第83話 晴れ舞台と招かれざる客

 出かける準備を整えリビングに降りると、桜が全身鏡の前で最終チェックをしていた。


 チャコールグレーのタイトなスカートスーツ。スカート丈は膝下で落ち着いているのに、不思議と華やかだ。細くすらっとした長い脚がストッキングに包まれていた。


 インナーはフリルのついた白いブラウス。高校の制服とは違う、大人の装い。

 けど、その表情は少し緊張していて、そこがまた初々しくて可愛らしかった。尊い。


「……どうかな? 変じゃない?」


 俺に気づいた桜が、くるりと振り返る。


「変じゃないどころか……反則だ」

「へ、反則?」

「反則級に綺麗ってことだよ」

「もう、からかわないでよぉ」


 桜が真っ赤になって、はにかむ。

 俺のスキルでステータスを上げてからというもの、彼女の存在感は増すばかりだ。


 ただ立っているだけで、周囲の空気が浄化されるような清潔感と、華がある。

 俺にだけ見えるステータス。筋力や魔力といった様々なパラメータは、力だけでなく肌の艶や張り、髪の毛のキューティクルなど、見た目にも影響を与えているようだ。


 もともと童顔だった俺が、さらに若く見られるようになったのも、それのせいなんだろう。人としてのベストな時期の身体に再構築していくんだろうか。


「じゃあ、お父さん達との待ち合わせ場所まで送っていくよ」

「うん、お願いします!」


 俺たちはガレージへ向かい、車に乗り込んだ。

 本来なら入学式会場まで送っていきたいところだが、今の俺が公の場に出ればパニックになると思う。


 マスコミも野次馬も、俺の姿を探して血眼になっているからだ。

 桜の両親によると、桜の家までマスコミが来ているようだからタチが悪い。

 だから、桜は会場近くでご両親と合流し、俺はそこから離脱する手筈になっていた。


「桜っ! 無事でよかった!」


 待ち合わせ場所のホテル前に車を停めると、桜の母親——椿さんが小走りで駆けてきた。

 そして父親も後ろから現れる。


「……浩之くん。本当にありがとう」

「いえ、こちらこそ。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」

「いや、きみのせいじゃないさ。桜の可憐さなら、いつかこうなると思っていた」


 ……ええ、そうですね。

 お父さん——月遙さんの突然の親バカ発言に、ついジト目になってしまった。だが、言っていることは全くもって真実なので仕方がない。


 桜たち家族の間にあたたかい空気が流れた。俺は距離をとって、車に戻ろうとした。


「ひろくん!」


 桜が振り返り、軽く手を振る。


「行ってくるね!」

「行ってらっしゃい。楽しんでおいで」

「うん!」


 桜は何度も振り返り、手を振ってくる。それを月遙さんと椿さんが、眩しそうに見守っている。

 幸せそうな光景だ。


 俺は少しだけ目を細め、桜たちが見えなくなるまで見送り、車に戻った。


 ◇


 数十分後。

 俺は、大学のキャンパスを一望できる雑居ビルの屋上にいた。ここなら、誰にも見つからずに様子を見守れる。


 正直俺が注目を浴びることは予想していたし、覚悟していた。予想外だったのは、桜だ。

 今朝のニュースを見て改めて感じたが、桜は可愛すぎる。いや、惚気とかなしに、純然たる事実として、だ。


 きっと今回の動画を視て、桜に恋したやつは全世界に何億といそうだし、『よからぬ手』が伸びる可能性もゼロではない。


 だから俺は——。


 手すりに寄りかかり、眼下を見下ろす。屋上への出入り口は厳重にロックされていたので、しばらく出入りはなさそうだった。手すりにもほこりがこびりついている。


 大学の正門付近には、「入学式」の看板の前で写真を撮る新入生と保護者たちで溢れかえっていた。


 高校だろうと大学だろうと、やることはそう変わらないようだ。

 距離は数百メートルある。

 普通の視力なら、豆粒のようにしか見えないだろう。


 だが、今の俺には関係ない。

 意識を集中する。

 視界がズームレンズのように絞り込まれ、雑踏の中の会話すら、指向性マイクを通したように鮮明に拾える。


 桜を見つけるのは簡単だった。

 群衆の中で、そこだけ光が当たっているかのように目立っていたからだ。


「……うわ、あの子かわいくね?」

「どこのモデル? 芸能人?」

「いや、スーツだし新入生だろ。マジかよ」

「レベル高すぎ……声かけようぜ」

「やめとけ。爆死する未来しか見えない」


 男子学生たちのざわめきが聞こえてくる。

 女子たちからも、


「綺麗……」

「ヤバすぎ」


 と羨望の眼差しが向けられていた。

 桜は、両親に挟まれて記念撮影をしている。

 満開の桜の木の下で、桜が笑う。

 その笑顔を見て、俺は口元が緩むのを止められなかった。


「……人気者だな」


 少しだけ、胸の奥がちくりとする。

 俺のいない新しい世界で、彼女はどんどん輝いていく。そこに俺は行けないことが、寂しいと感じてしまう。


 でも、それでいいんだろう。

 桜には、普通の幸せも、特別な未来も、両方掴み取ってほしい。


 俺はビルの入口にあった自販機で買ってきた缶ジュースの蓋を開け、ひと口飲んだ。甘味が、少しだけ感傷を和らげてくれる。


 その時だ。

 俺の背後。


 誰もいないはずの屋上の入り口付近から、気配がした。

 いや、「気配がした」というのは正確じゃない。


 最初から「いた」のに、俺の脳がそれを「いないもの」として処理していたような、奇妙な感覚。

 距離、五メートル。


 俺のパーソナルスペースに、何者かが侵入している。俺のパーソナルスペースは広いのだ。あまり近くに人が来てほしくないという陰キャの精神が骨髄にまでこびりついているからな。


 俺は缶ジュースを持ったまま、ゆっくりと振り返った。


「……何か用ですか?」


 そこには、一人の男が立っていた。

 黒髪をオールバックにし、銀縁の眼鏡をかけた痩身の男。


 仕立ての良い細身のスーツに、血のような深紅のネクタイ。風景に溶け込むような、希薄な存在感。

 だが、その目は蛇のように冷たく、俺を見据えていた。


 男は、俺が声をかけたことに、驚いたように眉を上げた。


「……おや。気づくとは、さすがですね」


 男が微笑む。

 目が三日月のように細められたが、その奥に笑意はない。

 左の首筋から耳裏にかけて、蛇の鱗のようなタトゥーが覗いているのが見えた。


「ランクワン——柴田浩之様。お初にお目にかかります」


 慇懃無礼な態度で、男が一礼する。


「私の恩恵ギフトは【認識の死角ブラインド・スポット】。並の者なら、心臓を刺されるその瞬間まで、私の存在に気づくことはないのですが。……やはり、噂以上の化け物でいらっしゃる」


 突然自分の恩恵ギフトを暴露する、目の前の男。

 何を考えているのか。何か誘導か? だが、【解析】で見ても、ウソはついていなかった。


「……褒め言葉として受け取っておきますよ。で、どこのどなたです?」


 俺は警戒を解かずに問う。

 男は眼鏡の位置を直しながら、名刺を差し出した。雰囲気といい、動き方といい、以前会った影狼の黒渡に似ている気がする。


「ギルド【王獣の牙】、副代表。蛇崩 恭弥じゃくずれ きょうやと申します」


 ——【王獣の牙】。

 来たか。


 19階層での一件、そしてその後の制裁。

 トップが黙っているわけがないとは思っていたが、ナンバー2自らのお出ましとは。


「いい眺めですね」


 蛇崩は、俺の横に並んで手すりに手をかけた。

 その視線は、真っ直ぐに大学の正門——桜がいる方向へ向けられている。


「あの方ですか? 噂のパートナーは。なるほど、確かに可憐だ。泥の中に咲く花のように、手折りたくなる」


 蛇崩の指先が、空中で何かを掴むように動く。

 その仕草に、ぞわりとした悪意が滲んでいた。


「……1ミリたりとも、そっちを見るな。彼女に手を出したら、許さない」


 俺は声を低くする。

 威圧。


 少しだけ魔力を乗せた殺気をぶつける。

 屋上の手すりが音を立てて震えた。

 だが、蛇崩は涼しい顔で受け流した。


「お怖い、お怖い。ご安心を。今日はただの『配達人』ですので」


 そう言って、懐から一通の封筒を取り出した。

 黒い封筒に、金の箔押しで髑髏を噛み砕く蛇——【王獣の牙】の紋章が入っている。


「うちの代表——倶蓮牙 獣哉からの招待状です。『一度、腹を割って話がしたい』と。場所と時間は、中に書いてあります」


 俺は封筒を受け取る。

 中身を見るまでもない。話し合いという名の、恫喝か、懐柔か、あるいは罠か。


「断ったら?」

「ご自由に。ですが……」


 蛇崩は、再び眼下の桜に視線をやった。


「我々は、欲しいものは必ず手に入れる主義でして。正面から無理なら、搦め手で。あなたご自身は無敵かもしれませんが……あなたの周りは、そうではない」


 脅し。分かりやすい挑発だ。

 だが、この距離まで気配を消して近づける相手だ。もし俺がいない時に、桜や家族を狙われたら——。


「……伝言だ」


 俺は、蛇崩の目を真っ直ぐに見据えた。


「桜の晴れ舞台を、邪魔するな」


 今度は、明確な警告。俺の身体から溢れ出た魔力が、屋上の空気を歪ませる。

 蛇崩の靴底が、数センチ後ろに滑る。表情から、余裕が消えた。額に一筋、冷や汗が流れるのが見えた。


「……肝に銘じておきましょう。では、良いお返事を期待しております」


 蛇崩は一礼すると、10階はあるビルの縁から飛び降り、音もなく消えた。


「……くそ」


 俺は深く息を吐き、封筒をポケットにねじ込んだ。

 せっかくの入学式だというのに、水を差された気分だ。

 眼下を見る。桜はまだ、友人と楽しそうに写真を撮っている。その笑顔に、陰りはない。


「守らないとな」


 俺は呟く。

 この日常を、あんな連中に壊させるわけにはいかない。


 時計を見る。

 夕方からは、藤崎レイナとの約束がある。

 俺は飲み干した空き缶を握りつぶし、屋上を後にした。


 【王獣の牙】との確執は、まだ終わっていない。むしろ、ここからが本番なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る