第93話 神話の地
「柴田さん、柾木さん。
……大変申し上げにくいのですが、現在、岡山ダンジョンでの活動は推奨できません」
「え? どうしてですか? 何かトラブルでも?」
俺がいぶかしげに尋ねると、白雪さんは手元のリモコンを操作した。
壁のモニターに、現在のADA岡山支所のビル外観や、ダンジョンゲート前の受付スペースのライブ映像が映し出される。
そこは、異様な光景だった。
いつもの探索者たちの姿よりも、明らかに「異質な」集団が目立っている。
望遠レンズをつけたカメラを構えるマスコミ関係者。
スマホを片手にキョロキョロと獲物を探す、配信者らしき若者たち。
そして、一般人を装ってはいるが、鋭い眼光を隠しきれていないスーツ姿の外国人たち。
「現在、岡山ダンジョン周辺には、世界中から『ランクワン』目当ての人間が殺到しています。
彼らの目的は、あなた方への接触、勧誘、あるいは盗撮やスキャンダルの捏造……。
ADAとしても警備を強化し、露骨な不審者は排除していますが、一般の観光客や探索者を装われると手が出せません」
白雪さんがため息をつく。
「ゲート前はもちろん、ダンジョン内部の低層階でも、待ち伏せや尾行が横行している状況です。
とてもではありませんが、落ち着いて探索できる環境ではありません」
「うわぁ……」
俺と桜は顔をしかめた。
白雪さんはげっそりとした顔で「さらに」と別の資料を表示させた。
そこに映っていたのは、住宅街の航空写真と、赤い丸印がびっしりとついた地図。俺の家——拠点ではない、俺の自宅の方だ——の周辺図だった。
「こちら、柴田さん宅周辺の“最近二十四時間の、人の出入りの記録”です」
「うちの周りって、監視カメラとかありましたっけ?」
「ありますよ。“治安維持のために”という名目で、いろいろと」
白雪さんが淡々と言う。いつの間にか人の敷地周辺に沢山のカメラを設置する国家権力とダンジョン権力って、怖い。
「で、この赤丸は何?」
「不審な動きのある人物、車両、ドローン、マスコミと思しき機材の出入り。ざっくりマーキングしただけでも、これくらいは」
「多すぎません?」
画面いっぱいの赤丸を見て、思わず顔をしかめる。
一つや二つならまだしも、これは“蜂の巣”みたいになっている。
桜が、俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「ひろくん、これ……」
「うん、ちょっとした観光地だな、うち」
笑い事じゃないけど、もう笑うしかない。
「柴田さんがランクワンと判明した時点で、ある程度は覚悟していましたが……正直、ここまで露骨かつ堂々と諜報行為をするとは思っていませんでした」
「諜報行為?」
「ええ。諜報機関、軍、宗教団体、企業、ただの好奇心旺盛な配信者まで。柴田さんの家の半径数百メートルは、今や“世界の縮図”みたいな状態になっていますね」
俺はつい頭を抱えてしまった。
「家もここもこんな状態とは……。これじゃあ、まともにテストなんてできないな。というか、ゲートに行くだけで囲まれそう」
ここに来る時に、ADA関係者専門裏口から来てくださいと念を押されていた理由が、嫌と言うほど分かった。
せっかくの休日だというのに、パパラッチと鬼ごっこをするのは御免だ。
ストレス発散に行くはずが、ストレスを溜めて帰ってくる未来しか見えない。
俺が肩を落とすと、白雪さんが「そこで」と、いたずらっぽく笑顔を見せてきた。
まるで、最初からこの展開を予想していたかのように、新しい資料を提示してくる。
「少し、羽を伸ばされてはいかがですか?」
「羽を伸ばす?」
「はい。県外への遠征……いえ、実質的な『旅行』です」
差し出された資料には、荘厳な神社の写真と、薄暗い洞窟の入り口、そして美しい日本海と温泉宿の写真が並んでいた。
「場所は島根県、
規模は小さいものの、内部の魔素濃度からADAは『暫定ランクC』と認定しました」
「暫定?」
「ええ。ダンジョン誕生時に発生する"波"が不安定なままの状態のダンジョンが時折出てくるんです。
そういうダンジョンは測定された難度から急上昇する場合がありまして」
なんだか、イヤな予感がしてきたぞ。
これまでの俺達の状況から見ても、フラグにしか聞こえない。
そんな俺の疑惑の眼差しに気づいたのか、慌てて白雪さんが弁明する。
「い、いえいえ、余程のことがない限り大丈夫です!
それに、こういう不安定なダンジョンはドロップが良かったりと実入りも期待できますよ!」
「ふうん……出雲……神話の国か」
そういえば最近、大河原騒動で松江まで行ったなぁ。
せっかくの温泉街なのに、一度も温泉に入ることなく帰ってしまった。
今回は、ゆっくり温泉につかるのも良いかもしれない。
「ええ。このダンジョン、仮称『
「依頼? でも、先行調査ならADAの出番では?」
「ええ。本来、先行調査権を持つのはADA資源探査部なんですが、今回のダンジョンは、少々“特殊”でして。
先ほども申した通り不安定な原因にも繋がるんですが、古事記や日本神話に強くリンクした構造を持っている可能性が高いのです」
「神話系ダンジョン、ですか」
不安定なダンジョンは、こういう特殊なダンジョンになるらしい。
ほとんどの場合、何かをモチーフにしたダンジョンの形態になるようで、想定されたランクよりも実際は難度が高くなる傾向にあるようだ。
「はい。先日
白雪さんは、意味ありげに俺と桜を見た。
「ここなら、マスコミもスパイもいません。誰にも邪魔されず、お二人だけで、思う存分探索が可能です」
誰にも邪魔されず。
二人だけで。
その甘美な響きに、俺と桜は顔を見合わせた。
「……白雪さん」
桜が、はにかんだような笑顔を見せる。
「それって……ひろくんと、ふたりだけで旅行に行くってことで……」
「ええ。業務の一環として、堂々とラブラブしてきてください」
らぶらぶ……だと……!?
「……もしかして、泊まりがけですか?」
桜がおずおずと尋ねる。
「もちろんです。今日は土曜日ですから、最短で一泊二日の日程で。
宿泊先は、出雲市内の高級旅館『
「ろ、露天風呂……!」
桜の目が輝く。
「移動手段も、ADAが提携している民間航空会社のチャーター便をご用意します。
費用は全て、今回の『先行調査依頼費』として処理できますので、ご負担はありません。
……いかがでしょう? ランクワンとしての激務を癒やす、慰安旅行ということで」
ランクワンとしての激務とはなんぞや。と思うが、それがどうでも良いことに思えるくらい至れり尽くせりだな。
というより、ADAとしても、俺たちを岡山から一時的に逃がして、その間に周辺の掃除——スパイの排除などをしたいという意図があるのかもしれない。
それに、未解析ダンジョンのデータを取ってきてもらえるなら、安い出費ということか。
まさにWin-Winの提案だ。
「どうする、桜? 俺は……まあ、悪くない話だと思うけど」
俺が水を向けると、桜は少し顔を赤くして、でも力強く頷いた。
「い、行きたい!
出雲大社とかも行ってみたいし……その、ひろくんと、二人で……旅行なんて、初めてだし」
後半は消え入りそうな声だったが、その表情は期待に満ちている。
「決まりですね」
白雪さんがパンと手を叩き、ニッコリと微笑んだ。
「でも、ちゃんと報酬は頂きますよ?」
「もちろんです!
では、すぐに出発の手配をいたします。フライトは2時間後。岡山空港のVIPゲートへ向かってください。
お荷物は最小限で構いません。現地で必要なものは全てこちらで用意させますので」
こうして、俺たちの「出雲への逃避行」が唐突に決定した。
◇
一時間後。
岡山桃太郎空港。
普段は利用しない、関係者以外立ち入り禁止のVIP専用ゲートをくぐると、滑走路の端に一機の小型ジェット機が待機していた。
白く輝く流線型の美しいボディ。
俗にプライベートジェットと呼ばれる、富裕層向けのチャーター機だ。
「す、すごーい! これに乗るの!?」
桜が目を丸くして歓声を上げる。
「ひろくん、私たち、本当にお金持ちみたいだね!」
「まあ、今回は無料だけどな」
俺も内心ではドキドキしていたが、努めて冷静を装ってタラップを上がった。
ランクワンたるもの、いや、大人の男として、プライベートジェットくらいで動じてはいけない。そう自分に言い聞かせる。脚が震えているのは気のせいだ。
機内に入ると、そこは飛行機というより「空飛ぶラウンジ」だった。
座席は全席クリーム色の革張りソファ。足元は広々としており、ふかふかの絨毯が敷かれている。
木目の美しいテーブルに、バーカウンターまで完備。
乗客は俺と桜の二人だけ。
専属のCAさんが、恭しくおしぼりとウェルカムドリンクを持ってきてくれた。
「柴田様、柾木様。本日はご搭乗ありがとうございます。
出雲縁結び空港までは約40分のフライトとなります。短い空の旅ですが、どうぞおくつろぎください」
「あ、はい。ありがとうございます」
シャンパングラスに注がれたノンアルコールのスパークリングジュースで乾杯する。
キーンというエンジン音が響き、機体が動き出した。
窓の外、滑走路が後方へと流れていく。Gがかかり、ふわりと機体が浮き上がった。
眼下に岡山の街並みが小さくなっていく。俺たちの家も、あのダンジョンも、今は豆粒のようだ。
というか飛行機なんて鉄の塊がどうして空を飛ぶのか。
俺はいつ墜落するのかという恐怖でいっぱいだ。
まぁ、万一墜落したとしても、桜とCAさん、それにパイロットを救って脱出することくらい余裕でできそうだけど。
「……なんか、夢みたい」
桜が窓に額をくっつけて、遠くを見ながら呟く。
「ついこの前まで、お母さんのことどうしようって悩んでたのに。特別な飛行機で楽しく旅行なんて……。ひろくんのおかげだね」
桜が振り返り、優しく微笑んだ。
その笑顔に、胸の奥がキュッとなる。尊い。
「俺だけの力じゃないよ。桜がいてくれたから、頑張れたんだ」
「もう、すぐそうやって謙遜する」
桜がくすくすと笑う。
ダンジョンが現れ、俺が覚醒し、生活は激変した。
危険も増えたし、面倒ごとも山積みだ。
けれど、こうして桜と二人で笑い合えるなら、それも悪くないと思える。
「……ねえ、ひろくん」
「ん?」
「向こうに着いたら、旅館に泊まるんだよね?」
「ああ。白雪さんの話だと、離れの部屋らしいぞ。周りを気にしなくていいそうだ」
「は、離れ……」
桜が急にモジモジし始めた。
耳まで真っ赤になっている。視線が泳いでいる。
「そ、そっか。離れかぁ。お部屋に、お風呂ついてるのかな……露天風呂、とか」
「あるらしいぞ。資料に写真があった」
「そ、そっか…………一緒、なのかな?」
「ぶふっ!?」
俺は飲んでいたジュースを盛大に吹き出しそうになった。
なんとか飲み込み、咳き込む。
「い、いや! 部屋は一緒だろうけど、風呂は……どうだろうな!? まあ、着いてからのお楽しみってことで!」
「う、うん……!」
気まずいような、でも甘酸っぱいような沈黙が流れる。
やばい。意識しすぎた。
俺はランクワンで大人の男だぞ。いくつもの怪物を屠り、財閥の総帥を脅した男だぞ。
なんで女子大生との旅行ごときで、心臓が早鐘を打っているんだ。
いや、相手が桜だからこそ、か。
俺は深呼吸をして、窓の外に視線を逃がした。
雲海が広がっている。
その向こうには、神話の国——出雲が待っている。
新しいダンジョンと、二人きりの夜が。
◇
40分のフライトはあっという間だった。
出雲空港に到着すると、ADA島根支部の職員が出迎えてくれた。
用意された黒塗りのハイヤーに乗り込み、そのまま目的地へと向かう。
車窓から見える風景は、岡山のそれとは少し違っていた。
なだらかな山並み。古い社。田園風景の中に点在する鳥居。
そして、どこか厳かで、湿り気を帯びた空気。
神々が集う場所と言われるだけあって、土地そのものが濃密な魔力を帯びているような気配がする。
一時間ほど走っただろうか。
車は山間部の細い道を抜け、切り立った崖の下で止まった。
「到着しました。こちらが今回の調査対象、暫定名称『
職員の案内で車を降りる。
そこには、
周囲には結界のような杭が打たれ、ADAの簡易テントが設営されているが、人の気配は少ない。
裂け目の奥には、この世ならざる闇——異界へと通じるゲートが、赤黒い渦を巻いていた。
「『黄泉比良坂』……あの世とこの世の境界、か」
俺はその禍々しくも神秘的なゲートを見上げた。
通常のダンジョンとは違う、重苦しいプレッシャー。
死者の国への入り口とされる伝説の場所。
だが、俺の中の何かが、恐怖ではなく「未知への好奇心」と「宝の山」の予感を告げていた。
「行こう、ひろくん!」
桜が、いつもの探索者装備に着替えて駆け寄ってくる。
その顔に不安はない。俺への全幅の信頼と、冒険へのワクワク感だけがある。
「ああ。先行調査、開始だ」
俺たちは並んで、ゲートをくぐった。
神話の地で待ち受ける、新たな冒険と——そして甘い(はずの)夜へと、足を踏み入れた。
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