第68話 師匠
ADA岡山支所での手続きはスムーズだった。
俺と桜は既に登録済みだし、タクミとくるみも先日登録を済ませていたからだ。
「柴田さん、今日は五階層までの同行探索ということでよろしいですか?」
白雪さんが受付にいなかったのは残念だったが、別の受付嬢がテキパキと処理してくれた。なぜか俺の顔と名前を知っていてびっくりしたが、これはこれで嬉しいモノがある。
隣でタクミが羨ましそうに俺を見てきているのが分かった。無視する。
「はい。初心者二人のサポートで」
「承知しました。何かありましたら、すぐに連絡をお願いします」
「了解です」
ゲートに向かう前に、レンタル装備のコーナーに寄って装備を借りることにする。
俺たちの装備は車に積んでいたということにして、インベントリから取り出していた。ただ、桜に関しては水瀬モデルをフル装備するには仰々しすぎるということで、防具や運動着はレンタルすることにした。
俺はパーカーにジーパンという普段着のままだ。一応、木刀は持ち出してきた。さすがに武器無しだと、タクミの視線が今以上に痛くなりそうだった。
タクミは初心者用の片手剣と小さなバックラーを借りていた。自分の装備を買うお金はまだないらしい。
それでも、剣を腰に差しただけで、彼の顔つきは一丁前の剣士気取りになっていた。
「この重み……悪くないっすね」
鞘から剣を半分ほど抜いて、ニヤリと笑うタクミ。鏡の前でポーズを取っている。
「タクミ、かっこいいー!」
くるみが黄色い声を上げる。
「お前のナックルも似合ってるぜ」
と、くるみの武器を褒めるタクミ。
……バカップルめ。
桜は俺の隣で、苦笑いを浮かべながら小声で言った。
「……なんか、見ているこっちが恥ずかしくなるね」
「若いってのは、そういうことさ。生温かく見守ろう」
俺も気をつけなければ……。そんな感想を抱きながら俺たちは準備を整え、ゲートをくぐった。
◇
1階層。いつもの薄暗い洞窟だ。壁の苔がぼんやりと発光している。
タクミは先頭に立ち、肩で風を切って歩いていた。
「先生たちは後ろで見てていいっすよ。俺が全部片付けるんで」
「頼もしいね。じゃあ、お言葉に甘えようか」
俺は最後尾につき、のんびりと歩く。
桜は俺の斜め前、くるみはタクミの後ろだ。
1階層は真っ直ぐ進むだけで階段のある広間に出る。
そっちに向かってしばらく進むと、前方の岩陰からスライムが現れた。
珍しい。
1階層に出現する魔物は三種類しかいないが、どれも出現率は低い。狙って出会おうとしない限り、何事もなく階段広間まで着いてしまうことの方が多かった。
ぬるりとした青緑色のゼリー状の体躯がゆっっっっっくりと動く。
「おっ、雑魚発見!」
タクミが剣を抜き、駆け出す。
「うらぁっ!」
掛け声とともに振り下ろされた剣が、スライムの身体を切り裂く——はずだった。が、ボヨン、という擬音語が似合いそうな動きで、剣はスライムの弾力に阻まれ、浅くめり込んだだけで止まった。
「げっ、硬ぇ!?」
タクミが体勢を崩す。しかし、さすが1階層。スライムは反撃とばかりに身体を膨張させ、タクミに体当たりをかまそうとするが、とにかく動きが緩慢だった。
「うわっと!」
十分体勢を立て直す余裕があったタクミ。無事避けることに成功するが、たたらを踏んでしまう。
この超絶泥試合、初心者あるあるだ。
スライムは物理攻撃に対して多少の耐性をもっている。そのため刃の入れ方を間違えると衝撃を吸収されてしまうのだ。
一方で、攻撃速度が遅いため、スライムの攻撃はそうそう当たることはない。
結果として、どちらも有効打を与えられない泥試合が始まってしまうわけだ。
「タクミ、代わって!」
見かねたくるみが、ナックルを装着した拳を構えて前に出た。思った以上の踏み込みを見せるが、結果はタクミと一緒だ。有効なダメージは少なかった。
このまま削り取ればいずれは倒せるが、時間がかかりそうだし、二人の体力も損耗してしまうだろう。桜に目を向けると『私に任せて』と頷いた。
杖を構えて一歩前に出る。
「<アクア・バレット>!」
杖の先から放たれた水弾が、一直線にスライムの
「……え?」
タクミが呆然と口を開ける。くるみも目を丸くしていた。
「すごっ……なに今の? 魔法?」
「うん。水魔法だよ」
桜は何でもないことのように答えるが、二人の衝撃は大きかったようだ。
「マジかよ……桜ちゃん、魔法使いだったの? しかも詠唱ほとんどなかったくね?」
「私たちがモタモタしてる間に終わっちゃったじゃん!」
「うるせーな! 俺だって本気出せばあんなの……!」
タクミは悔しそうに剣を鞘に納めたが、その視線には桜への畏敬が混じり始めていた。
「桜、かっこいい……!」
「だろ? 桜はスゴいんだぞ」
自慢げに胸を張る。桜が褒められると、俺も嬉しいものなのだ。
「いや、別に先生を褒めてるわけじゃねえっす」
呆れたように言い放つタクミ。あれ、俺に対する空気が少し悪くなってきている気がするぞ。
その後も、道中は桜の独壇場だった。2階層で現れた大ネズミは、<アクア・ウィップ>——水の鞭で薙ぎ払い、3階層のコウモリは<アクア・ショット>で撃ち落とす。
的確な判断と、無駄のない魔力操作。俺との特訓の成果が存分に発揮されている。
「……なぁ、くるみ。桜ちゃんってあんなキャラだったっけ?」
「いや、あたしも知らん。おっとり系天然美少女だと思ってたのに、あんな武闘派だったとは……」
二人がヒソヒソと話しているのが聞こえた。
そして4階層。岩場が多くなり、足場が悪くなるエリアだ。
ここでも桜は軽やかに岩を飛び越え、死角から現れた
既に、タクミが飛び出す、太刀打ちできない、桜が瞬殺するのローテーションが出来上がっていた。
硬い甲殻ごと両断された魔物を見て、タクミの顔色が青ざめる。
「……あの威力、人間に当たったら即死じゃね?」
「手を出したら即死だね、タクミ」
「お、おう……」
完全に桜への評価が変わったようだ。と同時に、何もしていない俺への視線も変わってきている。
『あの強い桜ちゃんが頼りにしている先生』というフィルターと、『やっぱり何もしてないただのオッサン』という現実の狭間で揺れているようだ。
「先生、何もしないんっすか? もう4階層っすよ?」
タクミが探るように聞いてくる。俺は歩いているだけだからな。 当然の疑問ではある。でも、桜がやる気もってやってる以上、俺の出る幕はないんだよね。
「俺は荷物持ちみたいなもんだからな。桜がいれば十分だろ?」
「まあ、そうですけど……」
タクミは納得いかない様子で前を向いた。『なんだよ、結局女に守られてるだけかよ』という心の声が聞こえてきそうだ。まぁ、同感です。
そして、ついに目標の5階層への階段に辿り着いた。
階段を降りると、視界が一気に開ける。天井は青空となり、太陽っぽい何かが草原を照らしていた。爽やかな風が吹き抜け、小川のせせらぎが聞こえる。
「うわぁ……すっげぇ!」
「なにここ! ほんとにダンジョン!?」
タクミとくるみが歓声を上げる。初めて見る5階層の景色に、感動を隠せないようだ。
「ここが『草原の階層』だ。今までとは空気が違うから、気を引き締めろよ」
釘を刺すが、タクミは剣を抜いてブンブンと振った。
「へっ、景色が良い分、戦いやすそうっすね! やっと俺の出番ってわけだ!」
4階層まで桜にお株を奪われっぱなしだった分、ここで名誉挽回したいのだろう。でも、ここまでの魔物相手に手が出ないようでは、ゴブリン相手は荷が重いと思うんだ。
「ゴブリンを舐めたら駄目だよ。単体なら脅威じゃないけど、群れると面倒だ。まずは確実にソロを狙って相手に慣れよう」
しかし、俺のアドバイスは意図的か無意識か、タクミの耳には届かず無視されてしまう。
「よし、目標はゴブリン一体! 俺が前衛張るんで、先生たちは後ろで見ててくだ——」
タクミが言い終わる前に、前方の草むらが大きく揺れた。
茂みの陰から、小さな影が三つ、飛び出してくる。
背丈は120センチほど。緑色の肌に、ギラギラした黄色い目。ゴブリンだ。しかも、それぞれが錆びた剣、棍棒、そして鍋の蓋のような盾を持っている。武装した個体だ。
「うわっ、三体!?」
タクミがたじろぐ。
「ギャギャッ!」
ゴブリンたちは獲物を見つけた喜びの声を上げ、一斉に襲いかかってきた。
「く、来るなッ!」
タクミが剣を滅茶苦茶に振るう。だが、ゴブリンたちは低い姿勢でそれを避け、巧みに距離を詰めてくる。
一体がタクミの足元を狙い、棍棒を振り払う。
「ぐっ!?」
タクミがバランスを崩した隙に、もう一体が剣を突き出す。バックラーで辛うじて防いだが、衝撃で身体がのけぞる。
「ちょっ、待てっ! 多いって!」
完全に飲まれている。多勢に無勢。それに、ゴブリンはそこそこ知能がある。初心者が一人で相手にするには荷が重い。
こうして見ると、桜の潜在能力の高さがよく分かる。初見でも、難なく対応してみせた。……もしかして、俺のアドバイスのお陰か? 自分のコーチング能力にびっくりだぜ。
「タクミ君、下がって!」
そんなアホなことを考えていたら、桜が杖を構えていた。しかし、タクミとゴブリンが入り乱れていて射線が通らない。
「撃てない! 誤射しちゃう!」
「タクミ落ち着いてっ!」
「くそっ、こっち来んな!」
タクミがパニックになって剣を振り回す。それが仇となった。
大きく隙ができた背後を、三体目のゴブリンがすり抜けたのだ。狙いは——後衛。一番無防備な、くるみだ。
「ギヒヒッ!」
ゴブリンが醜悪な笑みを浮かべ、跳躍する。その手には、ギザギザの刃こぼれしたナイフが握られている。
「きゃぁっ!」
くるみが悲鳴を上げて腰を抜かす。タクミは目の前の敵に手一杯で、振り返ることさえできない。桜も、詠唱のタイミングが合わないゴブリンのナイフが振り下ろされる。
その瞬間。
ヒュン、と風を切る音。 いいや、もっと鋭い、空気が裂ける音。
くるみに襲いかかっていたゴブリンの首が、不自然な角度で宙を舞った。緑色の体液を撒き散らすこともなく、光の粒子となって霧散していく。
「……え?」
くるみが、涙目で目を開ける。くるみの目の目に立っていた俺と目がバッチリ合う。くるみの瞳に、右手に木刀を握った俺の姿が映っていた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
目の前で起こった出来事に理解が追いついていないのか、呆然と頷くだけのクルミ。
残りの二体のゴブリンが、仲間を一撃で殺されたことに気づき、激昂する。
ターゲットをタクミから俺に変更し、左右から同時に飛びかかってきた。棍棒と剣の挟撃。初心者なら、反応できないタイミングだ。
だが。
遅い。止まって見える。
俺の視界の中で、ゴブリンの動きはスローモーションのように緩慢だ。筋肉の収縮、武器の軌道、重心の移動。すべてが手に取るように分かる。
予備動作なしで、俺は右のゴブリンの懐に踏み込む。
その速度に反応できず、手に持つ武器を振り上げることすらできていない。
すれ違いざまに、木刀を下から上へと振り抜く。顎を捉えた一撃。ゴブリンの身体が、ボールのように宙へ打ち上げられた。大ホームランだ。そのまま空中で回転し、地面に落ちる前に光となって消える。
残るは一体。剣を持ったゴブリンが、恐怖に顔を歪めながらも、やけくそ気味に突っ込んでくる。
俺は木刀を構え直すこともなく、脚払い、ゴブリンを転がした。ちょっと脚にダメージが入っていそうだったけど、良いハンデになるだろう。
「小野田、今のうちに立て直せ」
「えっ、あっ、ハイっ」
目をかっぴらいて口をパクパクさせながらこちらを眺めていたタクミがハッとする。慌てて剣を構え直し、よろめきながら起き上がろうとするゴブリンに斬りかかった。
「おりゃぁっ!」
気合だけは十分の斬撃。しかし、やはり軌道が甘い。ゴブリンは身をひねって避けようとする。
「させない」
桜の水弾が、そのゴブリンの足元を打つ。滑るようにバランスを崩したゴブリンの首元に、タクミの剣がぎりぎりのところで届いた。
ゴブリンが悲鳴を上げ、光になって消える。
静寂。三体のゴブリンがいた場所には、キラキラと舞う光の粒子だけが残っていた。
「やった……!」
タクミが肩で息をする。額に汗が滲んでいる。くるみは、瞬きすら忘れて俺を凝視していた。桜だけが落ち着いていて「やっぱりひろくんは凄い」と言いたげに、誇らしげな笑顔を浮かべている。
実際には言っていないが、きっとそう言いたいんだろう。
「せ、先生……今、何したの?」
くるみが震える声で尋ねる。
「何って、叩いただけだけど」
「いやいやいや! 見えなかったし! 消えたし! てか木刀でしょそれ!?」
くるみが混乱したように叫ぶ。
タクミがおそるおそる振り返り、俺を見てきた。
「せ、先生……俺……」
「一体、トドメを取ったな」
俺が言うと、小野田が少しだけ照れたように笑った。
「でも、先生がいなかったら、今頃俺……」
「それを言ったらキリがない」
俺は肩をすくめる。
「最初はこんなもんだよ。むしろ、初戦で一体仕留めたのは上出来だと思うよ」
「そうかな……」
「そうだよ」
桜が笑顔で言う。
タクミの顔から、先ほどまでの生意気な色が完全に消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、圧倒的な強者に対する畏怖と、純粋な尊敬だ。彼は震える足で俺の前に歩み寄ると、深々と頭を下げた。
「……すんませんでした!」
「ん?」
「俺、先生のことナメてました! ただの冴えないオッサンだと思ってました!」
いや、もう少しオブラートに含んだ言い方をしろよ。謝っているんだよな?
「命、助けてもらって……ありがとうございます!
先生……いや、師匠! 一生ついていきます! 俺を弟子にしてください!」
タクミがキラキラした目で見上げてくる。え、何この鬱陶しい感じの展開。
「師匠はイヤだよ。そんな趣味ないし」
「そんなぁ! じゃあ、アニキで!」
「それもやめろ。変な組織みたいになる。もうさっきまでと一緒で先生にしてくれ」
俺はやれやれと肩をすくめる。くるみが、安堵と興奮の入り混じった顔で駆け寄ってきた。
「もー! 先生かっこよすぎ! 惚れるわコレ!」
「くるみには小野田がいるだろ」
「今はタクミより先生のが輝いて見える! 桜、場所代わって!」
「だーめ! ひろくんは私の!」
桜が俺の腕に抱きついて、威嚇するようにくるみを睨み、ぷっと桜が笑った。
その笑いにつられて、くるみとタクミも笑い出した。空気が少しだけほぐれる。その様子を見て、俺はようやく緊張を解いた。まあ、誰も怪我がなくてよかった。
「とりあえず、今日はここまでにしよう。初心者には刺激が強すぎた」
「……ハイ。異存ないっす。帰ります」
タクミが素直に頷く。すっかり毒気を抜かれたようだ。
帰り道。
1階層までの道のりは、打って変わって賑やかだった。
タクミが「あの動きはどうやったんですか」、「筋トレは何してるんですか」と質問攻めにしてくるのを適当にいなしつつ、俺たちは地上へのゲートを目指した。
桜が、隣で嬉しそうに笑っている。
まるで自分のことのように、俺が褒められるのを喜んでいるようだ。
そんな彼女の頭を、俺は歩きながらそっと撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます