第82話 平和な通知地獄
激闘……でもなかったな。とにかくサンダー・ベル騒動から、明けて4月2日。
拠点の寝室で目を覚ますと、カーテンの隙間から穏やかな朝日が差し込んでいた。
静かだ。鳥のさえずりが聞こえるくらいで、車の走行音すら遠い。
高級住宅街の、さらに奥まった場所に位置するこの拠点は、防音設備も完璧だ。サンダー・ベル討伐戦が嘘のような、平和な朝だった。
なのに、目覚めが悪いのは、こいつのせいだろう。
「……なんだよ、この通知の数」
今もブンブン揺れるスマホをげっそりと見る。
通知がエグいことになっていた。お陰で蜂の大群に追われるイヤな夢を見てしまったわけだ。
とりあえず通知から状況がなんとなく分かったので、そっと目を逸らすことにした。後でできることは、後で頑張れば良いのだ。
リビングに降りると、すでに桜が起きていた。
パジャマ姿のまま、ソファで膝を抱えてテレビを見ている。
「おはよう、桜。……何見てるんだ?」
「あ、ひろくん、おはよう。……これ」
桜が指差したテレビ画面。
そこには、見覚えのあるオシャレな白い家——俺の家が映し出されていた。
「ふぁっ!?」
『——現在、柴田浩之氏の自宅前には、早朝から多くの報道陣が詰めかけています!』
リポーターが興奮気味に叫んでいる。
家の周りを取り囲む黒山の人だかり。カメラの砲列。そして、それを制止しようとする警察官と、ADAのロゴが入った腕章をつけた黒服たち。
近所の岡さんが、インタビューで「ええ、昔から大人しい子でねぇ……挨拶もしっかりする良い子で……まさかあんな凄い人だとは」なんて、当たり障りのない、でもちょっと誇らしげなことを喋っているのが見えた。
いや、そこに家を建てたの俺が大人になってからなんですが。あんた、俺の子ども時代知らんでしょう……。
「うわぁ……」
俺は思わず呻いた。
個人情報保護法っていう法律が確かあったはずだよな。なんだこの激しい情報公開は……。
「完全に包囲されてるな」
「うん。
桜が身震いする。
もし家に帰っていたら、今頃あの中だ。考えるだけでゾッとする。コンビニに行くことすらままならないだろう。
ふと、画面のアングルが変わった。
上空からのドローン映像だろうか。俺の家の庭が映し出される。
そこには——何もない。
ただの芝生と、いくつかの清掃用具があるだけだ。
本来ならそこに鎮座しているはずの、虹色の【門】が見当たらない。
……さすが神龍。名前に負けない、いい仕事してるな。
俺は心の中で、ダンジョンの主——一度しか会っていないが、俺の中では守り神に昇格だ——に感謝した。
認識阻害の結界は、カメラ越しでも有効らしい。
もしダンジョンがバレていたら、騒ぎはこんなものでは済まなかっただろう。
『そして! ネット上で大きな話題となっているのが、こちらの映像です!』
画面が切り替わり、サンダー・ベルの討伐動画のワンシーンが映し出された。
「えっ? なんで? 撮れてないって聞いたけど……」
確かに甲田はデータをADAのスタッフに渡し、その場で軽く確認されていた。ほぼほぼ映っていないということだったのに。
「もうネットでは大盛り上がりだよ。ひろくんのカッコイイとこ、ばっちり顔出しで映ってる」
桜がスマホを掲げながら、苦笑いで教えてくれた。
「……でも、これって」
アナウンサーが『大きな話題』と叫ぶのは、俺がサンダー・ベルを粉砕するシーンではなかった。
帰還後、駆け寄ってきた桜がアップになった瞬間だ。泥汚れなどものともせず、安堵の表情で俺を見上げる桜の顔が大写しになる。
光に包まれた横顔。涙で潤んだ瞳。芸術作品も素っ裸で逃げ出すほど、可憐な美がそこにあった。
『ランクワン、柴田浩之氏のパートナーとされるこの女性! ネット上では「美しすぎる」「天使か」「いや女神だ」と、柴田氏の実力以上に注目が集まっています!』
画面には、SNSのコメントが抜粋されて表示されている。
>可愛すぎワロタ
>アイドル超えてるだろ
>透明感の暴力
>1億年に一度の逸材
>この美少女が、あのおっさんのパートナー?
>許せねえ……ランクワンとかどうでもいいから、そこ代われ
>俺の嫁決定
>隣の男を滅せよ
「……なんか、変な方向で盛り上がってないか?」
「うぅ、なんで……?」
「まぁ、世界は見る目あるよね」
俺が苦笑すると、桜は真っ赤になってクッションに顔を埋めた。
「もうやだ……恥ずかしい……穴があったら入りたい……」
ステータスアップの影響か、桜の美貌には磨きがかかっている。肌は陶器のように白く、髪は絹糸の輝きを放ち、纏うオーラさえ可憐だ。
世の男たちが放っておくわけがない。
ランクワンの強さに対する驚愕よりも、「美女を侍らせている」ことへの嫉妬の方が、燃料としては燃えやすいらしい。
ブブブブブブ……。
テーブルに置いた俺のスマホが、机ごと揺れるような勢いで振動し始めた。
画面を見ると、LIMEの通知バッジがついに『999+』になっていた。カンストだ。友達少ないのに、よくぞここまで増えたものだ。
「……見るのが怖いな」
「見てみなよ。面白いかもよ?」
桜がクッションの隙間から目だけ出して言う。他人事だと思って。
「ちなみに私のLIMEもパンクしてた」
「……それは申し訳ない」
恐る恐る開いてみる。
>高校時代の同級生(卒業以来会ってない):
『よっ! 久しぶり! 今度飲みに行こうぜ! 奢りでw』
>親戚を名乗るおじさん(会ったことない):
『浩之くん、元気か? 実は叔父さん、事業で失敗してね……』
>元同僚の先生:
『柴田先生! テレビ見ました! サインください! あと私最近離婚しちゃって……』
>怪しいアカウント:
『あなたの資産、10倍に増やしませんか?』
>知らない美女アイコン:
『はじめまして♡ ランクワンの秘密、教えてほしいな♡』
スクロールしてもスクロールしても、終わらない。
電話の着信履歴も埋め尽くされている。非通知、公衆電話、海外からの番号……。
何件かちゃんとした友人や家族からの連絡もあったので、それは後で対応しないといけないが……。
どうやって俺の連絡先を知ったのか……。現代の闇を深く感じる。
「宝くじの一等が当たると、知らない親戚が増えるって言うけど……」
「それ以上だね」
桜が同情的な目を向けてくる。
「有名税にしては高すぎるな。これじゃあ、うかつにスマホも開けない」
「番号、変えたほうがいいかもね」
「そうだな。面倒くさいけど、このままの方が面倒か」
これを機に、交友関係を見直すのも良いのかもしれない。
その時、通知の嵐を縫うようにして、一件の着信が入った。
『ADA 白雪』——。
俺は救いを求めるように通話ボタンを押した。
「もしもし、白雪さん!?」
『あ、柴田さん。ご無事で何よりです。テレビ、ご覧になってます?』
「ええ、バッチリと。自宅が観光地みたいになってますね」
白雪さんの疲れたような笑い声が聞こえる。彼女もきっと、対応に追われて寝ていないのだろう。
『申し訳ありません。現在、警察と連携して規制線を張っていますが、野次馬が減らなくて……。当面の間、ご自宅には戻らない方が賢明かと』
「戻るつもりはないですよ。
『はい。そちらの住所は最重要機密としてロックを掛けています。物理的な警備も、見えない範囲で強化しました』
さすがADA。仕事が早い。
『本日は、サンダー・ベル討伐の報告会を予定していましたが……この騒ぎです。支所の方にもマスコミが押し寄せていまして、機能不全に近い状態でして』
「分かりました。延期で構いませんよ。俺も、外に出るのは憚られますし」
『助かります。落ち着いたら、改めて日程を調整させてください』
そこで、白雪さんの声のトーンが少し変わった。
事務的な響きから、少しプライベートなことを相談するような響きへ。
『それと、もう一点。【テンペスト】の藤崎レイナさんから、柴田さんに伝言を預かっています』
「レイナから?」
『はい。「個人的に話がある。直接会って話したい」とのことです』
「直接、ですか」
ADAや他の誰かに聞かれたくない話ということだろうか。
あるいは、俺たちの拠点を特定するような真似はしないという、彼女なりの配慮か。
彼女は十宮の暴走を止めるのに必死だった。敵意はないはずだ。
ただ、直接女性と二人で会うというのは、気が引ける。でも、まぁ、仕事の付き合いだから仕方ないか。
桜を見ながら考えていると、「ん?」と顔を上げた桜と目が合った。可愛い。
「分かりました。場所と時間は?」
『今夜20時。市内のバー『アンカー』を指定されています。個室を取ってあるそうです』
「了解です。行きますと伝えてください」
通話を終えると、桜が心配そうに聞いてきた。
「レイナさんって、あの金髪の人だよね? 大丈夫?」
「まあ、敵対する理由はないしな。昨日の今日で、喧嘩を売ってくるほど馬鹿じゃないだろう」
むしろ、彼女は十宮のストッパー役だった。話が通じる相手だと思いたい。
「……デート?」
桜がジト目で見てくる。
「違うわ。仕事の話だよ。桜も一緒にどうかと思ったけど、今日は実家でご飯だろ?」
「むぅ。……まあ、大丈夫だよね?」
「当たり前だ。俺を信じろ」
とりあえず、許可は下りたようだ。
「それより、桜。入学式の準備は?」
俺が話題を変えると、桜はハッとして時計を見た。
「あ、そうだった! 準備しなきゃ!」
「スーツ、着てみただろ? 変じゃなかったか?」
「うん、大丈夫だと思うけど……! ひろくん、チェックして!」
桜が慌てて三階の自室へ駆け上がっていく。
その背中を見送りながら、俺は大きく息を吐いた。
外の世界は騒がしい。
ネットでは悪意と嫉妬が渦巻き、裏社会の目も光っている。
だけど、この家の中だけは、穏やかな日常が流れている。 この状況を招いたのは自分だ。
だったら、この日常は俺が守らないといけない。
俺はソファに深く沈み込み、桜が降りてくるのを待つことにした。
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