第108話 対等な存在

 新宿セントラル・ゲートプラザ。 

 そこは、かつての新宿中央公園を改装した巨大な広場だ。

 広場全体がドーム状の透明な防護壁に覆われ、その中心に、地下へと続く近代的なエントランスゲートが鎮座している。


 ADAのカウンターが局所局所にあるだけでなく、職員が至る所に配置され、探索者に対応していた。

 広場のすぐ側にはADAの日本支部の本拠となるビルもあるようで、案内板が設置されている。


 ADAのビル内にダンジョンゲートがある岡山とは違い、新宿はゲートが一つの施設となっていた。

 

 広場には数え切れないほどの探索者が集まり、電子掲示板で情報を確認したり、タブレットを広げて作戦会議を行っている。中にはパーティー募集を大々的に行っている声もあった。

 まさに、現代の冒険者たちのベースキャンプだ。


 だが、そんな機能的で賑やかな空間の中に在って、そこだけ異質な静寂が広がっていた。

 広場の隅にある、モニュメントの前。

 誰も近づこうとしない、直径五メートルほどの『空白地帯』があった。


 その中心に、一人の女性が立っていた。


 まるで、喧騒から切り離された一枚の絵画のようだった。

 風に揺れる、青みがかった黒色の長髪。

 白磁の肌に纏うのは、防衛省の特務部隊に支給される、深い藍色を基調とした最新鋭の強化スーツだ。その上から薄手のローブを被っている。


 ローブから覗く、身体のラインにフィットしたその装束は、彼女のしなやかで均整の取れた肢体を際立たせつつも、一切の媚びを感じさせない機能美に溢れている。


 腰には、白銀の鞘に収められた一振りの日本刀。

 ただ立っているだけなのに、その周囲には冷気すら感じるほどの、研ぎ澄まされた気配が漂っていた。


 水瀬伊織。

 ランクエイト。【水月鏡姫ウンディーネ】。

 彼女がそこにいるだけで、新宿の猥雑な空気が浄化されていくようだ。


「……あ、いた……! 水瀬さんだ……!」


 桜が声を漏らす。

 その声には、純粋な感動と、憧れの人を前にした緊張が混じっていた。

 俺は苦笑しながら、桜の背中を軽く押した。


「行ってこいよ。会いたかったんだろ?」

「う、うん……! でも、緊張して足が……」

「大丈夫。俺も一緒だ」


 俺たちが近づくと、水瀬さんがゆっくりとこちらを向いた。

 その瞳は、深い湖の底のような、静謐な藍色をしていた。


「――お待ちしておりました、柴田さん」


 水瀬さんの声は、鈴を転がすように澄んでいながら、芯の通った響きを持っていた。

 彼女は俺を見ると、氷のような無表情をふわりと崩し、花が咲くような柔らかい笑みを浮かべた。


「お久しぶりです、水瀬さん。待たせてしまって申し訳ない」

「いえ、私も今着いたところです」


 彼女はクスクスと笑い、それから視線を俺の隣――ガチガチに緊張している桜へと移した。


「久しぶりですね、桜さん」


 水瀬さんが一歩、桜に近づく。

 桜は直立不動のまま、「は、はいっ!」と裏返った声で返事をした。


「ま、柾木桜です! お、お久しぶりです、水瀬さん! あ、あの、以前はご挨拶させていただいて……!」


 言葉も早口で、視線も泳いでいる。完全に「推し」を前にしたファンの反応だ。

 水瀬さんはそんな桜を愛おしそうに見つめ、優しく首を横に振った。


「そんなに畏まらなくても大丈夫です。お友達と思ってください」


 水瀬さんが、そっと手を差し出す。

 桜はおずおずと、その手を握り返した。


「……いい目をするようになりましたね」


 唐突な言葉に、桜がキョトンとする。

 水瀬さんは桜の手を包み込むように握りながら、真剣な眼差しで彼女を見据えた。


「以前お会いした時の貴女は、可愛らしい『お姫様』という印象でした。

 でも、今は違う。……その手、そしてその瞳。

 修羅場を潜り抜け、自分の意志でここに立っている者の光が宿っています」


 水瀬さんは桜の手を通し、身に纏う魔力の質を見抜いているんだろう。

 俺プロデュースによる桜魔改造計画は順調に進行中だ。

 探索者になったばかりとは言え、その潜在能力ポテンシャルは並の探索者よりも高い。


「私は未だ修行の徒にあるものですので、共に切磋できる者は望ましく思います」


 水瀬はニコリと笑い、強く手を握りしめた。


「ようこそ【トウキョウ・ラビリンス】へ。

 今日は柴田さんの対等な『相棒』として……貴女の実力も、見せていただけますか?」


 その言葉は、桜にとって何よりの賛辞だったに違いない。

 憧れの人に、守られる対象ではなく、共に戦う仲間として認められたのだ。


 桜の瞳に、涙が滲む。

 だが、彼女はそれを拭うことなく、力強く頷いた。


「はいっ! ……頑張ります! ひろくんの、そして水瀬さんの隣に立てるように!」


 桜の表情から、迷いや怯えが消え去った。

 そこにあるのは、一人の探索者としての覚悟。

 凜とした佇まいに、感動を覚える。


「ふふ、いい返事です。……それでは、参りましょうか」


 水瀬は満足そうに頷くと、俺の方に向き直った。

 その表情が、一瞬で『戦士』の顔に戻る。


「目的地のパスコードは解除申請済みです。これより向かうのは、第25階層の奥。

 ADAも把握していない、自衛隊だけの極秘ルートです」


 彼女は腰の刀に手をかけ、不敵な笑みを浮かべた。


「魔都の闇は深いです。……エスコート、お願いできますか? ランクワン」

「もちろんです。最高のツアーにしましょう」


 俺も不敵に笑い返す。

 桜も、気合を入れるようにロッドを握りしめた。


 俺たち三人は、広場の中心にあるゲートへと足を踏み入れた。

 目指すは地下深淵。

 洗練された都市の地下に眠る、迷宮ダンジョン


 長い一日は、まだ始まったばかりだ。

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