第110話 エースの剣閃
転移の光が収まると、そこは別世界だった。
湿った冷気。
古びたコンクリートと、錆びた鉄の匂い。
遠くで響く、鉄輪が軋むような不協和音。
転移した先は、薄暗い地下鉄のホームのような場所だった。
ただし、俺たちが知る地下鉄とは決定的に何かが違う。
線路は飴細工のようにひしゃげて途切れ、天井からは鍾乳石のようにコンクリート片が垂れ下がっている。壁には青白く発光する苔が繁茂し、それが唯一の照明となって、崩壊した都市の残骸を不気味に照らし出していた。
「ここが、25階層……『忘れられた地下鉄網』エリアです」
水瀬さんが、軽やかに歩き出す。
微かに生まれるその足音だけが、静寂の中に吸い込まれていく。
「ここから数百メートルほど線路に沿っていくと、すぐに次の階層への階段があります。ですが、目的地はそこからさらに十数キロほど先。朽ちた車両基地があり、その中に目的地へ通ずる扉があります」
なるほど。次の階層への階段がすぐにあるなら、こんな陰気なところでわざわざ奥に行こうとは思わないか。
そう考えると、ダンジョンには未発見な場所やモノが、まだ沢山ある気がしてきた。
「……寒いね」
桜が身震いをして、ローブの前を合わせた。
物理的な気温の低さだけではない。この場に満ちる澱んだ魔力が、肌を刺すように冷たいのだ。
俺はインベントリからこの前ゲットした【冷たき抱擁】を取り出し、桜に渡した。
「ほら、これ被ったらいいよ」
「あ、ありがとう、ひろくん」
ローブの上から桜が薄い半透明の布を羽織ると、ほっとした表情を見せる。
俺たちは水瀬さんの背中を追って、廃線となった線路の上を歩き出した。
枕木は朽ち果て、
しばらく無言で歩いていた桜が、ふと、独り言のように呟いた。
「……ダンジョンって、一体なんなんだろうね」
その声は、地下道の闇に溶けてしまいそうなほど心細げだった。
俺も、その問いには答えを持っていなかった。
突然現れ、世界を変え、そして今もこうして俺たちの日常を侵食している謎の存在。
ただの災害なのか、それとも神の試練なのか。それとも祝福か。
水瀬さんが足を止めず、背中越しに応えた。
「哲学的な問いですね」
「あ、いえ……! ただ、こんなふうに、私たちの世界にある地下鉄とそっくりな場所があったり、全然違う森があったり……。まるで、創作物の世界だなって思って」
「そうですね。ここはかつての地下鉄丸ノ内線によく似ています。ですが、構造は滅茶苦茶で、物理法則も歪んでいる」
水瀬さんはトンネルの奥を見据えながら、静かに語り出した。
「私の持論ですが……ダンジョンは『鏡』だと思っています」
「鏡、ですか?」
「ええ。人類の欲望、恐怖、そして進化の可能性を映し出す鏡。
私たちが文明を築けば、ダンジョンもそれを模倣し、より凶悪な形に変えて突きつけてくる。私たちが強くなれば、魔物もまた強くなる。
だからこそ、私たちはここで己自身と向き合い、試される。……私はそう信じて、剣を振るっています」
水瀬さんの言葉には、現場で戦い続けてきた者だけが持つ重みがあった。
彼女にとって、ダンジョン攻略は単なる任務ではなく、一種の求道行為なのかもしれない。
「鏡……」
桜がその言葉を噛み締めるように繰り返す。
水瀬さんの横顔は、薄暗い苔の光に照らされて、冷たくも美しかった。
その時。
前方の空間にいくつかの剣呑な気配を感じた。
それが正しかった証明するように、闇の奥に複数の赤い光が灯る。
ギギギ、ガガガ……。
金属が擦れ合うような、耳障りな駆動音。
獣の唸り声と、モーターの回転音が混ざり合ったような不快なノイズ。
「――おしゃべりはここまでのようですね。来ます」
自然と木刀の束に手が伸びた。同時に、水瀬さんが立ち止まり、流れるような動作で腰の刀に手をかける。
闇の中から飛び出してきたのは、全身が錆びた鉄屑で構成されたような、機械仕掛けの狼の群れだった。
——
新宿ダンジョン特有の、廃棄された機械部品と魔物の死骸が融合して生まれたかのようなモンスターだ。
口からはオイル混じりの涎を垂らし、歯車が剥き出しになった四肢で地面を削りながら迫ってくる。
数は六体。
動きは生物のそれよりも速く、不規則だ。
俺が木刀を構えようとすると、水瀬さんがそれを手で制した。
「柴田さん、桜さんは下がっていてください。
まずは……私の実力を確認していただきたいのです」
彼女の瞳には、獲物を前にした肉食獣のような、鋭い光が宿っていた。
エースとしての矜持。
そして、俺たちに「背中を預けられるか」を証明しようとする意思。
「分かりました。よろしくお願いします」
俺は桜を連れて数歩下がる。
言うが早いか、水瀬さんは疾走した。
速い。
強化スーツの身体能力向上機能もあるだろうが、それ以上に彼女自身の足運びが見事だ。
瓦礫だらけの足場をものともせず、滑るように敵の懐へと潜り込む。
抜刀。
その動きは、流れる水のように滑らかで、それでいて激流のように激しい。
「シッ!」
鋭い呼気と共に、銀色の斬撃が走る。
居合の一閃。
先頭の一体が反応する間もなく、鼻先から尾まで両断された。
断面から火花とオイルを撒き散らし、崩れ落ちる鉄屑。
残りの五体が、仲間の破壊に反応し、一斉に襲いかかる。
だが、水瀬さんは慌てない。
刃を返し、最小限の動きで牙を弾き、爪を躱し、カウンターの斬撃を叩き込んでいく。
舞うような剣技。
彼女の周囲に、見えない『結界』があるかのようだ。その領域に入った魔物は、例外なく解体されていく。
彼女の通った後には、活動を停止した鉄屑の山だけが残された。
戦闘時間、わずか十秒。
彼女は刀についた油を振るい落とし、涼しい顔で納刀した。
カチン、と鍔鳴りの音が静寂に戻った通路に響く。
息一つ乱れていない。
「……すごいです、水瀬さん! 全然見えなかった……!」
桜が目を輝かせて拍手する。
確かに、ランク一桁の実力は本物だ。無駄がない。いや、それどころか動きは参考になることばかりだ。
ステータス任せでしかない俺からすれば、しっかり技術として昇華している彼女の動きは勉強になった。
「……いかがでしたか、柴田さん?」
水瀬さんが、くるりと振り返り、試すような視線を俺に向けてきた。
「合格点をもらえますか?」と言いたげな、少し挑戦的な顔だ。
いやいや、技術の洗練さじゃ勝負にならないっす。
「完璧な剣技だと思います。無駄のない足運び、的確な急所攻撃。文句のつけようがありません」
とは言え、せっかくの機会だ。俺は顎に手を当て、彼女の今の動きを脳内で再生する。
向上した知力による記憶力は、彼女の指の先までの一挙一動だけでなく、体内を巡る魔力の流れすら鮮明にリピートできる。
それを解析を使いながらトレースすることで、一つ一つの動きの意味や効果がわかり、自身へのフィードバックが効果的に行われるというわけだ。
「ふふ、恐縮です。……ですが、貴方であれば何か気づいたことがあるのではないですか?」
水瀬さんは、何かを期待するかのように熱い眼差しを向けてくる。
「……ええ? そうですね、では、強いて言うなら、ですが」
俺は少し迷ってから、正直に指摘することにした。
彼女ほどの使い手なら、俺の感覚的なアドバイスでも、何かしらの向上に繋げてくれるはずだ。
全く的外れの意見だったら、その時はごめんなさいするだけだ。
「三体目を斬った時。右から左への切り返しの瞬間、コンマ数秒、魔力の伝達が遅れましたね?」
「えっ?」
「剣筋に魔力を乗せる際、肘のあたりで一瞬だけ『溜め』を作ってしまう癖がありますよね。
無意識に威力を上げようとして力んでいるのかもしれませんが、そのせいで魔力の循環が一瞬途切れてます。
あれを無くして、呼吸と同じリズムで循環させれば……きっと、今の倍は魔力が"奔る"と思います」
俺の言葉に、水瀬さんが目を見開き、自分の右肘をさすった。
「……見えて、いたのですか? あの乱戦の中で、体内魔力の微細な澱みを……?」
「まあ、なんとなく感覚ですけど」
実戦経験が薄い俺には、剣術の理屈は分からない。
だが、解析で感じた理想の動きとの「ズレ」は手に取るように分かるのだ。
水瀬さんは呆然と呟いた。
「……驚きました。師匠にも指摘されたことのない、自分でも気づいていなかった無自覚な癖でした。
ですが、言われてみれば、確かに……。
『感覚』だけでそこまで見抜くとは……やはり、貴方は底が知れない」
水瀬さんは悔しそうに、けれどそれ以上に嬉しそうに口元を緩めた。
どうやら、自分の伸びしろを見つけられたことが嬉しいらしい。根っからの武人だ。
「ご指導、ありがとうございます。
……さて、次は桜さんの番ですよ。見せてください、貴女の力を」
「は、はいっ!」
桜がビシッと背筋を伸ばす。
再び、通路の奥から駆動音が聞こえてきた。
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