第87話 無力無力無力

 案内された部屋は、倉庫の外観からは想像もつかない別世界だった。

 最上階にある執務室。


 床は大理石。壁には名画が飾られ、天井からはクリスタルのシャンデリアが吊るされている。窓からは神戸港の夜景が一望でき、ここだけ切り取れば高級ホテルのスイートルームだ。


 だが、その煌びやかな空間は、濃密な殺意で満たされていた。

 部屋の周囲を取り囲むように、黒い戦闘服に身を包んだ男たちが二十名ほど展開している。


 手には最新鋭の魔導ライフル——ダンジョンで採集される素材を基に作られた新しい武器だ。銃口は全て、入り口に立つ俺に向けられていた。


 私兵団の中でも選りすぐりの精鋭なのだろう。一人ひとりの魔力密度が、下の階にいた連中とは桁が違う。


 部屋の中に進んだ俺を取り囲むように、入口もその私兵に塞がれる。


「ようこそ、ランクワン。汚い倉庫で悪かったね。ここなら少しは話もしやすいだろう?」


 部屋の中央、革張りのソファに深く腰掛けた獣哉が、ワイングラスを傾けながら笑った。

 その余裕は、周囲の戦力への絶対的な自信から来るものだろう。


「話、ねぇ。銃口を向けながらする話ってのは、あまり建設的じゃない気がするけど」


 俺は部屋の中央まで歩み寄り、獣哉と対峙する。


「ふふ。これはただの保険だよ。猛獣と対話するには、檻と麻酔銃が必要だろう? 単刀直入に言おう。柴田浩之、俺の部下になれ」


 獣哉は立ち上がり、両手を広げた。

 まるで、世界を分け与えてやるとでも言うように。


「お前の力は認める。蛇崩を倒したその腕、実に惜しい。だから、俺が飼ってやる。過去のことは水に流そう。金も、女も、名誉も、望むままに与えてやる。ADAなんぞに縛られる必要はない。俺の下につけば、法律さえもお前の味方になる」


「……条件は?」

「簡単だ。お前のその力と——希少なアイテムを入手する『何か』を、俺のために使え。俺が右と言えば右を向き、殺せと言えば殺す。

 そうすれば、お前を『人間』として扱ってやる」


 提案という名の、隷属の要求。

 こいつは本気で言っているのだ。自分に従うことが、相手にとって最大の幸福であると信じて疑っていない。


 救いようがないな。

 俺はため息をついて、首を横に振った。


「断る」


 短く、拒絶する。


「俺は誰かに飼われるつもりはないし、そもそもお前みたいな小者が飼い主とはへそで茶を沸かすわ」


 獣哉の眉がピクリと動く。

 貼り付けたような笑顔が消え、爬虫類のような冷徹な目が露わになった。

 グラスを持つ手に力が入り、指が白くなる。


「……小物、だと?

 この俺を、倶蓮牙の血を引く俺を、小物と言ったか?」

「ああ、言ったよ。

 親の七光りでイキってるだけのガキに、俺の家族を好きにさせない」

「……そうか。残念だ。交渉決裂だな」


 獣哉が、ワイングラスを床に投げ捨てた。パリンッとグラスが割れ、赤い飛沫が散る。それが、合図だった。


「なら、死んで詫びろ」


 二十挺の魔導ライフルが一斉に火を噴いた。

 ——轟ッ。

 マズルフラッシュが室内を埋め尽くす。


 青白い魔力弾が、雨あられと飛んでくる。空気が焼けるような匂い。銃声というよりは、雷鳴に近い轟音が室内に反響した。


 魔力を極限まで圧縮した弾丸は、戦車の装甲さえ紙のように貫く威力がある。それが雨あられと俺に降り注いだ。四方八方からの十字砲火。逃げ場などない。同士討ちさえ恐れない、完全に俺を確殺するための布陣だ。


 数秒間の乱射。

 床の大理石が砕け散り、土煙が舞い上がる。


「ふん……口だけの雑種が」


 獣哉が鼻を鳴らし、ソファに座り直そうとした。

 硝煙が晴れていく。


「——服が汚れたな」

「なっ……!?」


 獣哉が目を見開く。部下たちが、信じられないものを見る目で固まる。

 俺は、服についた埃を払いながら、そこに立っていた。

 完全に無傷だ。


 木刀を振るうまでもなかった。俺の【筋力】と【魔力】が、弾丸を「蚊に刺された程度」に軽減してしまったのだ。


「む、無傷……だと……?」

「化け物かよ……魔力障壁も張ってねぇのに……」

「おい、魔力弾だぞ!? 戦車だって貫通するんだぞ!?」


 俺は一歩踏み出す。

 カツン。

 靴の音が、やけに大きく響いた。

 部下たちが悲鳴を上げて後ずさる。恐怖が伝染していく。


「ま、待て! 撃て! 撃ち続けろ! 殺せぇぇぇッ!」


 獣哉が叫ぶ。


「ば、バケモンが……!」

「距離を取れ! 再装填——!」


 黒服たちが悲鳴を上げる。

 だが、もう遅い。


「今度は、こっちのターンだな」


 俺は一歩踏み出した。床が爆ぜるのと同時、部隊の中に飛び込む。

 俺は、一番近くにいた男を軽く突き飛ばす。それだけで、武装した大男がピンボールのように吹き飛び、壁に激突して気絶する。


 そのまま流れるように踏み込み、銃口を向けてきた男の銃身を、片手で掴む。

 鋼鉄製のライフルが、粘土細工のように握り潰される。男が悲鳴を上げる前に、足払いで転がす。払われた男の脚が変な方向を向いていたが気のせいだろう。


 すぐ隣にいた男の頭をクッションに、男の背後に飛び越える。直後、銃撃の雨が降り注ぐが、男の巨体がそれを全て受け止めてくれる。


 銃撃が止まるのを待つことはせず、弾の雨の中に飛び込む。

 俺に照準を合わせる前に、銃のストックを掴んで引き寄せ、男の胸元に膝蹴りを一発。空気が喉から抜けるような声を上げて、壁に叩きつけた。


 さらに、同時に撃とうとしていたところを、銃身を掴んで互いにぶつけ合わせる。金属同士が激しくぶつかり、一瞬で二人とも武器を失った。

 そのまま裏拳の風圧で三人まとめて吹き飛ばす。


 蹂躙。

 一方的な暴力。


 数十秒後。

 立っているのは、俺と獣哉だけになった。


 呻き声はあっても、立ち上がる気配はない。意識と戦意を……もしかしたら骨まで何本か、まとめてへし折ったのだ。


「……ッ、バカな……!

 俺の精鋭が……魔導装備で固めた部隊が、手も足も出ないだと……!?」


 獣哉が後ずさる。その顔からは余裕が消え、脂汗が滲んでいた。

 だが。


「……ふ」


 表情に余裕はないままだが、口元に笑いが戻る。


「ふははははははっ!」


 哄笑が執務室に響き渡った。


「素晴らしい! 完璧だ! これほどの『戦力』を、俺の手で制御できたらどれだけ愉快だろうな!」

「いやだから、飼いならされる気は——」

「まあ、いい」


 獣哉は立ち上がった。

 足元には、さっきまでの余裕とは別種の熱が宿っている。危険なものを前にした人間特有の、異様な興奮だ。


「ここまで見せつけられた以上、遊びは終わりだ。……見せてやるよ、俺の『牙』を」


 そう言って、獣哉は執務室の奥へと歩いていった。

 壁一面の本棚——の、中央。


 獣哉が本棚の中にある隠しパネルを操作する。ガゴン、と重い音がして、本棚が左右に割れた。

 その向こうに現れたのは、金属製の格納庫だった。重々しいロックが外れ、分厚い扉が開く。


 そこから現れたのは——高さ三メートルほどの巨大な人型兵器だった。


 鈍色に輝く重装甲。

 背部には巨大な魔導ジェネレーター。肩には攻城兵器みたいなキャノン。両腕には重機を思わせる大型の拳。胸部には、【王獣の牙】の紋章が誇らしげに刻まれている。


魔導動力炉搭載型強化外骨格マギア・フレーム——俺の特注品だ」


 獣哉の声が、妙に高揚していた。


 なんかファンタジーモノを読んでいたのに、突然未来SFロボットが出てきたような唐突感を感じる。だが、格好良い!


「探索者の身体能力を前提に設計した軍事用パワードスーツ! お前みたいなバケモノでも、これなら殴り殺せる!」


 獣哉がコックピットに滑り込む。

 さらに、懐から取り出したアンプル——蛍光色の液体が入った注射器を、躊躇なく自身の首筋に突き立てた。


「オォォォッ!!」


 獣哉が絶叫する。

 過魔素苔ハイマナ・モス——確か泡苔とかいう麻薬の濃縮液。

 魔力を強制的に暴走させ、リミッターを解除する劇薬だ。


 獣哉の体表を、紫色の筋が走った。血管が浮き出たように、手の甲や首筋に魔力の線が浮かび上がる。瞳孔が開き、目の奥がギラギラと輝き始めた。全身から青白い魔力が噴き出す。


 その魔力が機体とリンクし、パワードスーツの動力炉が唸りを上げて起動した。

 蒼い光が、スーツ全体を走るコンジットを駆け巡る。排気口から青い炎が噴き出した。


「力が……溢れるッ! 見えるぞ……魔力の流れが! 力が! 今の俺のスペックは、通常の十倍……いや、数十倍だ!」


 獣哉の声が、スピーカーを通して響く。

 薬の影響か、高揚しきった狂気じみた声だ。


 パワードスーツが、一歩踏み込んだ。

 床が沈む。黒い石に放射状の亀裂が走った。さっき俺が踏み込んだ時の数倍はある衝撃。


 なるほど。それなりに出力はあるようだ。


「お前がどれほど強かろうが、科学と魔術、そしてドーピングの結晶たるこの力の前には無力無力無力ゥッ!!」




——あとがき

長くなったので、一旦ここできります。

次話、決着!

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