第84話 密談と覚悟
夜の帳が下りた岡山市内。
繁華街の喧騒から少し離れた路地裏に、バー『アンカー』はあった。雑居ビルの二階にある小さなバーだ。
『ANCHOR』と描かれた表の看板は控えめで、知る人ぞ知る、という雰囲気を醸している。
重厚な木の扉を開けると、カランと乾いたベルの音が鳴る。
店内は照明が落とされ、ジャズが静かに流れていた。カウンター席といくつかの個室がある。
奥へ進むと、店主なのかバーテンダーが軽く一礼した。
「あちらへ。お連れ様がお待ちです」
俺が誰か分かったのか、すぐに案内してくれる。
店の一番奥、個室の扉を開けると、ソファ席に藤崎レイナが座っていた。
今日は探索者の装備ではなく、黒のシンプルなジャケットにデニムというラフな私服姿だった。髪も下ろしており、戦場で見せていた鋭さは、少し和らいでいるように見える。
テーブルには、すでに半分ほど空いたバーボンのボトルと、二つのグラス。
「すみません、待たせしました?」
「いや、私も今来たところだ」
俺は対面の席に座る。
レイナは無言で俺のグラスに琥珀色の液体を注いだ。
え? これ、俺も飲まないといけないパターンですか?
お酒にあまり興味が無いけど、なかなかに強そうなお酒ですが?
「……まずは、礼を言わせてくれ」
レイナがグラスを掲げる。
「あの時、アンタがいなければカズキも私も死んでいた。ギルド【テンペスト】としても、私個人としても、感謝している」
「いえいえ、仕事ですから。それに、あの場では共闘した仲間です」
軽くグラスを合わせる。
強い酒が喉を焼き、腹の底に落ちていく。
「それで、話というのは?」
「その前に、なぜそんなにかしこまる? ダンジョン内ではもっとフランクだったろう?」
「いや、それはあの場の雰囲気というか……」
まだ関係ができていない人相手に、ため口で喋れるほど俺は図太くいない。
が——。
「まぁ、確かに、そうですね……じゃあ、話って何かな?」
「ふふ、そっちの方が良いぞ。——単刀直入に言う」
レイナが身を乗り出し、声を潜めた。
「【王獣の牙】——
予想通りの名前が出た。
俺は表情を変えずに先を促す。
「カズキのバックにいる事務所、その大株主が倶蓮牙だ。今回の討伐失敗と動画流出で、奴らのメンツは丸潰れになった。特に、19階層の『裏事業』を潰された損害は計り知れないらしい」
裏事業。あの麻薬畑のことか。ふむふむなるほど。それなら確かにお怒りになるのも……。
いや、ちょっと待って。アレ潰したの俺じゃないよ。サンダー・ベルか、どちらかというとADAじゃないかな。
「奴らは手段を選ばない。金、権力、暴力、あらゆる手を使ってアンタを追い詰めるだろう。カズキのような『操り人形』とは違う。本物の『悪』だ」
「操り人形?」
俺が問うと、レイナは苦々しげにグラスを煽った。
「ああ。あいつの装備、活動資金、派手な広告費……それらは全て倶蓮牙の出資だ。だが、それだけじゃない。カズキは手癖が悪い。ファンに手を出してトラブルになったり、未成年飲酒や暴行沙汰を起こしたり……裏では何度も警察沙汰になりかけている」
レイナの目が、冷たく光る。
「それらを全て揉み消し、きれいな『アイドルの経歴』に書き換えているのが倶蓮牙だ。カズキは自分が才能ある『選ばれた英雄』だと思っているが、実際は倶蓮牙が作り上げ、守っている『
糸を一本切られれば、あいつはただの犯罪者予備軍のガキに戻る。……本人は、その首輪に気づいてすらいないがな」
「なるほど……裸の王様、というわけか」
「そういうことだ。だから奴らは、カズキを使い潰すことに躊躇はない。だが、今回はその『商品価値』すらアンタによって傷つけられた。……奴らは、損害を取り立てに来るぞ」
レイナの瞳には、真剣な懸念が宿っていた。
彼女は、俺の実力を認めている。それでも尚、倶蓮牙という組織を恐れているのだ。
「……随分と詳しいんだな。十宮のパーティーに入ってるだけじゃ、そこまで深い事情は分からないんじゃないか?」
俺が素朴な疑問を投げかけると、レイナは自嘲気味に笑い、グラスを揺らした。
「ああ。普通の探索者なら知る由もないだろうな。だが、私は違う。……私は昔、もっと汚い世界で生きていたんだ」
「汚い世界?」
「紛争地帯、スラム、裏社会……呼び方はなんでもいい。カズキの親父さんに拾われる前、私は生きるために何でもやった。情報の売り買いも、要人の警護も、時には汚れ仕事もな」
レイナの目に、暗い光が宿る。
彼女の纏う空気が、歴戦の探索者のそれから、もっと危険な「裏の住人」のものへと変わった気がした。
「その頃の
なるほど。
彼女が十宮のお守り役として抜擢された理由が分かった気がする。
単に腕が立つからだけじゃない。芸能界やギルド運営に巣食う「闇」に対処できる、裏の流儀を知る人間が必要だったんだろう。
「その情報網が告げているんだ。『倶蓮牙が本気で動き出した』とな。奴らは、アンタを社会的に抹殺するか、あるいは物理的に拘束して一生飼い殺しにするつもりだ」
「……なるほど。状況は理解した」
俺はグラスを置き、レイナの目を真っ直ぐに見た。
ここで確認しておかなければならないことがある。
「一つ、確認させてくれ」
「なんだ?」
「その動きは、【王獣の牙】ギルドの独断か? それとも、【倶蓮牙財閥】としての意思か?」
レイナがわずかに目を見開く。
俺の意図を探るように、少しの間沈黙が流れた。
「……いい質問だ。だが、答えは『両方』であり『違う』とも言える」
レイナは苦い顔で説明を続ける。
「今のところ、直接指示を出しているのは【王獣の牙】代表の獣哉だ。
奴は私怨と損得勘定で動いている。だが、獣哉は財閥の御曹司だ。奴が動く時、財閥の資金、弁護士、裏社会のコネクション……すべてが連動する。外から見れば、ギルドと財閥は一体だ」
「つまり、俺が獣哉を叩きのめしたとしても、終わらない?」
「ああ。むしろ悪化する」
レイナが頷く。
「獣哉がやられれば、今度は『財閥のメンツ』が傷ついたことになる。
そうなれば、父親である総帥が出てくるだろう。ギルド同士の喧嘩が、巨大組織との戦争に変わる。……もう、アンタ一人じゃ守りきれないぞ」
なるほど。
獣哉という「バカ息子」が暴れているうちはまだマシだが、そいつを排除すると、親玉である「組織」が本気で潰しにかかってくる。 暴力団の鉄砲玉を倒したら、組全体が出てくるようなものか。
だが、俺の中に浮かんだのは絶望ではなく、勝機だった。
(……逆に言えば、財閥本体が獣哉を『切り捨てたくなる』状況を作ればいいわけか)
財閥にとって、獣哉は可愛い息子かもしれないが、組織の存続を脅かす爆弾になれば話は別だ。ましてや、獣哉は野心家だ。ただ親に従順なだけじゃないだろう。
——叩けば、埃が出るはずだ。
「……実は、【王獣の牙】の副代表だと名乗った男から、昼間に接触があったよ」
俺はポケットから、例の黒い封筒を取り出してテーブルに置いた。金の箔押しが、薄暗い店内で鈍く光る。
「なっ……
レイナが目を見開く。
「うん、そう名乗っていたね。『腹を割って話がしたい』そうだ。場所は、神戸の港湾倉庫」
会いたいならお前が来いよ、と思う。
なぜにわざわざ俺が神戸まで行かないといけないのか。
「……罠だ」
レイナが吐き捨てるように言った。
「『話し合い』なんて建前だ。行けば囲まれて、二度と出てこられない。私の情報でも、神戸に手練れが集結しているという話が入っている」
レイナは悔しげに唇を噛む。
「ADAに報告しろ。ダテなら動く。政府も、ランクワンを守るためなら財閥と全面戦争も辞さないはずだ」
それが、正攻法だろう。
だが、それでは「戦争」になってしまう。俺の日常が壊れる。
「……断る」
俺の答えに、レイナが絶句した。
「は? 正気か? さっき言っただろ、相手は財閥だぞ!」
「だからこそ、だ」
俺はグラスを揺らした。中の氷がからん、と音を立てる。
「ADAや警察が動けば、事態は長引く。裁判だの証拠だのとやっている間に、奴らは裏で動く。俺の周り——桜や、家族を狙ってな。必要なのは、完全な不可侵条約だ」
俺は静かに告げる。
「『柴田浩之には手を出してはいけない』『関われば組織が崩壊する』と、骨の髄まで理解させる。痛みではなく、損得勘定で『撤退』を選ばせる。そのためには——ADAの手を借りるわけにはいかない」
レイナが息を呑む。
「……アンタ、何をしようとしてるんだ?」
「簡単なことだよ。向こうが俺を『道具』扱いするなら、俺は向こうを『排除すべき障害』として処理するだけだ」
俺は封筒を指で弾いた。
「招待状は受け取る。敵の本丸に乗り込んで、二度と手出しできないように分からせてやる。——ギルドも、財閥も、まとめてね」
「……ハッ。狂ってるな」
レイナが、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに笑った。
「カズキとは大違いだ。……いや、比べるのも失礼か」
レイナは「ちょっと待て」と言い、懐からメモとペンを取り出した。その場でサラサラと書き込む。
「これは?」
「招待状の場所——『牙の巣』の詳細な見取り図だ。以前、カズキの護衛で……いや、倶蓮牙との『裏取引』の現場に立ち会わされた時に、癖で調べておいた」
それは、貴重な情報だった。
敵地に乗り込む上で、これ以上ない手土産だ。
彼女の「裏のスキル」が、ここで活きている。
「いいのか? これ、バレたらレイナもタダじゃ済まないと思うぞ」
「構わん。どうせ、今回の件で【テンペスト】も見限るつもりだったしな。あんな腐った連中の犬になるために、泥水をすすって生きてきたわけじゃない。それに、きっとお前がそうさせないだろう?」
レイナはグラスの酒を一気に煽った。
「これは、命を救われた礼だ。……それと、もし私がフリーになったら、その時はまた一杯付き合ってくれ」
「ああ。喜んで」
俺はメモを受け取り、ポケットにしまった。
「ちょっと予定が入ったから、帰る。誘ってくれたのに申し訳ない」
「気にするな……。ヒロユキ、気をつけろよ」
「ああ、大丈夫だ」
店を出ると、夜風が火照った頬に心地よかった。
空を見上げる。月は見えないが、星がいくつか瞬いていた。
——さて、やるか。
俺のチート能力をフル活用すれば、財閥一つ潰すくらい、わけはない。
獣哉の自己中心的な行為の代償を、思い知らせてやる。
俺はスマホを取り出し、桜にメッセージを送った。
『今日はお疲れ様。また明日な』
きっと今頃は家族で晩餐を楽しんでいるだろう。自分が狙われていることも、大きな魔の手が迫っていることも知らない。
それを永遠に知らないでいいようにするために、今夜は少しだけ、夜の住人になろうと思う。
俺はスマホのナビで、レイナに貰った住所を調べた。
「あっちだな」
跳躍。雑居ビルの屋上に降り立つと、ナビで方角を確認。
そっちに向かって一直線に走り抜く。コンクリートを踏み抜いた音が、戦いの狼煙のように響いた。
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