第70話 八つ当たり
3月31日。決戦の朝。
リビングに降りると、桜がエプロン姿で朝食の準備をしていた。いつもと違って髪を結っている姿が尊すぎる。
だが、背中はどこか少し寂しげだった。
「おはよう、ひろくん」
「おはよう。……早いな」
「うん。今日からひろくん、いないから。ちゃんと見送りたくて」
桜が味噌汁をよそいながら言う。
今回の討伐作戦は、移動距離と攻略難度を考慮して、ダンジョン内で一泊するスケジュールが組まれている。
俺一人なら余裕で日帰りなんだけど、団体行動だとそうはいかない。
19階層手前までの移動だけで丸一日。そこで一泊して、翌朝19階層へ突入。
その後も状況によっては滞在延長。
だから、今日を入れて最低三日。場合によってはもっと、戻りが遅くなる。
一方、桜の入学式は三日後——4月2日だ。
万が一にも入学式に遅刻させるわけにはいかないし、何より19階層のサンダー・ベル戦は、今の桜にはまだ荷が重い。
俺がフォローすれば大丈夫だけど、それはお荷物となって迷惑をかけてしまうことを、桜本人が一番理解しているんだろう。今回は自分から留守番を決めていた。
「悔しいけど……今の私じゃ、足手まといだもんね」
「足手まといなんてことはないさ。ただ、今回は急ぎ旅になる。ペースがきつい」
「分かってる。だから、大人しく待ってる。
……でも、約束して。絶対に入学式までには帰ってきてね。晴れ姿、一番に見てほしいから」
「ああ、約束する。泥だらけの格好で駆けつけるかもしれないけどな」
「ふふっ、それはそれでヒーローみたいでかっこいいかも」
桜が笑う。俺は味噌汁を啜り、腹の底に温かいものを溜め込んだ。
よし、やるか。さっさと片付けて、笑顔で帰ってこよう。
◇
俺と桜は、桜の実家から借りてきた桜ママの車でADA岡山支所へと向かっていた。運転手は桜だ。今日は絶対に俺を送るという強い決意があったそうで、昨日のうちに車を借り来ていた。
緊張感満載の車窓から見える景色はいつも通りだが、支所に近づくにつれて、異様な熱気が伝わってくる。
「……うわぁ、すごい人」
運転席の桜が、目を丸くして窓の外を見つめる。
ADAのビル前は、カオスと化していた。
テレビ局の中継車が何台も停まり、カメラクルーや記者が黒山の人だかりを作っている。
「十宮和輝、会場入り!」「サンダー・ベル討伐の行方は!?」といったフリップを持ったレポーターが、マイクに向かって声を張り上げていた。警備員たちが必死にバリケードを作っているが、今にも決壊しそうだ。
「裏口から入ろう。あの中を突っ切るのはさすがにイヤだ」
桜がハンドルを切り、関係者専用の地下駐車場へと車を滑り込ませた。事前に白雪さんからパスをもらっているので、咎められることなく侵入に成功。静寂が戻り、二人でほっと息をつく。
「ねえ、ロビーまでは見送りに行って良い?」
「もちろん良いよ。じゃあ、行こうか」
「うん!」
地下のエレベーターから一階へ上がり、ロビーに出る。外の喧噪が嘘のように、中は静謐な空気が流れていた。ADAの職員たちが忙しなく行き交っている。
受付カウンターへ向かうと、そこには顔なじみの白雪さんが待っていた。ただ、その表情はいつもの余裕がなく、どこか困り果てているように見える。
「おはようございます、柴田さん、桜さん」
「おはようございます。……何かありました?」
「ええ、その……ちょうど今、到着されたところでして」
白雪さんの視線の先。自動ドアが開き、華やかなオーラを纏った集団が入ってきた。遠くからカメラのフラッシュが何度も炊かれ、まるで光の中から出てきたようだった。
先頭を歩くのは、昨日Dtubeで見た茶髪の青年。十宮和輝だ。その後ろに、鋭い目つきの金髪女性とえらく存在感を放つ小柄な女性、大荷物を抱えたカメラマン風のがっしりとした男。あれがおそらくギルド【テンペスト】の面々だろう。
十宮はロビーを見渡すと、一直線にこちらへ歩いてきた。迷いがない。俺の目の前で足を止めると、サングラスを少しずらして、値踏みするようにジロジロと見てきた。
「……アンタか」
低い声。昨日の配信のような軽薄さはなく、どこか獣のような鋭さがあった。ただ無礼さはしっかりと動画の通りだ。
「アンタが、噂の“ランクワン”か?」
俺は眉をひそめる。まだ名乗ってもいない。ADAの職員とも話していない。ただ立っていただけだ。
「……何のことでしょう?」
「とぼけんなよ。魔力で分かんだよ」
十宮は鼻を鳴らした。
なるほど。
ただのチャラついたアイドルかと思っていたが、魔力を感じ取る感覚、あるいは強者を嗅ぎ分ける野生の勘のようなものは、確かに一級品らしい。
俺が自分で自分のことを強者とか一級品とか言っちゃっているのは、ちょっと恥ずかしい。
だが。次の瞬間、彼の表情が一変した。嘲るような、歪んだ笑みに。
「——って言いたいところだけどさぁ。やっぱり、間違いじゃね? ショボすぎんだろ」
十宮が大げさに肩をすくめる。
「魔力は隠してるつもりかもしんねーけど、覇気がないっていうか、枯れてるっていうか。こんなのがランクワン?
後ろに控えていた金髪の女性が、咎めるように口を開く。
「カズキ。初対面の相手に失礼だぞ」
「うるせーなレイナ。事実だろ?
おいオッサン。今日の討伐、マジで足引っ張んなよ?
俺の雷撃に巻き込まれて黒焦げになっても知らねーからな」
俺の胸を、指先でトンと突く。挑発的で、不快な態度。俺は苦笑して、大人の対応で流そうとした。
その時。十宮の視線が、俺の隣にいた桜に吸い寄せられた。
「おっ……!」
サングラスを完全に外し、甘ったるい笑顔を作る。さっきまでの攻撃的な態度が嘘のようだ。
「へぇ……可愛い子連れてんじゃん。君、名前は?」
馴れ馴れしく距離を詰め、桜の手を取ろうとする。桜は反射的に俺の背中に隠れた。
「……柾木です。柴田さんの、パートナーです」
「パートナー? 仕事の?」
「公私ともに、です」
桜がきっぱりと言い放つ。十宮の顔がピクリと引きつった。
「はぁ? こんな冴えないオッサンとか?
もったいねー! 君さ、騙されてない?
俺のギルド来なよ。俺専属のパーティ枠、空けてやるからさ。東京で美味しいもん食べて、テレビ出て、俺の隣歩けるんだぜ?」
自分の価値を疑わない、傲慢な誘い文句。桜は、冷ややかな目で十宮を見返した。
「結構です。私は、ひろくん——柴田さんの隣が一番心地いいので。それに、あなたみたいな軽薄な方、タイプじゃありません」
ド直球の拒絶。
ロビーの空気が凍り付いた。
白雪さんが「ひえっ」と小さく声を漏らす。
後ろのレイナが、吹き出しそうになるのを堪えて顔を背け、小柄な女性が怒りの表情を携えたのが見えた。
十宮の顔が、みるみる赤くなる。プライドを傷つけられた怒りが、行き場を失って——そして、俺に向けられた。
「……てめぇ」
ギリ、と歯ぎしりの音。
「何吹き込んでやがる。ただのオッサンが、調子に乗ってんじゃねーぞ……!」
え? 何で? 完全に理不尽な八つ当たりじゃないですか。だが、俺は静かに彼を見返した。
「彼女の意志ですよ。それより、会議の時間では? 主役が遅刻しては格好がつかないんじゃないかな」
「チッ……!
覚えてろよ。ダンジョンで吠え面かかせてやるからな!」
十宮は捨て台詞を吐くと、ドカドカと足音を立ててエレベーターホールへと向かっていった。
レイナと呼ばれた女性が「すまないな」と目配せをし、小柄な女性が桜を一瞥し、カメラマンの男がペコペコと頭を下げながら後に続く。
嵐が去ったロビーに、ため息が落ちた。
「……すごい人だったね」
桜が疲れたように言う。
「ああ。実力はあるんだろうけど、性格に難ありだな」
「うん。……ひろくんの方が、一億倍かっこいいよ」
ボソッと呟かれた言葉に、俺は思わず顔を覆いたくなった。この子は、こういうことをサラッと言うから心臓に悪い。
「さて、と。それじゃあ、俺も行くよ」
「うん……」
桜の表情が、寂しげに曇る。今回の討伐は数日がかりだ。入学式には間に合わせるつもりだが、しばしの別れになる。
「気をつけてね。無理しちゃだめだよ」
「分かってる。桜も、戸締まりしっかりな」
「子ども扱いしないでよ……」
桜が一歩近づいてくる。そして、俺のジャケットに手を伸ばし、キュッと襟を整えてくれた。
「……よし。かっこいい」
満足げに微笑む桜。その距離が近くて、シャンプーのいい匂いが鼻をくすぐる。
「絶対、無事に帰ってきてね。帰ってきたら……かつ丼、特盛で作って待ってるから」
「それは楽しみだ。胃袋空けとくよ」
俺は桜の頭を、ポンと軽く撫でた。本当は抱きしめたいところだが、白雪さんや他の職員の目がある。ここは我慢だ。
「桜」
「ん」
「入学式、楽しんでこいよ」
桜が顔を上げる。目の端に、うっすらと涙が光っていた。
「ひろくん、ずるい」
「え、なんで?」
「そうやって、いつも私の心配をごまかそうとする」
そう言いながらも、桜の口元は少しだけ緩んでいる。
「でも、ちゃんと行くよ。入学式」
「うん」
「その代わり……ちゃんと帰ってきて」
桜が、俺の手をぎゅっと握った。
「おかえりって言うまでは、私、ちゃんと笑えない」
その言葉に、心臓が一瞬詰まる。
「ああ」
俺は、彼女の手を握り返した。
「ただいまって、言いに戻ってくる」
「約束ね」
「約束だ」
指切りでもしそうな雰囲気だが、さすがに白雪さんや他の職員の目がある。ここは我慢だ。同じ事をさっきも言った気がする。
「柴田さん、そろそろ」
背後から、白雪さんの声が聞こえた。慌てて桜が一歩距離を取った。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
桜の手を振る姿に見送られ、俺はエレベーターへと向かった。
「ひろくん」
数歩歩いたところで、桜が俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「大好き」
笑顔でそう言ってから、桜はくるりと背を向け走り去った。
ロビーの向こうに消えていく背中を見送りながら、俺は胸の中に、静かな熱を抱え込む。
「……いい娘ですね」
白雪さんがぼそりと言う。
「ええ」
俺は、短く返した。
「だからこそ、負けるわけにはいかない」
エレベーターの中で、俺は表情を引き締める。
さあ、仕事の時間だ。
生意気なアイドルと、規格外の怪物。どっちもまとめて、教育的指導といきますか。
——あとがき
申し訳ありませんが、本日から1日3回投稿は難しくなるかもしれません。
今後とも応援よろしくお願いいたします。
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