第107話 新宿特区
新幹線のグリーン車を降り、巨大なターミナル駅の改札を抜けた瞬間、俺たちの肌を撫でたのは、洗練された空調の風と、微かなオゾンの匂いだった。
東京、新宿。
かつて日本の経済と文化の中心地の一つと呼ばれたこの街は、十数年前の新宿ダンジョン発生を機に、その姿を劇的に進化させていた。
駅の東口を出た俺たちの目の前に広がっていたのは、SF映画の世界がそのまま現実になったかのような、近未来都市の威容だ。
青空を突き刺すように聳え立つ摩天楼群。そのガラス張りの壁面には、従来のLEDビジョンではなく、空中に投影される立体ホログラム広告が鮮やかに踊っている。
『株式会社ヘキサ・ゴン、ガレウス素材による魔造剣【ヒエダレウス】、本日解禁』
『
『求む。風魔法能力保持者、優遇』
目の前を、自動運転のEVタクシーと並んで、ダンジョン資源を運搬するための装甲輸送車が整然と列をなして走り去っていく。
時の都知事が主導した『新宿ダンジョン特区構想』。
ダンジョンを単なる災害と見なさず、新たな資源と技術の供給源として定義し、街全体を再設計した結果がこれだ。
魔導具と現代科学の
魔都、新宿特区。
それは無秩序な混沌ではなく、高度に管理された、世界最先端の「探索者特化型都市」だった。
「……うわぁ、すごいな! まるで未来に来たみたいだな!」
隣を歩く桜が、苦笑いを浮かべていた。
おそらく、ぽかんと口を開けて周囲を見回している俺に呆れているのだろう。
だが、仕方ないじゃないか。
東京なんて滅多に来ないし、テレビで見る光景が目の前に実際にあると、やっぱりウキウキわくわくしてしまう。
「もう、ひろくん。お上りさんみたいになってるよ!」
そう言う桜の服装は、少しカジュアルな探索用で纏められていた。白いパーカーにショートスカート、その下には黒のレギンス。上から薄手のローブを羽織り、フードを目深にかぶっている。
「テレビでは見たことあったけど、本物は全然違うなぁ、桜! おっ、あの街灯、浮いてるぞ!」
「うん、反重力ユニットの実験機だよ。岡山じゃまず見かけないけど、徐々に実用化しつつあるんだって」
「へぇー! あ、あっちの人はゴーグルみたいなのしてるぞ!」
「あれはARグラスだね。ダンジョンの混雑状況や、クエスト情報がリアルタイムで見えるらしいよ」
桜が苦笑しながら、俺の肩を軽く引き寄せた。
「もう、ひろくんのテンションの上がるポイントが分からないよ!」
行き交う人々の多くは探索者だが、彼らの装備もまた洗練されている。
無骨な鎧を着ている者は少なく、新素材の軽量プロテクタや、スーツのように仕立てられた魔導繊維の衣服を身に纏っている者が多い。
皆、スマートで、プロフェッショナルな空気を漂わせている。
格好良い……!
俺はいつものパーカーにジーンズ、局所を守る最低限のプロテクターという格好だが、なんだかみすぼらしい気がしてきたぞ。
ちょっと依頼が終わったら、買い物に行くのも良いかもしれない。
——だが。
その洗練された風景の裏には、常に「死」と隣り合わせの緊張感が張り付いているのも事実だ。
魔物がダンジョンの外に出てくることは基本的にはない。けれど、ゲートの向こう側は人知を超えた異界。
この街の美しさは、薄氷の上に成り立つ砂上の楼閣のような、危うい魅力を孕んでいた。
「待ち合わせ場所の『中央管理ゲート前』までは、ここから歩いて十分くらいだよ。このメインストリートを抜けていくのが良いみたい」
「おっけ! ……でも、人が多いから、はぐれちゃいそうだな」
「私から離れないでね」
「お、おう……」
なんだか今日は立場が逆転してしまっている気がする。
桜は結構東京に来ているみたいで、この騒然さにも平気な顔をしていた。この子、できる……!
水瀬さんとの待ち合わせは、連絡のあった昨日から一夜明けた今日、午前10時となっていた。
腕時計を見れば既に9時半だ。
桜主導の下、俺たちは整備された歩道を歩き出した。
通りの両側には、大手ギルドの拠点ビルや、高級魔導具店が立ち並んでいる。
ショーウィンドウには、宝石のように輝く魔石や、デザイン性の高い杖や剣が飾られており、物珍しさからついつい目がいってしまう。
その田舎者感が、この街では少し目立ってしまっていたらしい。
ふと、前方から四人組の男たちが歩いてくるのが見えた。
彼らも探索者のようだが、その装備は一級品だ。有名ブランドのロゴが入ったコンバットスーツに、手入れの行き届いた武器。
おそらく、それなりの大手ギルドに所属するランカーたちだろう。
自信に満ち溢れた態度で闊歩する彼らの視線が、俺の背後に隠れた桜に釘付けになった。
「お、可愛い子発見」
先頭の男――シルバーの髪を綺麗にセットした優男が、スマートな動作で足を止めた。
他の三人も、品定めするような目で桜を見ている。
「こんばんは、お嬢さん。観光かな? 新宿は初めて?」
男が爽やかな笑顔を浮かべて話しかけてくる。
一見紳士的だが、その瞳の奥には「自分たちが選ばれた人間である」という傲慢さが透けて見えた。
桜がビクッと体を震わせ、俺の服の裾をギュッと握りしめた。
「……急いでるんで。通してもらえますか」
俺は極力穏やかな口調で、しかし冷たく告げた。
男は俺と桜を一瞥すると、軽く眉を上げた。
「君、ガードが固いね。僕たちは『アーク・ライト』の第一部隊だ。これからラウンジで祝勝会をするんだけど、君たちもどうかな?
初心者みたいだし、この街の『歩き方』を教えてあげるよ」
男の目が、俺の腰にある剣――どこからどうみても何の変哲もない木刀――に向けられ、憐れむような色を帯びる。
今の俺は、傍から見れば、装備に金をかけられない田舎の探索者にしか見えないはずだ。
それが、彼らの優越感を刺激してしまったらしい。
「悪いけど、彼女は俺の連れだ。あんたらに教わることは何もない」
俺が断ると、男は呆れたように肩をすくめた。
「君じゃ彼女を守りきれないよ。新宿のダンジョンは甘くない。……ねえ、君もそう思うだろう?」
男が桜に手を伸ばそうとする。
強引ではないが、拒絶されることなど微塵も考えていない、慣れた手つきだ。
桜が小さく息を呑んだ、その時。
「……触らないでください」
桜が、毅然とした声で言った。
震えてはいる。緊張しているのだと思う。
だが、彼女は俺の背中から一歩踏み出し、フードを少し上げて男を真っ直ぐに見据えた。
「私は、この人と一緒にいるんです。あなたたちに用はありません」
男の動きが止まる。
予想外の拒絶に、貼り付けたような笑顔が凍りついた。
「……へえ。君、見かけによらず気が強いんだね」
男の目が笑わなくなる。プライドを傷つけられたエリート特有の、冷たい怒りが滲み出る。
男がさらに一歩踏み込もうとした瞬間――俺は無言で二人の間に割って入った。
「そこまでだ」
俺は静かに告げた。
殺気は出さない。威圧もしない。
ただ、底知れない『深淵』を覗き込むような、絶対的な隔絶感を、視線だけで伝える。
お前たちとは、生物としての格が違うのだと。
一瞬で背筋が凍るようなプレッシャーを、視線だけで伝える。
「っ……!?」
男が息を呑み、反射的に数歩後ずさった。
一瞬で血の気が引いた額には、冷や汗が浮かんでいるのが見える。
何が起きたのか理解できないまま、本能が警鐘を鳴らしたのだろう。
足がガクガクと震え始めたことに本人は気づいているのか。
「……リーダー、どうしたんすか?」
「い、いや……なんでもない。……行こう」
男は強張った顔でそう言うと、逃げるように早足で去っていった。
取り巻きたちは不思議そうな顔をしていたが、すぐにその後を追っていく。
嵐のような騒動が去り、周囲には再び新宿の洗練された喧騒が戻ってきた。
ただ、周囲で様子を伺っていた他の探索者たちの視線だけが、先ほどまでの侮りから、畏敬の念へと変わっていた。
「……ごめん、桜。怖かったか?」
「ううん……ありがとう、ひろくん」
桜がほっとしたように息を吐き、俺の腕にしがみついてくる。
その体温を感じて、俺はようやく胸の奥の冷たい怒りを鎮めた。
「でも、桜も偉かったぞ。あんな奴らに、ちゃんと言い返せるなんてな」
「ふふっ……だって、ひろくんが隣にいてくれるって、分かってたから」
桜がはにかむように笑う。
強くなったな、本当に。
昔から心の強さはあったが、今の彼女には、俺を信じる強さと、自分自身の足で立つ意思がよりあった。
「よし、行こうか。水瀬さんを待たせちゃ悪い」
俺たちは再び歩き出し、大通りを抜けた先にある広場――『新宿セントラル・ゲートプラザ』へと向かった。
———————— あとがき ————————
お読みいただき、ありがとうございます!
今後は、昼夕の一日2回投稿で投稿できれば良いなと思っています。
(各2,000字〜各3,000字で1日4,000〜6,000字投稿できれば…)
一気に投稿が良いのか、気軽に読めるよう2回に分けた方が良いのか迷い中です。
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