第113話 涙とレシピ


「キリがないです! 本体を叩かないと!」


 水瀬さんが叫ぶが、彼女自身も数体のサハギンに囲まれ、身動きが取れなくなっている。

 いくら彼女が強くても、死なない敵を相手にし続ければ、いずれスタミナが尽きてしまう。


「桜! 水瀬さんの援護をするぞ!」

「で、でも、倒しても生き返っちゃうよ!?」

「倒さなくていい! 動きを封じるんだ! さっき水瀬さんに教わったことを思い出せ!」


 俺の言葉に、桜がハッとする。

 彼女はロッドを構え直し、深く息を吸い込んだ。


「定義の……書き換え……」


 桜の瞳に、強い光が宿る。


 水瀬さんの言葉——『物理法則すら溺れさせる絶対の理』。

 それを桜なりに解釈し、自分に落とし込んだんだろう。自信を宿した眼差しで、一つ頷いた。


「よし、俺が水瀬さんを離脱させる。その時にいくぞ」

「うんっ!」


 桜の返事と同時、俺は駆け抜け、数体のサハギンに対応を強いられる水瀬さんの横に並ぶ。

 そのまま水瀬さんを後ろに下げる勢いで、木刀で一閃。

 直撃を受けたサハギンだけでなく、振り切った剣跡が衝撃波となり周囲のサハギンも吹っ飛ぶ。


「水瀬さん、こっちに」

「はい!」


 一瞬できた空白の間。

 その間に俺たちはバックステップで離脱。

 サハギン達と距離が空く。


「桜!」

「うん、いきますっ!」


 桜がロッドを掲げると、湖の水が生き物のように盛り上がり、サハギンたちの頭上に襲いかかった。

 だが、それはただの水ではない。

 ドロリとした、水銀のような重さと粘度を持った「重水」の塊だ。


 数十トンの水圧が、サハギンたちを地面に叩きつける。

 彼らは再生し、抜け出そうともがくが、圧倒的な質量と圧力に押さえつけられ、指一本動かすことができない。


 水は彼らを包み込み、硬化し、脱出不可能な檻へと変貌した。

 以前桜が使った<アクア・バインド>とは比較にならないほど強固な檻だ。


「す、すごい……! これが、私の魔法……?」

「ナイス、桜!」

「お見事です、桜さん! これなら戦えます!」


 残るは、湖の中央に浮かぶ元凶のみ。


 精霊は、自らの親衛隊が無力化されたことにも動じず、ただ歌い続けている。

 その歌声がある限り、彼女自身の防御力も跳ね上がっているようだ。魔法障壁のような光の膜が、彼女の周囲を覆っているのが見える。


「柴田さん、あの障壁を破るには、私の最大出力の一撃が必要です。溜めを作る時間を稼いで貰っても良いですか?」


 独力で倒せないことが悔しいのか、水瀬さんが唇を噛む。

 彼女の言う通り、あの障壁は厄介だ。


 だが、俺の規格外のステータスなら、無理やり叩き割ることも容易だろう。

 今まで通り、力任せに振るえば、おそらく障壁ごと精霊を粉砕できる。


 ――でも、それでいいのか?


 俺は自問する。

 俺は、探索者としてはまだ赤ん坊のようなものだ。

 今は圧倒的な基礎ステータスという「貯金」だけで勝てているが、技術も経験も、水瀬さんたち本職には遠く及ばない。


 もし今後、ステータスだけでは通じない相手が現れたら?

 理不尽なギミックや、物理無効の敵が現れたら?

 その時、俺に「殴る」以外の引き出しがなかったら、俺は桜を守れるのか?


 ——試せ。まだ「余裕」があるうちに。


 これは油断でも怠慢でも、強者の傲慢でもない。

 むしろ逆だ。


 俺は怖いんだ。いつか来るかもしれない「詰み」の瞬間が。


 だからこそ、俺のような小心者は、安全マージンが確保できている今のうちに、一つでも多くの「戦い方」を学び、検証し、自分の血肉にしておかなければならない。


 今回のような「音」を操る敵。

 力押し以外の解法を試す、絶好の練習台チャンスだ。


「——いや、必要ないですよ」


 俺は思考を切り替え、木刀をだらりと下げたまま一歩前に出た。


「あの歌、耳障りでしょう? まずは黙ってもらいます」

「黙らせる? どうやって……」


 水瀬さんが怪訝な顔をする。 

 それに構わず、俺は 俺は右手を精霊の方へと向ける。


 やることは、さっきの指パッチンの応用。

 音とは空気の振動――すなわち「波」だ。

 そして「光」もまた、波の性質を持つ。多分。


 スキル【解析】をフル活用。

 俺の視界の中で、精霊の歌声が「波形データ」として可視化される。

 周波数、振幅、位相。すべてが数値として解き明かされていく。


「見えた」


 俺は、その波形と完全に逆の位相を持つ魔力パターンを構築する。

 ぶつけるのは、純粋な魔力の塊。

 名付けるなら——


逆位相干渉ノイズキャンセリング


 俺の掌から、目には見えない微細な光の波動が放たれた。

 それは攻撃魔法ではない。

 ただ、精霊の歌声という「波」に、正反対の「波」をぶつけて、プラスとマイナスでゼロにするだけの干渉波だ。


 唐突に、音が消えた。

 精霊の口は動いている。喉も震えている。

 だが、歌声だけが、俺の放った光の波に相殺され、中和され、虚空へと霧散していく。


 ――……!?


 絶対的な静寂が、湖を支配した。

 歌が聞こえなくなった瞬間、サハギンたちを包んでいた再生の光が消える。

 精霊自身も、何が起きたのか理解できず、パニックになったように翼をバタつかせている。


「な……音が、消えた……?」


 水瀬さんが唖然としている。

 別に真空にしたわけではないから、水音や自分たちの声は聞こえる。

 ただ、「精霊の歌声」だけが、世界から切り取られたように聞こえなくなったのだ。


「音も光も、所詮は波ですからね。打ち消し合う波をぶつければ、計算上はゼロになります」


 俺はニヒルに笑い——実際はどうかは分からないが、そのつもりで笑みを作り、木刀を構えた。

 格好つけているが、内心はドキドキだ。上手くいって良かったという安心感しかない。


 理屈は単純だが、刻一刻と変化する歌声に合わせて、リアルタイムで逆位相の波を生成し続けるのは、並大抵の演算能力では不可能だ。

 だが、今の俺にはできる。


「……終わらせましょう」


 俺は地面を蹴った。

 もはや縮地すら必要ない。

 俺は跳躍し、パニックに陥っている精霊の目の前へと肉薄した。


 彼女が恐怖に目を見開く。

 その顔は、美しい少女のものではなく、死を恐れるただの魔物のものだった。


 俺は木刀を振り抜き――精霊の身体の中央にある、コアらしきものを正確に打ち砕いた。

 ガラスが割れるような澄んだ音が響き渡る。


 精霊の体が内側から崩壊し、光の粒子となって霧散していく。

 断末魔の叫びすら、俺の干渉波に吸われて聞こえない。

 圧倒的な、沈黙の勝利。


 俺が着地すると同時に、干渉波を解除した。


「柴田さん! 大丈夫ですか!?」


 水瀬さんと桜が駆け寄ってくる。

 俺は二人に振り返り、Vサインをして見せた。


「我々の勝利ですね!」

「よ、よかったぁ……!」


 桜がへなへなと座り込む。

 水瀬さんは、俺と、消滅した精霊の痕跡を交互に見て、深くため息をついた。


「音波に対して、逆位相の魔力をぶつけて相殺する……なんて、理論上は可能かもしれませんが……人間にできる芸当ではありませんよ。

 貴方の魔力制御能力、一体どうなっているんですか……」

「はは、昔から計算だけは得意でして」


 俺は適当に誤魔化した。誤魔化し方が適当すぎる気がしないでもないが、まあ良いでしょう。


 湖の水面には、もう精霊の姿はない。

 『聖歌』によって無理矢理現世に生を繋ぎ止めていたサハギンたちも、主を失ったことで土塊へと戻り、崩れ去っていた。


 俺は精霊がいた場所――今は浅瀬のようになった岩場へと歩み寄る。

 そこには、二つのアイテムが残されていた。


 本来は、四種類のドロップアイテムがリストにはあったが、さすがに全種ドロップは水瀬さんの目がある以上できない。

 今回の依頼に関係ありそうなアイテムだけをドロップ対象にしておいた。


 まぁもともとネームドモンスターだったからドロップ率は高かったアイテムだ。

 二つ落としていても怪しくはないだろう。


 一つは、握り拳ほどの大きさの、透き通るような青い結晶石。

 内部で液体が揺らめいており、見ているだけで心が洗われるような清浄な気配を放っている。


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 【精霊の涙】

 

 最高純度の浄化触媒。あらゆる病を癒やし、生命力を活性化させる。


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「よし……!」


 間違いない。

 エリクサーの原料となる素材、あるいはこれ単体でもエリクサー級の効果を持つ秘宝だ。

 解析さんは、これだけで魔力欠乏性壊死は完治できるとお墨付きをくれている。


「水瀬さん、ドロップは本当に俺たちが貰っても?」

「ええ。その約束でしたので大丈夫です」


 ここに至る前に、その辺りはしっかりと約束しておいた。

 『回復』に関わるドロップは俺たちの取り分。それ以外の、特に戦闘時における火力に関わるドロップは水瀬さんの分というわけだ。


「じゃあ、ありがたく」

「はい。今回は、とても勉強になりましたので、私への報酬はそれで十分です」


 欲のない水瀬さんだった。俺とは大違いだ。

 俺はアイテムを拾い上げ、壊さないように慎重にザックのポケットへと入れる。

 水瀬さんの目がない時に、インベントリに収納しておこう。


 そして、もう一つ。

 古びた革表紙の本が落ちていた。


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 【聖女の薬草学書レシピ

 

 失われた古代のポーション調合技術が記された書物。


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 拾い上げ、パラパラとめくってみる。

 そこには、ダンジョンに自生するありふれた薬草を使った、驚くほど効率的なポーションの作成方法が記されていた。


 見る限り複雑な手順はないので、誰にでも作ることができそうだが……。

 ヤバいのは、おそらく現在市場にはほぼ出回らない——出回ったとしてもすぐに買われ消えていく、中級ポーションレベルの回復力は見込めそうなポーションだったことだ。


 これがあれば、市場がひっくり返ってしまうかもしれない。

 ……これはこれで、とんでもない爆弾を手に入れてしまった気がする。


 ともあれ、アリスちゃんを救う希望は手に入れた。

 あとは、これを持ち帰るだけだ。


 ふと、背筋に冷たいものを感じさせた。

 視線を、来た道――入り口の扉の方へと向ける。


 そこには誰もいない。

 だが、扉の向こう——そのさらに奥の方から、何か感じるものがあった。


「……どうやら、帰り道は遠足気分とはいかないようですね」


 俺が呟くと、水瀬さんも表情を引き締めた。

 彼女も気づいたようだ。


「ええ。不快な気配です。……血と暴力の気配」

「えっ? ええっ? どういう、こと?」


 桜が動揺して俺たちを順に見やる。

 安心させるように桜の頭にぽんと手を置き、新たなる敵が待つ地上への帰路を見据えた。

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