第79話 ただいま

 長い、長い三日間が終わろうとしていた。


 サンダー・ベルを撃破後、18階層のキャンプ地に戻ってきた俺たちは、結局そこでもう一泊することになった。


 俺以外の面々の回復のためだ。特に最後まで戦線を支えていたADA側とレイナ、それに全魔力を十宮に託し昏倒した聖羅の疲労は重かった。


 当の十宮は特にケガも無く身体的な問題はなかったが、精神的にヤバそうだった。【テンペスト】側で無事なのが、カメラマンの甲田だけという有様だ。


 全員一致で、キャンプ地で一泊後に帰還を目指すことになったのも仕方ないことだった。

 一刻も早く帰りたかったが、さすがに一人で帰宅は社会人としてどうなんだ、という俺の小市民な部分がストップをかけた。


 というわけで、一泊後。今日から4月が始まる中、俺たちは朝早くからキャンプ地を飛び出し、ゲートを目指す。


 全員が万全と言える状態ではないためペースは行きよりも遅かったが、十宮が暴走することもなかったため、時間的には行きよりも短縮できた。出てくる魔物は、俺が鎧袖一触で退けたというのもあったろうけども。


 ゲートをくぐり、ADA岡山支所の白い部屋に戻ってくると、そこには意外な出迎えが待っていた。


「おお! 戻ったか! ご苦労、ご苦労!」


 大げさな拍手と共に歩み寄ってきたのは、角ばった眼鏡の男だった。


 後から伊達に聞いたところでは、ADA日本支部広報戦略室長の如月という男らしかった。

 道中、伊達が装着していたイルミネーターで、おそらく冴葉と連絡を取り合っていたので、帰還のタイミングが分かっていたんだろう。


 眼鏡の奥の目を細め、満面の笑みを浮かべている。

 その後ろには、東京から連れてきた部下たちが、広報用のカメラやマイク、さらにはお祝いのクラッカーを構えて待機していた。


「いやぁ、予定より早い帰還じゃないか! さすがは【テンペスト】、さすがは十宮君だ! さあ、カメラの準備はいいか? 英雄の凱旋インタビューだ!」


 如月は、先頭を歩く伊達を無視して、後ろにいるはずの十宮を探す。

 彼の中では、「十宮がサンダー・ベルを華麗に倒して帰還した」というシナリオが出来上がっているんだろう。


 すでにメディアやスポンサーに「十宮の手柄」として根回しを済ませているに違いない。その顔には、自分の手柄を確信した脂ぎった欲望が張り付いているように見える。


 だが。

 ゲートから出てきたのは、見る影もなく憔悴しきった十宮だった。髪は乱れ、高価な装備は泥と煤で汚れ、足取りはおぼつかない。


 その横では、成瀬星羅が白目をむいて気絶しており、担架で運ばれている。なんとかゲートまでは辿り着いたものの、魔力欠乏は結構なダメージを残すらしい。着いた途端、再び倒れてしまった。


「……は?」


 如月の動きが止まる。カメラやマイクを向けようとしていた部下たちも——もちろんクラッカーを持っていた部下も——間の抜けた顔で固まった。


「お、おい……どういうことだ? 十宮君? その格好は……まさか、負けたのか? 撤退か?」


 如月が詰め寄る。どうやら冴葉は正確な情報を如月に渡していないようだった。状況を全く理解できていなかった。


 十宮は虚ろな目で如月を見上げ、ヒッと小さく悲鳴を上げて視線を逸らした。その姿に、英雄の覇気など欠片もない。


「討伐は完了しました」


 静かに告げたのは、伊達だった。

 彼は淡々と、事務的に報告する。


「サンダー・ベルは討伐されました。被害は甚大でしたが、作戦目標は達成です」

「な、ならいいじゃないか! 驚かせやがって……! ほら、十宮君! シャキッとしたまえ! これから会見だぞ!」


 如月が十宮の肩を掴み、無理やり立たせようとする。

 だが、伊達が冷ややかな声で遮った。


「討伐したのは、彼ではありません」

「……あ?」

「倒したのは、協力者の柴田さんです。

 十宮さんの魔法は通用せず、逆に敵を活性化させ、部隊を壊滅の危機に陥らせました。柴田さんの介入がなければ、我々は全滅していたでしょう」


 シン、とロビーが静まり返る。

 如月は、口をパクパクと開閉させ、伊達と十宮、そして俺を交互に見た。


「ば、馬鹿な……そんなことが……。だ、だって、私はもう……大臣にも、スポンサーにも、『十宮がやる』と……!」


 如月の顔から、血の気が引いていく。自分の描いた絵図面が、音を立てて崩れ去る音が聞こえたのだろう。

 彼はワナワナと震え出し、そして——爆発した。


「ふ、ふざけるなァッ!!」


 如月が、十宮を突き飛ばした。無抵抗の十宮は、無様に床を転がる。


「な、何がトップランカーだ! 何が【テンペスト】だ! 期待させておいて、この様は何だ! 予算をいくら使ったと思ってる! 使えんゴミめ!!」


 唾を飛ばして罵倒する如月。

 その醜悪な姿に、周囲の職員たちが眉をひそめる。


 さすがにレイナが「貴様……!」と一歩踏み出しかけそうになるのを、俺は視線で制した。放っておけばいい。


「くそっ、くそっ、くそっ! どうするんだ、報道規制か? いや、もう間に合わん! おい、車を出せ! 東京に戻るぞ! 対策を練り直すんだ!」


 如月は髪を振り乱し、逃げるように走り出した。

 部下たちが慌てて後を追う。

 嵐のように去って行った東京組を見送り、伊達が深くため息をついた。


「……お見苦しいところを」

「いえ。俺は岡山で探索者登録して正解でした」


 俺が肩をすくめると、伊達が微かに笑った。


「ひろくん!」


 その時。

 ロビーの奥から、聞き慣れた、愛おしい声が響いた。


 振り返ると、そこには桜がいた。白雪さんと並んで、心配そうに、でも真っ直ぐに俺を見ていた。


「桜……」

「おかえりなさい!」


 桜が駆け寄ってくる。

 俺の泥だらけの服なんて気にせず、勢いよく飛びついてきた。

 俺は慌てて受け止める。


「ただいま。……待たせたな」

「うん、待ってた。……無事で、よかった」


 胸元で、桜の声が震えている。

 俺のぬくもりを確かめるように、背中に回した手に力がこもる。その重みが、俺に「帰ってきたんだ」という実感を強く与えてくれた。


「特別許可ですよ」


 白雪さんが近づいてきて、ウインクした。


「現在ここは立ち入り禁止エリアですが、英雄の帰還ですからね。桜さん、ずっとここで待ってらしたんですよ」

「あっ! それは言わないでください!」


 桜が顔を赤くして抗議する。その様子を見て、俺はようやく心の底から笑うことができた。


 殺伐としたダンジョンも、ドロドロした政治も、ここにはない。

 ただ、大切な人が待っていてくれる。それだけで、戦った意味はあったと思えた。

 たぶん、この瞬間だけは、世界で一番穏やかな時間だと思った。


 ◇


 だが——その日の夜。

 世界を揺るがす爆弾のスイッチが、静かに押されようとしていた。

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