第106話 推しとの約束

 サマンサを見送った後、俺たちはリビングのローテーブルに向かい合って座っていた。

 テーブルの上には、俺のパソコンと桜のタブレット、そしてメモ用紙が散乱している。


 俺たちが引き受けた依頼――大統領の娘かつサマンサの姪っ子という強い属性持ちであるアリスちゃんを救うための神の霊薬エリクサー、あるいはそれに準ずるスキルかアーティファクトの捜索は、早くも難航していた。


「……ないなぁ」

「……うん、見つからないね」


 俺たちは同時にため息をついた。

 あれから数時間、ADAが一般公開しているデータベースはもちろん、探索者たちが書き込む匿名掲示板や、SNSの目撃情報までしらみつぶしに調べてみた。


 だが、めぼしい情報は皆無だ。


「【超回復ポーション】とか【聖女の滴】とか、噂レベルの話はいっぱいあるんだけど……どれも信憑性が低いし、場所も『どこかのダンジョンの深層』とか曖昧すぎるよ」

「『知り合いの知り合いが見た』とか、『海外の深層でドロップしたらしい』とかも結構あるなぁ」

「『運営が消した』……は、さすがに陰謀論だね。そもそも運営って何って感じだし」


 桜がタブレットの画面を指で弾きながら、困り顔で言う。

 俺も腕組みをして天井を仰いだ。


 俺のスキル【解析】は万能に近いが、万能ではない。

 目の前にあるものや、接触したことがあるもの、"存在"として見えるものの情報は詳細に読み取れる。

 だが、世界中に何百とあるダンジョンの、どこにあるかも分からないアイテムや魔物を、googloみたいに「検索」することはできないのだ。


「『魔素欠乏性壊死』の特効薬。原材料となりうるのは、聖属性の魔力を持つ特定の植物、高位の精霊が生成する結晶体……」

神の霊薬エリクサーの素材は、【エクストラハイポーション】に【精霊の涙】、それに【賢者の石】。どれも本当に存在してるのってレベルの話だよね」

「だよなぁ。一番可能性がありそうなのは、特効薬かエリクサーそのものをドロップする魔物を見つけることだけど……」


 俺は脳内の知識を反芻する。

 素材の「定義」は分かっている。だが、その「在り処」が分からない。

 魔物の姿、形、映像などがあれば、そこからドロップアイテムを確認できるが、存在を認識できないと解析はできない。


 世界は広い。全てのダンジョンの生態系が解明されているわけではないのだ。

 しかも俺たちが入手できる情報源は、あくまでも公式サイトやネットの浅い部分だけ。

 もし政府やADAが情報を非公開にしていたら、その情報があるということすら分からないわけだ。


「……手詰まりか?」

「諦めるのはまだ早いよ、ひろくん! ほら、ここにもう一つ、『奇跡の水が湧く泉』の噂が……あ、これただの詐欺サイトだ」


 桜がガクリと項垂れる。

 窓の外はすでに暗い。


 アリスちゃんのタイムリミットは刻一刻と迫っている。

 サマンサとの約束では、明日の夜には彼女が日本に到着する。それまでにめぼしい情報を掴んでおかないと、奥の手を使うしかなくなる。最悪それでも良いが、できれば安寧のために避けておきたい。


 小さな焦燥感がリビングの空気を重くしていた、その時だった。


 ブーッ、ブーッ、ブーッ。


 テーブルに置いていた俺のスマホが、無機質な振動音を立てた。

 画面には、登録した覚えのある名前が表示されている。


『水瀬伊織(防衛省)』


「……水瀬さん?」


 俺は思わず声を漏らした。

 その名前を聞いた瞬間、隣で項垂れていた桜がバッと顔を上げた。


「えっ!? 水瀬さんって……あの水瀬伊織さん?」

「ああ。前に光魔法のオーブ渡す時、連絡先を交換しただろ? あの水瀬さんだ」


 日本が誇るトップランカーの一人。防衛省に所属している、ランクエイトの水瀬伊織だ。

 俺が答えると、桜の瞳がキラキラと輝き出した。

 そうだった。桜はもともと水瀬の大ファンなのだ。

 以前会った時も、めちゃくちゃ舞い上がっていたのを思い出す。


「ど、どうしたんだろう? こんな夜に電話なんて……!」

「さあ。とりあえず出てみるよ」


 俺は桜の興奮っぷりに苦笑しながら、通話ボタンを押した。


「……もしもし、柴田です」

『夜分遅くに失礼します。防衛省の水瀬です。……お久しぶりです、柴田さん。それに桜さんも、お元気ですか?』


 電話の向こうから聞こえてきたのは、凛とした、けれどどこか弾んだ声だった。

 スピーカーモードにしていなかったが、地獄耳の桜には聞こえたらしく、彼女は俺の腕を掴んでコクコクと激しく頷いている。


「ええ、二人とも元気ですよ。水瀬さんも変わりないですか?」

『はい。……それで、突然の連絡で申し訳ないのですが。以前の約束、覚えていらっしゃいますか?』

「約束?」

『「いつか機会があれば、一緒に探索しましょう」と。……そのお話、まだ生きていますか?』


 ああ、そういえばそんな約束をしたか。

 てっきり社交辞令と思っていたけど、どうやら社交辞令で終わらせるつもりはなかったらしい。律儀である。

 桜がこれを楽しみにしていたことを思い出した。


 桜を見ると、「行くよね? 行くよね?」と期待に満ちた目で俺を見つめ——現状を思い出し、そんな余裕はないかとがっかりする百面相を忙しなく見せつけていた。


 確かに、今はタイミングが悪い。

 俺たちは一刻を争う物探しの真っ最中だ。のんびりコラボ配信みたいなことをしている余裕はない。


「ああ……その節はどうも。本当に光栄なお誘いなんですが……」


 俺は言葉を濁した。


「実は今、ちょっと立て込んでいまして。急ぎで探さなきゃいけないモノがあるんです。なので、落ち着いたらまた改めて――」


 断ろうとした、その時。

 ふと、閃いた。


 待てよ。

 水瀬さんは、防衛省特異領域対策局とかいう特務機関に所属するエリートだ。

 一般の探索者が立ち入れないような、未公開ダンジョンの最前線で戦っている。

 俺たちが必死にネットで探しても見つからない「高ランクの回復系モンスター」の情報も、彼女なら知っているんじゃないか?


「……いや、待ってください」


 俺は言葉を翻した。


『はい?』

「実は今、あるアイテムを探していまして。水瀬さんの『経験』と『情報網』をお借りできるなら、是非お願いしたいと思いまして」


 俺は賭けに出ることにした。

 もちろん、大統領の娘の話は伏せる。あくまで俺が個人的に探しているという体裁で。


「探しているのは、強力な回復能力を持つ魔物に関する情報です。場所は問いません。心当たりはありませんか?」


 電話の向こうで、数秒の沈黙が流れた。

 彼女が思考を巡らせている気配が伝わってくる。


『……強力な回復能力、ですか』


 水瀬さんの声のトーンが、少し低く、仕事モードのそれに切り替わった。


『なるほど。さすがは柴田さん。常に情報収集を怠らないその姿勢、常在戦場というわけですね。

 ……ええ。確かに、私の手元に一件、興味深い報告書があります』


 いえ、それは偶然です。

 だが、俺は思わず拳を握りしめた。


『先週、自衛隊のダンジョン演習中に発見されたばかりの未公開エリア。そこで、歌声と共に傷ついた魔物を癒やす、未知の精霊種が確認されています』

「場所は!?」

『一般には封鎖されている区域です。入るには、特級の許可証が必要になります』


 水瀬さんはそこで言葉を切り、少し楽しそうに、挑発するように続けた。


『私と一緒に来ていただけるなら、パスコードの解除くらいは融通できますよ。……いかがですか?』


 完全に足元を見られている。

 だが、これ以上の条件はない。

 それに、桜の楽しみにしていた約束も果たせる。一石二鳥だ。


「分かりました。俺で良ければ、同行させてもらいます。……場所は?」


 俺の問いかけに、水瀬さんは短く、けれど確信に満ちた声で告げた。


『こちらへ来られますか?』

「こちら?」

『ええ。人と欲と歪みが集積する、最大の魔窟』


 彼女の声が、不敵に響く。


『——新宿ダンジョンでお待ちしています』


 詳細は後で送ると残し、通話が切れる。

 すぐに水瀬さんからメッセージアプリで画像データが送られてきた。


 映っていたのは、ピントが合っていない上にブレてしまっているが、確かに魔物の姿だった。

 上半身は儚げな女性だが、下半身は存在せず、半透明な幽霊のように空中に浮遊している魔物だ。特徴的なのは背中に輝く六枚の翼だ。


 俺はスマホを握りしめたまま、大きく息を吐いた。


「……ひろくん、どうだった?」


 桜が心配そうに、でも期待を隠しきれない様子で聞いてくる。

 俺は彼女に向き直り、ニヤリと笑ってみせた。


「見つかったよ、桜。それに……憧れの水瀬さんと一緒に冒険できるぞ」

「えっ、本当!?」


 桜が飛び上がって喜ぶ。見つかったことに喜んでいるのか、水瀬さんと一緒にダンジョン探索できることが嬉しいのか。

 まぁ両方だろう。

 どちらにしても、その笑顔を見て、俺の肩の荷も少し軽くなった気がした。


「さあ、急いで準備だ。次の目的地は東京。新宿ダンジョンの隠しルートだ」


 俺たちの「休日」は終わりを告げた。

 待っているのは、魔都、新宿。

 そこで俺たちを待ち受けるのが、希望の光か、それとも深い闇か。

 いずれにせよ、行くしかない。

 俺は立ち上がり、旅支度を始めるためにインベントリを開いた。

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