第95話 極寒

 階段を下りきると、世界が一変していた。


 4階層。

 そこは、一面の銀世界だった。


 天井からは雪が舞い落ち、地面は分厚い氷に覆われている。吐く息が白く染まる極寒の地。


「さ、寒っ……!」


 桜が身を震わせる。

 俺はすぐにインベントリから以前手に入れていた防寒用のマントを取り出し、桜にかけてやった。

 ついでに背中をさすって魔力を流し込み、体温を上げる。


「大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう。ひろくんは寒くないの?」

「俺? うん、魔力が高いから大丈夫だと思う」


 人間にはもともと恒常性ホメオスタシスという機能がある。体温を一定に保ったり、ウイルスを排除したりして、身体を『正常な状態』に戻そうとする力のことだ。


 魔力が向上することで、このホメオスタシスの『出力』と『許容範囲』が爆発的に拡張されるらしい。

 体内に高密度の魔力が循環していると、それが所謂、生体バリアの役割を果たすらようだ。


 たとえば、極寒の環境下なら、魔力が細胞一つ一つをコーティングして、熱エネルギーが逃げるのを物理的に遮断する。

 たとえば、猛毒が入ってきても、魔力がそれを『異物』として瞬時に認識して、細胞に取り込まれる前に分解・排出してしまうそうだ。


 つまり、魔力が高い人間は、『常に最強のエアコンと空気清浄機がついた防護服』を着ているような状態になる。

 だから、多少の寒暖差や毒なんて、身体が勝手に無効化してくれるというファンタジーが現実になっていた。


「うー……ずるい」

「桜も、普通に寒がってるだけど済んでるのはスゴいと思うぞ。ここ、多分こんな薄着では即死レベルの寒さだと思うわ」


 寒さの原因は、ただの気温だけではない。

 前方の吹雪の中から、ゆらりと白い影が現れた。

 白い着物を纏った、透き通るように肌の白い女。

 長い黒髪が風に乱れ、その隙間から覗く瞳は、凍りついた湖のように感情がない。

 『雪女』だ。


『……sjaishajhsa……』


 雪女が細い息を吐く。

 その吐息が空中で膨張し、猛吹雪となって俺たちに襲いかかった。

 視界が奪われ、体感温度が一気に氷点下へと叩き落とされる。


「ひろくん、来るよ!」

「ああ、見えてる!」


 俺は前に出て、木刀【天地無用】を構える。

 物理的な斬撃ではない。

 圧倒的な身体能力で木刀を振るうことで生じる「衝撃波」と「熱量」で、迫りくる寒気を吹き飛ばすのだ。


 空気が爆ぜる音と共に、俺たちの前方にあった吹雪が霧散する。

 雪女が驚いたように目を見開いた。


『……wfasakdosah……?』


 雪女が唖然とした表情を見せる。

 自慢の吹雪があっさり霧散したことへの驚きだろうか。


「桜、光だ!」

「うん! 任せて!」


 桜が杖を掲げる。


「<聖光弾ホーリー・バレット>!」


 桜の放った純白の光弾が、雪女を正確に捉えた。

 ジュワッ、と雪女の体が光に焼かれ、悲鳴を上げて後ずさる。


『キャアアアアッ!!』


 動きが止まった。

 その一瞬があれば、俺には十分だ。


「よっこらせっ!」


 俺は踏み込み、雪女を目掛けて木刀を突き出した。

 手加減はいらない。確実に仕留める。


 ドォン! という、木刀を振るっただけとは思えない衝撃音と共に、木刀の切っ先が雪女を粉砕する。

 雪女はガラス細工のようにひび割れ、いくつかのドロップ品を残し、キラキラとした氷の粒子となって砕け散った。


 事前に雪女を解析した結果判明したドロップリストがこれだ。


 ・氷の結晶 1 / 16

 ・雪女の着物 1 / 64

 ・【氷魔法 - 氷柱アイシクル】 1 / 256

 ・冷たき抱擁アイス・エンブレイス 1 / 512


 もちろん、全部ドロップさせた。

 氷の結晶と雪女の着物は、魔導具や防具の素材となるようだ。

 【氷魔法 - 氷柱アイシクル】は氷属性の制限魔法——魔術だな。


 注目すべきはドロップ率の低いレアなアーティファクトである【冷たき抱擁】だ。


「これを装備すると、氷属性の攻撃に耐性がつき、さらに寒さに対して自分の体温を適正に保つ結界が常時発動するらしいよ」

「えっ、すごい! じゃあ、もう寒くないってこと?」

「そういうことだ。ほら、着てみな」


 俺はさっきの防寒マントを外し、新しい薄青のマントを桜の肩にかけた。

 すると、マントがふわりと桜の体に馴染み、彼女の顔色がみるみる良くなっていく。


「わぁ……不思議。ひんやりしてるのに、寒くない。むしろ心地いいかも」

「似合ってるぞ。雪の妖精みたいだ」

「も、もう! すぐそういうこと言う!」


 桜が顔を赤くしてポカポカと俺の胸を叩く。

 【氷魔法 - 氷柱アイシクル】は、とりあえず俺が収納しておくことにした。桜は水魔法の派生で氷も扱えるから、特に必要ではない。


「これでこの階層の寒さ対策は万全だな。先へ進もう」


 俺たちは銀世界を、まるで春の野原を歩くように軽快に進んでいった。


 ◇


 5階層に下りると、今度は環境が嵐に変わった。


 暴風が吹き荒れる岩山。

 足場は悪く、一歩踏み外せば奈落の底へ落ちてしまいそうな断崖絶壁の道が続く。

 さらに、空からは強風に乗って翼を持つ魔物が襲来し、岩陰からは奇妙な鳴き声が響く。


 どことなく、岡山ダンジョンの6階層に似ている。ただ、風の暴力は桁違いだ。


「うわっ、風が強い! 飛ばされそう!」

「俺に掴まってろ! 足元に気をつけるんだ!」


 俺は桜の腰を支えながら、上空を睨んだ。

 黒い翼と長い鼻を持つ、山伏のような姿をした魔物。

 『天狗』だ。

 空を自在に飛び回り、手にした団扇うちわでカマイタチを飛ばしてくる。


「近接攻撃が届きにくいな……」


 俺は空を自在に飛び回る天狗に向かって、指先を向けた。

 今日覚えたばかりの、原始魔法【雷魔法】。

 さっきの『鬼火』戦では威力が強すぎて瞬殺してしまったが、今度はテストするのに良い相手だ。多分。


 イメージするのは、拡散する稲妻ではない。一点に収束し、万物を貫く「神の雷」だ。

 体内の魔力が、指先に圧縮されていく。

 チリチリと空気が焦げ、周囲の空間が歪むほどの高密度。


「——堕ちろ。<雷霆ケラウノス>」


 ドッォォォォォン!!

 発射音は、大砲よりも重く、落雷よりも鋭かった。


 俺の指先から放たれたのは、細く、しかし太陽のように眩い、純金の閃光。

 それは瞬きする時間すら与えず、音速を超えて空を駆け抜けた。


 天狗が回避運動を取ろうする猶予さえ与えない。

 閃光は天狗の胸板を正確に貫き、そのまま背後の雲さえも消し飛ばして彼方へと消えていった。


「——」


 断末魔すら上げる間もなく、天狗の身体が炭化し、黒い塊となって墜落してくる。

 ドサッ、と地面に落ちた時には、既に絶命していた。


「……うわ、貫通しちゃったか」


 俺は指先から立ち上る魔力の残滓を振って散らした。

 これも完全に、威力過剰オーバーキルだ。

 岩山に風穴が空いていないか心配になるレベルである。


 というか、探索者となりダンジョン探索を始めると、心の奥底に閉じ込めておいた厨二な病が湧き出てくるよな。

 なんだよ、雷霆ケラウノスって。


 素面じゃ絶対に恥ずかしくて言えない魔法名だ。でもこれが普通になってきてるんだよなぁ。俺も桜も、それに他の探索者達も。

 怖いわ、ダンジョン。


「すごい……! ひろくん、今の音が遅れて聞こえたよ! レールガンみたい!」

「ああ。物理耐性がある敵でも、これなら強制的にブチ抜けそうだな」


 魔法というよりは、魔力による質量兵器に近い手応えだった。

 絶対に人に使ってはいけなさそうな魔法を受けた天狗が、ドロップアイテムを残し光の粒子となって消えていく。

 こいつは二種類のアイテムしか残さないが、どちらも有用そうだ。


 一つ目は【天狗の下駄】。一本歯の高下駄だ。これを履くと、空中で一度だけジャンプができる「二段ジャンプ」が可能になるらしい。空中機動力が格段に上がる便利アイテムだ。

 ただ、下駄を履いて戦うという姿はダサそうだから、売却一択だな。


 もう一つが【風魔法 - 突風ガスト】。風属性の魔術スキルだ。これもそこまで必要とは思えないから売却かな。


「ひろくん、危ない!」


 桜の警告と共に、岩陰から何かが飛び出してきた。

 サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足、そして尾は蛇。

 日本の妖怪伝承に出てくるキメラ、『ぬえ』だ。


 不気味な鳴き声を上げながら、鋭い爪で俺の背中を引き裂こうとしてくる。


「させないっ! <アクア・バインド>!」


 桜が即座に魔法を放つ。

 空中に現れた水流が蛇のように鵺の四肢に絡みつき、その動きを拘束した。

 ナイスアシストだ。


「ヒョーヒョー!」


 鵺が不快な鳴き声を上げるが、水流の拘束は解けない。

 俺はその隙を見逃さず、鵺に木刀を叩き込む。


 バキバキと身体が破壊される手応え。鵺が痙攣し、動かなくなる。


 ドロップは【不気味な咆哮】というスキルオーブと【鵺の爪】だった。

 スキル【不気味な咆哮】は、広範囲の敵に恐怖状態(デバフ)を与えるスキルらしい。

 乱戦時に役立ちそうだが、俺の『殺気』だけで十分な気もする。まあ、売れば高値がつくだろう。

 【鵺の爪】は素材として使えるようだ。


「桜、ナイス判断だったぞ。あのタイミングで拘束魔法はなかなかできないと思う」

「えへへ、ひろくんの背中は私が守るんだから!」


 頼もしいパートナーだ。可愛い。

 俺たちは互いに背中を預け合いながら、荒れ狂う嵐の岩山を踏破していった。

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