようだった。


「焦るのも無理はないわね」


 奇跡の独占が崩れる可能性。

 宗教的権威の根幹が揺らぐ恐怖。

 そして、神の奇跡を遠慮なく否定できる男の存在。


「……理解できないでしょう」


 彼らにとって奇跡とは、神の威光を示すための演出であり、管理された配給品だ。

 神の名の下に、選別し、与え、支配するもの。


 だが、柴田浩之は違う。

 それをバーゲンセールのようにばら撒き、しかも見返りを求めない。


 必要だから使った。

 救いたかったから戦った。

 それ以上でも、それ以下でもないからだ。


「——だから、嫌われ恐れられる」


 正義でも悪でもない存在は、常に“支配”を求める者たちにとって邪魔になる。

 サマンサは、ふと視線を落とし、別の写真を開いた。


 そこに映っていたのは、襲撃の際に撮影されていた一枚の静止画。

 戦闘後、桜を背に庇いながら、周囲を警戒する浩之の姿だった。


 表情は、どこにでもいる青年のそれだ。

 少し頼りなさげで、端から見る分にはどこにでもいそうな"普通"の男。

 正直、背に庇う可憐な少女と釣り合いが取れているかというと、誰もが疑問を浮かべるだろう。


 だが――。


「……守るために力を使う人」


 それは、サマンサ自身が最も信じたい“力のあり方”だった。

 誰かを陥れるわけではなく、誰かを支配するわけでもなく、ただ自分の周りの平穏を守ろうとするために力を振るう。


 だからこそ、彼女は自国アメリカの決断を英断だと評価している。


 ——彼を敵に回すな。

 ——利用しようとするな。

 ——囲い込めるなら囲い込め。

 ――無理なら、せめて最良の隣人であれ。


 国家としては、あまりにも弱く、甘い判断だ。

 だが、彼を前に選ぶ選択肢として最良であると、サマンサは思っていた。


 タブレットを閉じ、窓の外を見る。

 雲の切れ間から、夜明け前の淡い光が差し込み始めていた。


 世界は、確実に動き出している。

 宗教も、国家も、経済も、全てが彼を中心に回り始めている。


 だが――。


「それでも、彼は変わらないでしょうね」


 誰かに評価されようと、恐れられようと、崇められようと。

 彼はきっと、今日と同じように言うのだ。


 ――守りたいものがあるから。


 サマンサは、静かに目を閉じた。


 これは序章だ。

 “柴田浩之”という存在を、世界がどう扱うかを決めるための。


 そして同時に。

 世界が彼に試される物語の始まりでもあった。





———————— あとがき ————————


ちょっと短いですが、キリが良いのでここまでとします。

次は掲示板回です。

そして、次話で第4章は完結となります。

お読みいただきありがとうございました!

(おそらく)第5章もそのまま更新が続くと思います。

今後もよろしくお願いいたします。

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