第98話 招かれざる客
そして、ついにその場所にたどり着いた。
10階層への入り口。
そこには、これまでとは比較にならないほど巨大で、禍々しい門がそびえ立っていた。
黒曜石で作られた扉には、八つの頭を持つ大蛇の彫刻が施され、その目は赤い宝石で怪しく光っている。
扉の前には、魔法陣のような幾何学模様が床一面に描かれており、いかにもここが最深部であるとアピールしているようだった。
「……ここが、最下層なのかな?」
俺は足を止め、扉を見上げた。
【解析】スキルが告げている。この向こうに、このダンジョンの
「……すごく、嫌な感じがする」
桜が身震いをする。
「ねえ、ひろくん。ちょっと確認なんだけど……」
「ん? どうした?」
「今回の仕事って『調査依頼』だよね? ボスまで倒しちゃって大丈夫なの?
ほら、生態系の保護とか、ダンジョンの維持とか……」
桜が心配そうに尋ねてくる。
もっともな疑問だ。
だが、俺は首を横に振った。
「大丈夫みたいだよ。ダンジョンで
「えっ、そうなの?」
ダンジョンの
もっと言えば、ダンジョンを放置することで、そのダンジョンに存在する魔物達の氾濫——所謂スタンピード的な現象が起こることもない。
まぁ、知らない間にダンジョンは生まれているので、もし放置がスタンピードに繋がるなら、世界中は多発するスタンピードによって魔物まみれになっていただろうな。
また、
「それに『調査』ってのは、そのダンジョンの脅威度を正確に測ることも含まれてると思う。
ボスがどれくらい強いのか、実戦で確かめるのが一番手っ取り早い」
まあ、本音を言えば「せっかくなら
「よし。準備はいいか、桜。ここから先は俺も何が起こるか分からない。決して俺から離れるなよ」
「うん! いつでも行けるよ!」
桜が俺の背中にぴたりと張り付く。
俺は大きく息を吸い込み、巨大な扉に手をかけた。
ズズズズズ……ッ。
重低音と共に、黒曜石の扉が左右に開いていく。
中から、濃密な瘴気と、獣の臭いが吹き出してきた。
◇
扉の向こうは、広大な地下空洞だった。
野球場がすっぽり入るほどのドーム状の空間。
中央には、巨大な祭壇のような高台があり、その周囲を地下水脈が堀のように囲んでいる。
俺たちが足を踏み入れると、祭壇の上で「それ」が鎌首をもたげた。
「シャァァァァァァッ!!」
耳をつんざくような咆哮。
八つの頭、八つの尾を持つ、巨大な蛇。
その体は赤く爛れ、背中には杉や檜が生えているかのような苔むした質感がある。
日本神話における最強の怪物の一つ。
【
「うわっ、でっかい……!」
桜が圧倒される。
「身体の一部が透けてるな」
確かに迫力はあるが、その存在感はどこか希薄だ。尾の本数も足りないし、魔力の密度も伝説級にしては低い。
【解析】の結果も『八岐大蛇・未完成体(影)』と出ている。
このダンジョンはまだ生まれたばかりだから、主もまた、完全な姿ではないのか。
ということは、ダンジョンは時間とともに成長するということになるけど……。
まぁ、このダンジョンはあくまでも『っぽい』ダンジョンなだけで、これで完成しいる可能性も十分ある。
どちらにしろ。
「これなら大丈夫。俺が速攻で——」
俺が木刀を構えようとした、その時だった。
——ピシッ。
乾いた音が、空洞に響いた。
それは、ガラスに亀裂が入るような、硬質な音だった。
『——条件達成を確認』
突然、空洞全体に、機械的で無機質な声が響き渡った。
俺の脳内アナウンスではない。
空間そのものが喋っているような、全員の耳に届く声だ。
「えっ!? なに、今の声……?」
桜が周囲を見回す。
『ダンジョン【黄泉比良坂】の初回探索において、一度も帰還することなく最下層へ到達。
並びに、規定タイムを大幅に更新。
——暫定評価:SSS』
アナウンスは淡々と続く。
八岐大蛇の動きが止まった。まるで、時が止まったかのように硬直している。
『特殊固有個体を適用します。
「おいおい、なんかヤバそうなこと言ってるんだけど」
俺が身構えた瞬間。
八岐大蛇の頭上の空間に、赤黒い「亀裂」が走った。
バリバリバリッ!!
空間が物理的に引き裂かれ、その向こう側に広がる「虚無」が顔を覗かせる。
そこから、何かが這い出してきた。
それは、この神話的なダンジョンの雰囲気とはあまりにも不釣り合いな存在だった。
不定形の黒い粘液。
無数に瞬く、蛍光色の目。
鞭のようにのたうつ触手。
SF映画に出てくる宇宙生物か、あるいはクトゥルフ神話の邪神か。
【
「ギョエェェェェェ!!」
異形の怪物は、耳障りな金切り声を上げながら落下し——あろうことか、祭壇にいた八岐大蛇の上に覆いかかった。
「シャァッ!? ギ、ギャアアアアッ!?」
八岐大蛇が悲鳴を上げる。
だが、抵抗は一瞬だった。
黒い粘液が蛇の巨体を包み込み、触手が肉に食い込む。
ズズッ、ズルルッ……という咀嚼音と共に、神話の怪物はあっという間に「飲み込まれて」しまった。
後に残ったのは、ゲップをするように膨れ上がり、さらに巨大化した黒い肉塊だけ。
無数の目が、ギョロリと一斉に俺たちを向いた。
『
無慈悲なアナウンスが告げる。
「……なんか、予定と違うのが出たな」
俺は頬を引きつらせた。
日本神話の情緒もへったくれもない。
だが、コイツの魔力反応は、さっきのオロチとは桁が違う。本物の「化け物」だ。
「ひ、ひろくん……!」
桜が青ざめた顔で俺の袖を掴む。
「あれ、気持ち悪い! 生理的に無理! 絶対近づきたくない!」
恐怖よりも嫌悪感が勝っているようだ。まあ、分かる。あんなヌルヌルした触手に触られたら、精神的ダメージがでかい。
「同感だ。あんなのに触らせるわけにはいかないな」
俺は木刀を強く握りしめ、一歩前に出た。
せっかくの旅行だ。温泉が待っている。
こんな気色の悪い乱入者に、俺たちの休日を邪魔させてたまるか。
「桜、後ろで見てろ。
一撃で消し飛ばして、さっさと温泉に行こう」
「うん! 気をつけて!」
次元を食らうものが、俺たちを「餌」と認識し、触手を伸ばしてくる。
神話の地での、規格外の戦いが幕を開けた。
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