第85話 牙の巣
跳躍した瞬間、岡山市の夜景は一枚の光の帯になり、視界の端で流れ去った。
静かな夜気が肺を刺す。
身体が空を裂くたび、鼓膜の奥で風が唸った。
目的地は——神戸港。
そこに辿り着くのに必要な時間は、わずか十数分だった。
神戸港の夜風は、潮の香りと微かな鉄錆の匂いを孕んでいた。
ポートタワーの赤い光が海面を揺らしているが、俺が目指す区画は、そんな観光地の喧騒から切り離された場所にある。
湾岸倉庫街。
その一角に、異様な威圧感を放つ巨大な倉庫があった。
外見は古びたトタン張りだが、入り口には最新鋭の生体認証ゲートが設置され、周囲には鋭い視線を持つ男たちが巡回している。
【王獣の牙】ギルドの本拠地——通称『牙の巣』だ。
俺は潮風に吹かれながら、堂々と正面ゲートへと歩いていた。
レイナとの待ち合わせ場所からそのまま来たため、服装は、黒のセットアップに白シャツ。
まるで夜のデートに行くような軽装だが、手にはインベントリから取り出した木刀——【天地無用】を握っていた。
「……止まれ」
ゲートの前に立つ二人の男が、行く手を阻んだ。
どちらも身長190センチはあろうかという巨漢だ。胸元にはギルドの紋章である「髑髏を噛む蛇」のバッジが輝いている。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。釣り場を探してるなら他所へ行け」
「招待状を持ってるんだけど?」
俺は内ポケットから、あの黒い封筒を取り出してひらつかせた。
男たちの目が、値踏みするように俺を見る。
「……そうか。お前が例の“ランクワン”か」
「ヒョロい優男じゃねぇか。本当にコイツが?」
男の一人が、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
その全身から、赤黒いオーラが立ち上る。——スキル発動の予兆だ。
「代表はお待ちだがよぉ……ボディチェックは必要だよなァ?」
男の腕が、ボコボコと膨れ上がった。
筋肉が岩のように硬化し、皮膚が鋼鉄の色に変質する。
瞬時に俺の【解析】が発動したスキルを明らかにした。
<剛腕硬化>。物理防御と攻撃力を同時に跳ね上げる、前衛の基本スキルのようだ。
もう一人の男も、指先から青白い炎を揺らめかせている。こっちは魔法使いか。<
「抵抗すんなよ? 骨の一本や二本、折れてから会うのも一興だろ」
丸太のような腕が、俺の顔面を掴もうと伸びてくる。
——遅い。止まって見える。
俺は、ため息一つ吐かずに、半歩だけ前に出た。
伸びてきた腕の内側に滑り込み、木刀の
ドプン。
水面に石を投げ込んだような、湿った音が体内で響いた。鋼鉄のように硬化していたはずの筋肉を、衝撃が透過する。
「が、はっ……!?」
巨漢の目が白黒し、泡を吹いて崩れ落ちた。
それを見た魔法使いが、慌てて炎を放とうとする。
「なっ、テメェ!」
「危ないな。火気厳禁だろ、ここは」
俺は木刀を振るう。
刀身が空気を切り裂き、生じた風圧だけで、男の手のひらにあった炎を吹き消した。
ついでに、その風圧で男自身も壁まで吹き飛んでいく。
ガシャン! とゲートに叩きつけられ、二人は動かなくなった。結構な勢いで巨体がぶつかったが、ゲートは無事のようだ。
「……さて。お邪魔します」
俺は気絶した男の懐からセキュリティカードを抜き取り、リーダーにかざした。
電子音が鳴り、重厚な扉が開く。
◇
倉庫の中は、外見からは想像もつかない空間が広がっていた。
天井まで吹き抜けになった広大なフロア。
床には真紅の絨毯が敷き詰められ、頭上にはシャンデリアが輝いている。壁際には高価そうな絵画や調度品が並び、まるで成金のパーティー会場だ。
だが、歓迎の拍手はない。あるのは、無数の殺気だ。
フロアには、三十人ほどの半グレ連中が待ち構えていた。全員が武装し、すでに臨戦態勢に入っている。
どうやら、「話し合い」をする気は最初からなかったらしい。
「ようこそ、英雄殿」
フロアの中央、大階段の下にいた男が、芝居がかった口調で言った。
手には二本の短剣。その刃には、紫色の毒々しい液体が滴っている。この連中のリーダー格だろう。
「ここが『牙の巣』だ。生きて出られると思うなよ」
男の合図と共に、四方八方からスキルが飛んでくる。
「<
「<
「<影縫い>!」
物理、魔法、状態異常。
多種多様な攻撃が、色彩の暴力となって俺に殺到する。
並の探索者なら、防ぐことも避けることもできず、ハチの巣になって終わりだ。
だが。
「……品がないな」
俺は一歩も動かず、木刀を一閃させた。
ただの横薙ぎ。
だが、その速度は音速を超え、その質量は暴風を生む。
俺を中心に発生した衝撃波が、迫りくる魔法も、礫も、影も、すべてを吹き飛ばした。
ガラス細工のように砕け散る魔法のエフェクト。
美しい光の粒子が、シャンデリアの光を受けてキラキラと舞う。
「なっ……魔法を、風圧で!?」
「バカな、魔力障壁もなしにかよ!?」
男たちが動揺する。
その一瞬の間。
爆風の中を切り裂いて、影が走った。
「隙ありィッ!!」
リーダー格の男だ。
部下の魔法が弾かれた混乱に乗じて、一気に間合いを詰めてきていた。
二本の短剣が、毒々しい色の軌跡を描いて俺の首筋へと迫る。
速い。
この中では一番のマシな動きだ。
「——遅い」
ただ、あくまでもマシなだけ。俺との格差は圧倒的だ。
俺は、踏み込んでくる男の懐へ、すれ違うように歩を進める。
短剣が空を切る。
交差する瞬間、俺は木刀を振ることすらしなかった。
ただ、すれ違いざまに、木刀の柄頭を男の顎に軽く「置いた」だけだ。
乾いた音が響く。それだけで、男の脳は揺さぶられ、意識が断たれた。
俺の背後で、リーダーだった男が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
二本の短剣が床に転がり、毒液が絨毯を焦がした。
一瞬。
瞬きする間もない決着。
「リーダーが一撃で!?」
「何が起きたんだ!?」
動揺が恐怖へと変わる。
だが、もう遅い。俺は床を蹴る。真紅の絨毯が、俺の踏み込みで波打った。
一人目。
男が剣を振り上げるより速く、木刀の峰で手首を叩く。
剣が宙を舞い、返しの刃で首筋を撫でる。俗に言う峰打ち……ってやつかもしれない。男は白目を剥いて崩れ落ちる。
二人目。
<
自らの速度で派手に転倒し、壁に激突。
三人目、四人目。
背後から<
影から飛び出してきた男が、ピンボールのように弾き飛ばされ、仲間の魔法使いを巻き込んで倒れる。
舞踏会だ。
俺はステップを踏むように、敵陣の中を駆け抜ける。
誰も俺を捉えられない。
スキルによる拘束も、魔法による追尾も、俺の単純な「速さ」と「強さ」の前では無意味だった。
一分も経たなかっただろう。
立っているのは、俺だけになっていた。
呻き声と、破壊された調度品の残骸だけが転がっている。
俺は乱れた前髪を手櫛で直し、木刀を肩に担いだ。
「……ふう」
先日のサンダー・ベル戦もそうだが、身体が『力』に順応していっているのが分かる。
先月までは喧嘩もしたことがなかった俺が、こんな修羅場に平気な顔で突っ込んでいけるのは、身体も心もダンジョンに順応していっているからかもしれない。
圧倒的なスペックをもつ身体を、どう動かせば良いかの『最適解』が自然と理解でき、それを誤差なく実行できる快感。
戦闘民族と戦闘好きを揶揄する言葉があるが、戦闘民族になる理由が少し分かる気がした。
その時。
ゾワリ、と首筋に寒気が走った。
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