第78話 ただの一撃

「来るぞ!」


 前線から伊達の声。それと同時。

 世界が、再び白に飲まれた。


 サンダー・ベルの全身から、無数の雷撃が放たれる。狙いなどない。全方位への無差別飽和攻撃だ。防御陣形など、紙くずのように吹き飛ばす威力。

 それが直撃する——。


 ——ガキィンッ!


 硬質な音が響き渡り、目の前に金色の光壁が出現していた。六角形の光のパネルが幾重にも重なり合い、ドーム状になって全員を包み込む。


「なっ……!?」


 伊達が目を見開く。

 降り注ぐ雷撃が、光壁に当たって弾け飛ぶ。

 内側は無傷だ。衝撃一つ伝わってこない。


「——<プロテクション>」


 俺は小さく呟き、指先をかざしていた。【光魔法】による物理・魔法両対応の防御壁。これなら、全員を確実に守れる。


 ただ、この魔法、欠点が一つある。

 この壁は外側からの攻撃を守る一方、内側からの攻撃も通さない。


 つまり、この中にいる限り、こちらも手出しができないのだ。完全な籠城戦。だから今まで使えなかった。


「す、すげぇ……なんだこれ!?」


 甲田がカメラを回しながら声を上げる。十宮も、目の前の光景に唖然としていた。

 だが。


 ——ピキッ。


 不穏な音が響く。光壁の一部に、亀裂が入った。


(……あら? 甘かったか)


 魔力を込めすぎると、壁の光が強くなりすぎたり、壁が厚くなりすぎたりと、扱いが難しい部分がある。

 つい、魔力の込め方を抑え気味にし過ぎてしまったようだ。

 これでは、強化されたサンダー・ベルの猛攻を長くは支えきれないだろう。


 パリンッ!

 予想通り、ガラスが割れるような音と共に、光の壁が砕け散った。光の破片が舞い散る中、再び雷撃の雨が降り注ごうとする。


 だが、サンダー・ベルの狙いは変わっていた。無差別攻撃ではない。一点集中。もっとも魔力の味が良かった「餌」——十宮へ。


「ひっ、い、嫌だ……来るな……!」


 十宮は腰を抜かし、後ずさるばかりだ。サンダー・ベルの触手が、槍のようにしなり、十宮の心臓を狙って突き出される。


「カズキッ!!」


 レイナが飛び込む。タワーシールドを構え、身を挺して射線上に割り込む。

 凄まじい衝撃音。レイナの身体がくの字に折れ、足元の岩盤が円形に陥没した。


「ぐ、ぅぅぅぅッ……!!」


 レイナが血を吐く。彼女のスキルによる底力で耐えているが、限界は近い。ピキッと、タワーシールドに亀裂が走る。


「逃げろ……カズキ……!」


 レイナが叫ぶが、十宮は動けない。

 サンダー・ベルが、嘲笑うように鐘を鳴らした。追撃だ。今度は一本じゃない。束になった極太の触手が、二人をまとめて叩き潰そうと振り上げられる。


「伊達部長!」

「くそっ、間に合わん!」


 伊達が駆け出すが、距離がある。

 大丈夫。準備は整った。


「……行きます」


 誰に言うでもなく呟いて、俺は、地面を蹴った。スキルなど使わない。ただ、脚の筋肉を収縮させ、地面を強く踏みしめるだけ。


 ドンッ。

 俺のいた場所の地面が砕け散る。音速を超えた身体が、空気を置き去りにして加速する。


 一歩。

 音が、消える。スローモーションの世界。振り下ろされる触手が、止まって見える。


 二歩。

 伊達と黒瀬の間を抜ける。

 二人は抜けられた事実に気づかない。


 三歩。

 俺は、レイナと十宮、聖羅の間——触手の落下地点へと滑り込んだ。

 絶望に染まる十宮の顔も、歯を食いしばるレイナの横顔も、すべてが静止画のようだ。


 ——ズドォォォォンッ!!


 轟音。土煙が舞い上がり、衝撃波が周囲を薙ぎ払う。十宮とレイナは、爆風に煽られて数メートル後方へ転がった。


「……へ?」


 十宮が、呆けたような声を出す。おそらく十宮の視界に入った光景が、その声を出させたんだろう。


 俺が、右手一本で、木刀を掲げている。その木刀が、サンダー・ベルの巨大な触手を受け止めていた。


「……嘘、だろ……」


 甲田の呟きが聞こえる。数トンはあるであろう質量と、超高電圧の雷撃。それを、ただの木刀で。片手で。魔力障壁すら展開せずに。


「——交代だ。下がってろ」


 俺は肩越しに声をかける。レイナが、信じられないものを見る目で俺を見上げていた。


 俺は腕に力を込める。軽く押し返すだけで、サンダー・ベルの巨体が浮き上がった。巨大な質量が、枯れ葉のように弾き飛ばされる。


 ——ギョオオオオオオンッ!?


 サンダー・ベルが、驚愕と苦痛の混じった不協和音を鳴らす。何が起きたのか理解できていないようだ。自分の攻撃が防がれたどころか、力負けした事実が。


 俺は木刀を構え直す。魔力は一切通さない。ただの棒切れとして、振るう。


「待たせたな」


 俺は一歩、踏み出す。サンダー・ベルが、本能的な恐怖を感じたのか、全身の触手を一斉に向けた。数百の雷撃が、俺一点に集中する。回避不能の弾幕。


 だが。関係ない。

 俺は、ただ真っ直ぐに、木刀を振りかぶった。スキルも、魔法もいらない。ただの、素振りだ。


「——はっ!」


 木刀が閃く。ただ、それだけ。

 瞬間。


 世界が、割れた。


 木刀が空気を切り裂いた衝撃波が、物理的な質量を持って前方に噴出する。

 迫りくる数百の触手が、一瞬で千切れ飛んだ。雷撃が、霧散する。そして、その衝撃は減衰することなくサンダー・ベルの本体——巨大な鐘へと到達する。


 金属がひしゃげるような、生々しい破壊音。直径十メートルの巨体が、真ん中からひしゃげ、ひび割れ、そして——爆散した。


 ズザザザザザ……ッ——

 余波で巻き上げられた暴風が、階層の空気をかき混ぜる。天井の「逆さ湖」が激しく波打ち、水しぶきが雨のように降り注いだ。


 やがて。

 風が止む。


 そこには、何もなかった。サンダー・ベルがいた場所には、ただ巨大な風穴のような空洞ができているだけだ。

 圧倒的な質量を持っていた怪物は、跡形もなく消し飛んでいた。


 ——。

 誰も、言葉を発しない。十宮も。レイナも。甲田も。星羅も。伊達も、ADAの隊員たちも。全員が、口を半開きにして、俺と、何もない空間を交互に見ている。


 理解の範疇を超えた暴力。魔法でも、スキルでもない。ただの「一撃」。それが、エリアの『王』を葬り去ったのだ。


 パラパラと、光の粒子が降ってくる。その中から、カラン、と乾いた音を立てて、何かが落ちた。


 俺は木刀を肩に担ぎ、ゆっくりと歩み寄る。落ちていたのは、手のひらサイズの金色のベルと、虹色に輝くオーブだった。


 今回、周りの目もあるので、ドロップ調整はオフにしてあった。それでも二つのアーティファクトがドロップされるということは、確定ドロップか。

 俺はそれを拾い上げ、埃を払う。そして、振り返って言った。


「——ラッキーですね。二つも出ましたよ」


 その気の抜けた声が、凍り付いた時間を解凍した。


「……は?」


 最初に声を出したのは、十宮だった。震える指で俺を指差し、掠れた声で叫んだ。


「い、一撃……!? あんな化け物を……ただの棒切れで……!?」

「……終わった?」


 レイナが、割れた盾を落としたことにも気づかず呟く。

 甲田は、カメラを構えたまま固まっていた。


 動かない。

 というか、動けてない。


「魔法も使わず……純粋な膂力だけで……あんなことが……」


 伊達が、深く息を吐いた。その表情は、安堵と、諦めにも似た苦笑いに彩られている。


「……やはり。私の直感は正しかったようだ」


 ADAの隊員たちが、顔を見合わせる。

 そして、爆発するような歓声が上がった。


「すげぇぇぇぇ!!」

「一発だぞ!? 見たかおい!?」

「ランクワン……これが、世界一位の実力……!」


 熱狂の渦の中心で、俺はポリポリと頬をかいた。ちょっと、やりすぎたかもしれない。


 ——いや、イケる時じゃないか。


 あの、伝説の、なろう系主人公言ってみたいランキング1位の、あのセリフ。行くぞ。言うぞ。良いのか、浩之。ここで言って良いんだな!?


「……あ、あれ……俺、何かやっちゃいました?」


 だが、俺の渾身のセリフは誰の耳に入らないまま、空水の中に消えていった。

 ……忘れよう。


 俺は気を取り直し、ドロップ品を持って、呆然とする十宮の前に立った。こいつはもう、俺を睨みつけることも、煽ることもできない。

 ただ、圧倒的な「格」の違いを見せつけられ、小さくなっているだけだ。


「……怪我は?」


 俺が聞くと、十宮はビクリと肩を震わせた。


「な、ない……です……」

「そうか。ならよかった」


 俺は彼に背を向け、出口の方へと向かおうとした。しかし——。


「今の、一体何したんだよ……」


 十宮が絞り出すように漏らした。俺は少しだけ考えて、肩を竦めた。


「ただ、木刀を振っただけかな」

「嘘つけ!」


 十宮が、半分泣きそうな顔で叫ぶ。


「ふざけんなよ……! あれだけ俺が……全力でやって……! 全然効かなくて……!」


 言葉がそこで詰まる。喉が鳴る音が聞こえた。


「それを……アンタは、なんだよ……」


 なんだよ、と言われても。「チートだから」とか言えば、簡単なんだろうか。ただ、それを言ったら、大人げないしなぁ。


「相性とタイミング、かな」

「は?」

「相性、最悪だったでしょ。お前とサンダー・ベル」


 俺は頭上の静かな水面を指さした。


「倒せたのは、お前が一回派手にやって、あいつの特性を教えてくれたからだし」

「……は?」

「結果だけ見れば、いい囮になってくれたと思う。ありがとう」


 そう言うと、十宮はぽかんと口を開けたまま固まった。

 その横で、レイナが小さく吹き出す。


「……囮、か」

「レイナ?」

「ふふ。でも、カズキには、それくらい言われてちょうどいいな」


 レイナは俺の方に向き直り、短く頭を下げた。


「ヒロユキ。助かった。……本当に」

「いえいえ。こっちも生きて帰りたいんで」

「そうか……そうだな」


 大笑いを始めたレイナの横を、伊達が、ゆっくりと通り抜け近づいてきた。

 足取りは重いが、背筋は伸びている。


 俺の隣まで来て、上を一度見上げた。

 逆さ湖の水面は、鏡みたいに静かだった。


「ありがとうございます——討伐、完了です」


 伊達さんが、静かに言った。

 俺はそれに頷き——。


「さあ、帰りましょう。かつ丼が待ってるんで」


 英雄の凱旋にしては、あまりにも締まらない言葉。だが、今の俺にはそれが一番重要なことだった。


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