第99話 規格外の掃除

「——ギョギョ、ギョェェェェェ!!」


 【次元を食らうものディメンション・イーター】が、無数の蛍光の目を不規則に明滅させながら咆哮した。

 それは空気の振動ではない。脳に直接響くような、不快なノイズだ。


 黒い粘液状の身体が脈打ち、そこから無数の触手が鞭のように射出された。

 速い。

 音速を超えている。だが、それ以上に厄介なのは、その性質だ。


 即座に光魔法の応用で、俺たちの周りに聖域となる結界を作る。

 展開した黄金色の光のドームが、俺たちを覆った直後だった。


 ジュッ、ジュジュッ……!


 触手が結界に触れた瞬間、嫌な音がした。

 物理的な衝撃ではない。光の壁が、触手が触れた部分から削り取られていく。

 まるで、熱したナイフでバターを撫でるように、防御魔法が浸食されていくのだ。


「うそ……魔力が、食われてる!?」


 桜が悲鳴を上げる。


「うん。物理も魔法も、触れた空間ごと削り取る能力らしいな」


 触手が掠めた地面の石畳は、砕けるのではなく、そこだけ丸く抉り取られて消失している。

 防御無視の空間切断攻撃。

 まともに食らえば、俺のステータスでもタダでは済まないかもしれない。いや、もしかしたら大丈夫かもしれない。でもまぁ無理に試す必要はないな。うん。


「……見た目も能力も、最悪だな」


 正直な感想だ。

 強い弱い以前に、触りたくない。


「ひ、ひろくん……あれ、近づいたらダメなやつだよね……」

「ああ。絶対に近接はしない」


「ギョェェェッ!」


 味を占めたのか、怪物がさらに触手の数を増やした。こちらを『獲物』と認識したらしい。

 数百、いや数千。

 黒い雨のような刺突が、全方位から俺たちを串刺しにしようと殺到する。


「来るぞ、桜。動くな」


 結界を桜だけに張り直した俺は、嫌々一歩前に出た。


 触手が迫る。

 木刀【天地無用】を構える。

 少し力を込める。おそらく桜からは俺の姿がブレたように見えるだろう。

 刹那、空間に無数の斬撃線が走った。


 小気味良い斬撃音が響いた瞬間、迫りくる数千の触手が、一瞬にして細切れに切断された。

 だが、切断面から黒い体液が飛び散り、石畳を溶かしていく。


「再生する……しかも、早くなってる?」


 切断された触手は、地面に落ちる前に霧散し、本体へと戻っていく。

 そして即座に新しい触手が生え、再生どころか増殖して襲いかかってくる。


 物理攻撃無効。魔法吸収。空間切断。

 なるほど。並の探索者なら絶望する相手だ。八岐大蛇が餌にされたのも頷ける。


「つまり――」


 俺は木刀についた黒い液体を振り払った。


「まとめて消すしかない、ってことだな」


 ただ、問題は近づけないってことだ。

 生理的に無理だ。あんなものに突っ込んで肉弾戦を挑むなんて、精神衛生上よろしくない。

 この後の温泉を最大限に楽しむためにも、汚れ仕事はスマートに終わらせるべきだ。


「ひろくん……!」


 桜が息を呑んだ。

 次元を食らうものが、空洞全体を覆うように広がる。

 まるで世界そのものを飲み込もうとしているかのようだ。


「桜。俺の背中に隠れて、耳を塞いでて」

「え?」

「更地にする」


 俺は木刀を正眼に構え、深く腰を落とした。

 深く息を吸い、魔力を解放する。


 体内で循環する魔力が、一気に木刀を握る手へと集束していく。

 空気が焦げ、空間が震える。


 イメージするのは、先ほど天狗を撃ち落とした「神の雷」。

 だが、今度は指先から放つ針のような一点集中ではない。

 この空間ごと、敵を塵一つ残さず消滅させる「奔流」だ。


 バチッ、バチチッ……!


 俺の全身から、金色の雷光が溢れ出す。

 あまりの魔力密度に、周囲の空間が悲鳴を上げ、重力が歪み始める。

 足元の石畳が粉砕され、小石が浮き上がった。


「ギョ……?」


 怪物が動きを止めた。

 本能的な恐怖を感じ取ったのか、無数の目が一斉に俺に焦点を合わせる。

 遅い。


「——消えろ」


 俺は木刀に、ありったけの雷撃を流し込んだ。

 刀身が耐えきれずに白熱し、プラズマを纏う。

 それを、一気に振り抜く。


 空間そのものをぶち叩く衝撃。


 世界が、白に染まった。

 音すら置き去りにする閃光の嵐。


 俺の木刀から放たれたのは、斬撃ではない。指向性を持った雷の津波だ。

 極限まで研ぎ澄まされた雷撃と、俺の腕力が生み出す衝撃波が融合し、前方の空間そのものを削り取る破壊の暴風となる。


「ギョ、ガアアアァァァァァァァ——ッ!?」


 次元を食らうものが、絶叫を上げた。

 だが、その声も一瞬で掻き消える。

 触手が、粘液が、核が。

 細胞の一片に至るまで、雷撃の奔流に飲み込まれ、蒸発していく。

 

 逃げ場はない。

 歪ませることも、吸収することもできない。


「悪いが——」


 吸収できる許容量キャパシティを遥かに超えたエネルギーを叩き込めば、器ごと壊れるだけだ。


「俺たちの休暇の邪魔だ。消えてくれ」


 ズズズズズズンッ……!!


 地下空洞全体が激しく揺れ、祭壇の後方にあった壁——いや、その奥の岩盤までもが消し飛び、巨大なトンネルが穿たれた。


 数秒後。

 光が収まり、静寂が訪れる。


 目の前にあったはずの異形の怪物は、影も形もなくなっていた。

 ただ、黒い塵がパラパラと舞っているだけだ。


「……ふぅ。ちょっとやり過ぎたか」


 俺は木刀を納め、軽く息を吐いた。

 祭壇は半壊し、後ろの壁には直径数十メートルの大穴が開いている。

 まあ、誤差の範囲だろう。きっと。多分。

 ……これ時間経過で直るよね?


「ひ、ひろくん……?」


 背後から、恐る恐る桜が顔を出す。

 その目は点になっていた。


「なに、今の……。魔法? それとも天変地異?」

「掃除だよ。ちょっと頑固な汚れだったから、高圧洗浄しただけだ」


 俺が肩をすくめると、桜は苦笑いを返してくる。


「……もう終わったん、だよね?」

「ああ。もう何もいない」


 桜は力が抜けたように俺にもたれかかった。


「よ、よかったぁ……。ほんと、気持ち悪かった……」

「同感だ」


 その時。

 空間に、あの無機質な音が響いた。


『——特殊固有個体【次元を食らうもの《ディメンション・イーター》】の撃破を確認』


 どこか、システムの声すらも震えているように聞こえたのは気のせいだろうか。


『エクストラ・ダンジョン攻略完了。特別報酬を付与します』


 俺の足元に、光り輝く宝箱が出現する。

 それと同時に——。


 ファンファーレのような鐘の音が『世界中に』降り注いだ。

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