第61話 豪運スキル

 七階層の空気は、しっとりとした湿気と、どこか甘い匂いを帯びていた。

 暗い森の中に、青や緑、赤、紫の淡い光がゆらゆらと浮かんでいる幻想的な光景だ。


 実際はそれがキノコと知るまでは、そう思っていた。

 何だよ、空に浮かぶ光るキノコって。しかも魔物ではなく、植物の一種のようだ。ダンジョンって不思議だね。


 木々は細くて背が高く、幹の表面には白い粉のような胞子が付着している。

 風が吹くたびにその粉がふわっと舞い上がるせいで、森全体が常に薄霞に包まれていた。


 光るキノコが反射して、霧が揺れるたびに色が変わっている。

 この胞子を吸い続けると、身体に弱体効果デバフがかかるらしい。


 地面は柔らかくて、踏むと少し沈む。

 足元は見えにくいし、どの木も同じような形だから、注意していないと方向感覚がすぐに崩れそうだ。森というより、光の迷路に閉じ込められたみたいだった。


「わぁ……」


 桜が思わず息をのむ。

 森の中は静かだ。遠くで水の滴る音がして、どこかからぼうっとキノコが胞子を吐き出す霧のような音が微かに聞こえる。足元には、湿った土と苔。時折、ぬるっとした感触が靴底を通して伝わってくる。


「幻想的だけど、毒々しいよね」

「綺麗だけど、食べたら死にそう」

「実際、ここのキノコを勝手に食べて救急搬送されたヤバいヤツがいるらしいぞ」

「うわ……」


 そんな会話をしつつ、俺たちは慎重に進む。

 七層には、光るキノコから生まれたような小型モンスター——キノボや、蛇、カエルなど様々なモンスターが出る。ただ、今日の目的は彼らではない。


「タマムシは、キノコの生え方が密集してる場所を好むらしい」

「どうして?」

「多分、光が反射して自分が綺麗に見えるからじゃないかな」

「え、ナルシスト?」

「間違いない」


 冗談で言うと、桜が笑いながらも、真剣な目で周囲を観察し始める。光の密度が高い場所を探すように視線を動かし、耳を澄ませる。


「……あっち、なんか音しない?」


 桜が指さした方向に、俺も耳を傾ける。かすかに、硬いものが触れ合うような、カチカチという音が聞こえた。


「多分、あれだな」


 俺は木刀を構え、桜に目配せする。


「ここからは、俺が前に出る。桜は後ろから援護ね」

「うん、分かった」


 少しだけ緊張した声。しかし、足取りはしっかりとしている。

 光るキノコが密集した小さな広場に出ると、その中央に——いた。


 翡翠色の甲殻に、虹色に輝く翅。体長は三十センチほど。頭部には黒い複眼がぎらりと光り、細い脚がカサカサと地面をなぞっている。


「……芸術品だね」


 思わず桜が呟く。確かに、見た目だけなら美術品だ。光るキノコの光が、甲殻に反射して七色の光を放っている。ただ、虫嫌いな俺からすれば気持ち悪いという感想の方が強い。


 タマムシがこちらに気づいたのか、複眼がぎょろりと動いた。次の瞬間、信じられない速度で横に移動する。地面を滑るような動きだ。


「速っ」


 桜が驚く。俺は木刀を握り直し、一歩踏み出す。タマムシがこちらに向かってくる。


 その瞬間——周囲のキノコが弾け、白い胞子が視界を埋める。さらに足下の土がぬるりと滑り、体幹が抜ける。


「うおっ」


 危うく足を取られかけ、慌てて体勢を立て直す。タマムシの牙が、俺の膝あたりをかすめるように通り過ぎた。


「ひろくん!」

「大丈夫」


 噂通り、妙なタイミングで足場が崩れた。しかも、さっきまでは何も異常がなかった場所だ。


 タマムシが再びこちらに向き直り、カサカサと脚を動かす。光る翅が一瞬動き、その場からふっと消えたように見え——次の瞬間には俺の死角に回り込んでいる。


「後ろ!」


 桜の声と同時に振り向く。しかし、それより一瞬早く、頭上からキノコの胞子がばさっと降ってきた。


「げっ」


 慌てて目を閉じ、息を止める。が、背後から魔力のうねりを感じる。


「アクアボール!」


 桜の声と共に、冷たい水の飛沫が顔を打つ。降りかかってくる胞子が俺にかかる前に流された。水と胞子で視界がクリアでない中、俺は勘でさっきまでタマムシがいたところに木刀を振り抜いた。


 しかし、手ごたえはない。

 タマムシは、すでに別の場所に移動していた。やっぱり気配を読むって難しいな。


「くそ、厄介だな」


 キノコが光を増し、タマムシの翅がちらちらと輝く。相手はこっちを見ている余裕すらあるように見える。完全に遊ばれている気がして、ちょっとムカついた。


「ひろくん、さっきの足場——」

「見てた?」

「うん。足元崩れたのは偶然……って感じじゃなかった」

「多分、こいつの周囲数メートルに、軽い『不運フィールド』があるんだと思う」

「不運フィールドってなに、その名前」

「俺が今つけた」


 タマムシの一種の能力だろう。

 周囲の確率事象を微妙にずらして、攻撃しようとする者にだけ不利な事象を起こす。


 足場が崩れる、胞子がタイミングよく降ってくる、他のモンスターが絡んでくる。こうして身に浴びると、その厄介さがよく分かった。


「でも、まぁ、それだけだ」


 深呼吸を一つして、タマムシに向き直る。


 タマムシが翅を震わせ、カサカサとこちらに向かってくる。

 俺は足場を彫り上げるように蹴り抜いた。爆発音と共に、土塊がタマムシに弾け飛ぶ。その衝撃でタマムシが空にひっくり返った。


 でも、そっちはどうでも良い。大事なのは、足下のぬかるんだ土が捲り上がり、乾いた大地が見えたこと。これで足下が崩れる不運は起こりえない。


「ピギッ!?」


 その光景を見たタマムシの複眼が、見開かれる。跳ぶようにタマムシに肉薄——木刀を振り抜いた。


 圧倒的な身体能力による一撃は、必殺の一撃として、タマムシの胴体に当たる。鈍い手ごたえ。甲殻がひしゃげる音すら残さず、タマムシは爆散した。


 要は、相手のペースに合わせなければ良いわけだ。

 倒す間際には他の魔物の襲来があるということだが、その隙すら与えず瞬殺。

 静寂が落ちる。


「……倒した?」

「倒したな」


 タマムシの残骸が、ゆっくりと光の粒になって崩れていく。いくつかの物体がぽとぽとと落ちた。


 その中に、淡く金色に輝く、小さなオーブ。


「ひろくん!」


 頷き、俺はオーブに手を伸ばす。解析を使うまでもなくスキルオーブの名前が浮かび上がるが、一応解析はしておく。


-------------


 【豪運】

 スキルオーダー:★★★★★

 持ち主のあらゆる確率事象に偏りを生じさせ、幸福を呼び込む


 -------------


「ひろくん、どう?」

「【豪運】のスキルオーブ、星五つだ」

「ギリギリ!」


 桜がほっと息を吐く。そうだった。★《シングル》にしようと思っていたけど、桜の天稟は星五つあったんだった。改めて、その事実に感嘆した。


「よし。早速使おう!」


 タマムシがドロップした他のアーティファクト——【毒の胞子】【タマムシの殻】【光る粉】などを回収しながら周囲を確認。魔物の気配はない。


 桜がごくりと喉を鳴らす。視線がオーブと俺の顔の間を行ったり来たりしている。


「これ、私が……使っていいの?」

「もちろん。そのために落としたんだぞ」

「でも、今のだってひろくんが頑張ったからで——」

「桜が援護してくれなかったら、俺ごと胞子まみれになってた。共同作業の成果だよ」


 キノコの胞子で白髭になった自分の姿を想像して、ちょっと嫌な気分になる。桜がくすっと笑った。


「似合うかも」

「似合わなくていい」

「……でも、本当にいいの? ひろくん、使わなくて?」


 桜の目が真剣だ。欲しい気持ちはあるが、ちゃんと躊躇している。そういうところが桜らしくて可愛いと思う。


「俺は、もう十分恵まれてる」


 ステータスの自由な書き換え、インベントリ、解析、ドロップ調整。世界の裏側に直接触れられる権能。恵まれすぎている。

 それに、こうして桜と一緒にいれるっていう時点で、俺の運はカンストしていると思う。


「そもそも【豪運】なんか俺が持ったら、絶対調子に乗る」

「そんなことないと思うけど……」

「そんなことある。絶対。競馬場や競艇場に入り浸る俺とか嫌だろ? だから、桜が使ってくれ。桜なら、変な方向に使わない」


 ギャンブルとか、他人を陥れる方向とか。そういう発想が真っ先に出てこない人間にこそ、こういう力はもつべきだろう。

 桜はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……分かった」


 両手を胸の前で合わせるようにして、そっとオーブを受け取る。柔らかい光が指の間から漏れる。


「あっ、でも、一つだけ約束してくれ」

「なに?」

「ギャンブルには絶対ハマらないようにな」

「ハマらないよ!!」


 即答だった。


「そもそもギャンブルに興味ないし。パチンコとか競馬とか、煙たいしうるさいし」

「じゃあ、宝くじは?」

「……ひろくんが買うなら一緒に買おうかな」

「なんで俺基準なんだ?」

「だって、一緒に当てた方が楽しいじゃん」


 今更宝くじが当たっても金銭的にはどうでも良い。でも、二人で馬鹿みたいに喜ぶことには、ずっと価値がある。


「あと、このスキルのこと、あんまり周りに言わない方がいいな」

「やっぱり?」

「【豪運】って名前だけでも、いろんな欲望を刺激すると思う。ギャンブル依存の人とかが聞いたら、絶対食いついてくる」

「こわ……」

「だから、俺たちだけの秘密な」

「うん。また二人だけの秘密が増えたね」


 何か幸せを噛みしめるようににっこりと笑った桜が深呼吸を一つして、オーブをぎゅっと握りしめる。


「——じゃあ、使うね」

「がんばれ」


 桜が目を閉じる。オーブが淡く輝き、光が指の隙間から漏れ出す。次の瞬間、その光が桜の胸元に吸い込まれるように消えた。

 目を開けた桜が、自分の手のひらを見つめる。


「……何も変わった気がしない」

「そうなの?」


 桜のステータスを見てみれば、確かに【豪運】スキルは取得されていた。 


「確実に取得はできてるなぁ。多分、受動的なスキルパッシブスキルなんだろうね」

「じゃあ、私は意識しないで良いってこと?」

「多分。ま、どの程度幸福を招くのかも、実際に試してみないと分からないしね」

「じゃあ、試してみよう!」


 桜がニヤリと笑う。その表情に、ほんの僅かにいたずらっぽい色が加わっている。


「【豪運】の力を試すのに、一番分かりやすいのは……」


 桜が俺の顔をじっと見て、言う。


「レアドロップ狙いでしょ」

「だな」


 自然と笑いがこみ上げる。


「じゃあ、6階層に戻るか」

「ぴょんぴょんゾーンだ」

「ぴょんぴょんゾーンだな」

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