第76話 餌
19階層。
階段を降りきると、そこは静寂に包まれていた。頭上には、見渡す限りの「逆さ湖」。水面がゆらゆらと光を反射し、神秘的な青の世界を作り出している。
だが、その静けさは、暴風雨の前のそれだ。
「いたぞ! 先行してる!」
ADAの隊員が指さす先。広場の中央付近まで、十宮たちが進んでいた。
「出てこいサンダー・ベル! 俺が相手だ!」
十宮の声が、ドーム状の空間に反響する。彼は上空に向かって、挑発するように極大の雷撃を放った。
「<サンダー・ショット>!」
青白い光弾が、天井の水面を打つ。水しぶきが上がり、美しい湖面に波紋が広がっていく。
ヤバい。こいつ正真正銘のアホだ。敵を呼び寄せるにしても、もっと良い方法があるだろう。自分の魔力を大きく削って相手はノーダメなんて、意味不明な縛りプレイでもしてるのか。
——ゴォォォン……。
重く、低い音が響いた。鐘の音だ。それも、葬送の鐘のような、不吉な響き。
水面が大きく盛り上がり、そこから巨大な影が「落ちて」きた。重力に逆らうようにゆっくりと、しかし圧倒的な質量を持って降下してくる。
直径20メートルを超える、巨大な釣鐘状の本体。その表面は濡れた金属のような光沢を放ち、内側からはマグマのような雷光が明滅している。
本体の下からは、無数の触手が伸びていた。太いもの、細いもの、合わせて百本以上。それらすべてが、青白い放電を帯びてスパークしている。
——サンダー・ベル。
圧倒的なプレッシャー。空気がビリビリと震え、呼吸するだけで肺が痛くなるようだ。だが、十宮は笑っていた。恐怖よりも、功名心が勝っている顔だ。
「見たかオッサン! コイツが俺の獲物だ!」
十宮が叫ぶ。ここまで来て、『相手』にしているのが俺。コイツの底が知れる。
カメラを構える甲田に向かって、十宮は完璧なキメ顔を作った。
「甲田! 画角はいいか!? 歴史的瞬間を撮り逃すなよ!
星羅! フルチャージだ! 俺の全力をぶつける!」
「はいっ、カズキ様! 私の全てを捧げます!」
星羅が十宮の背中に抱きつき、全魔力を注ぎ込む。空間が歪むほどの魔力が、十宮の周りに渦巻いた。髪が逆立ち、装備の隙間から火花が散る。魔力の残滓が煌めく粒子となって昇華していた。
「喰らえッ! 俺の最強魔法!
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十宮が煌びやかな剣を振り下ろす。その切っ先から、極太の雷光が奔流となって迸った。まさに英雄が放つ一撃だ。
視界が真っ白に染まる。鼓膜を劈くような轟音。七色の光を纏った雷撃は、一直線にサンダー・ベルへと吸い込まれ、その巨体を飲み込んだ。
世界が揺れたのかと錯覚するほどの凄まじい熱量と衝撃波が、離れている俺たちの元まで届く。ADAの隊員たちが、思わず腕で顔を覆った。
「……やったか?」
誰かが呟く。まるでフラグを立てるかのような一言。だが、間違いなく、必殺の一撃だ。直撃すれば、岩山さえ蒸発させるほどの威力を感じた。
光が収まる。土煙が晴れていく。
十宮は肩で息をしながら、勝利を確信した笑みを浮かべていた。
「へっ……見たかよ。これが俺の——」
だが。
言葉は、最後まで続かなかった。
煙の向こう。
そこに浮かんでいたのは——傷一つ負っていない怪物の姿だった。
いや、無傷ではない。変化していた。サンダー・ベルの表面を、十宮の放った七色の雷が這い回り、そして内部へと吸い込まれていく。まるで、極上の食事を与えられたかのようだった。くすんでいた金属光沢が、鮮烈な黄金色に輝き始めていく。
「……は?」
十宮の声が裏返る。理解が追いついていない顔だ。自分の最強の一撃が。すべてを焼き尽くすはずの光が。ただの『餌』にされた衝撃。
「う、嘘だろ……? 今の、フルパワーだぞ……? なんで……なんで効いてねぇんだよ!?」
十宮が一歩、後ずさる。剣を持つ手が震えていた。
——ゴォォォン!!
鐘が鳴った。
まるで世界中に歓喜を伝えるような甲高い音だ。
サンダー・ベルの全身から、吸収した雷が増幅されて放出される。周囲の空気が、紫色の放電で埋め尽くされた。
圧倒的な、生物としての格の違い。捕食者と、被食者。その明確な差を突きつけられ、十宮の顔から血の気が引いていく。
「い、嫌だ……来るな……!」
プライドも、名声も、かなぐり捨てて。そこにいたのは、ただ死を恐れる一人の若者だった。
「総員、防御態勢!!」
伊達さんの叫び声が響く。
サンダー・ベルの触手が、一斉に鎌首をもたげた。数百の切っ先が、呆然と立ち尽くす十宮に向けられる。
——反撃が、始まる。
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