第60話 タマムシを求めて
ダンジョン入口の
人工的なフローリングと微かな芳香剤が支配していたADAの施設から、土と草と石の匂いが混ざる空間への切り替わりは、何度経験しても不思議な感覚だ。
「うわ、久しぶりだ」
隣で桜が息を弾ませる。すでに探索者用の軽装に着替え、腰には小さなポーチを装着。背中には折りたたみ式の杖が差してある。桜お気に入りの水瀬モデルだ。
前よりも装備に慣れてきたのか、動きにぎこちなさが少なくなっていた。
「緊張してない?」
「ちょっとだけ。でも、前みたいに足がガクガクはしないよ」
「それは何よりだな」
俺も自分の装備を確認する。
軽量の防具に、いつもの改造不壊木刀。場違い感が半端ないから、そろそろちゃんとした武器も準備した方が良いかもしれない。
そこまで必要性を感じないが、普段着や木刀だと親切な先輩探索者が戒めの声をかけてきてくれるので、ちょっと大変だ。
いや、優しさなんだろうけど、上から目線で呆れられたように言われ続けるから、だんだんと煩わしくなってきた。
「今日のルートは、5階層までは駆け足で抜けて、6階層は軽く偵察。7階層で本命のタマムシ狩りって感じで行こう。本番は明日だな」
「了解っ」
昼を越えてからの探索だから、そこまで時間があるわけではない。
桜のペースを考えると、最短ルートで7階層まで行ったとしても、三時間くらいはかかると思う。
タマムシを倒すのは一匹で十分だけど、そもそもタマムシを発見するのにどれくらいかかるか分からないから、時間的な余裕は多くはない。
前回、7階層を素通りしたときは見かけなかったんだよな。
「6階層の偵察って?」
「タマムシ狩りが終わったあと、6階層に出るぴょんぴょんするヤツを乱獲しに戻ってくる予定だからな。環境だけ先に確認しとこう」
「ぴょんぴょんするヤツ……可愛いのかな」
「見た目は割とゴツい。どちらかというとキモい」
「うーん、残念」
そんな他愛もない会話をしながら、1階層の洞窟を進む。初めて来たときは、スライム一匹にドキドキしていた桜も、今はスキップしそうな勢いだ。
この岡山ダンジョンの深度はまだ判明していない。
48階層まで攻略は進んでいるらしいけど、まだ終わりは見えていないそうだ。
その理由はいくつかあるが、一番大きいのがダンジョンの広さだろう。広いところでは一階層だけで数十キロメートル四方あるらしい。
階層毎は階段で繋がっているが、それぞれ別次元にあるのではというトンデモ理論も現実感があった。
ただ、階層全てを網羅する必要はなく、階段さえ見つければ次の階層に進むことができる。
岡山ダンジョンでは、5階層までは結構階段同士の距離が近いので、比較的簡単に進むことができるようになっていた。
「ゴブリンだね」
5階層に入ったところで、桜が小声で告げる。
視線の先には、小柄な体躯の子鬼が、鼻をくんくん言わせながら周囲を見渡していた。
何度も見慣れた、いわゆる雑魚モンスターだ。きっと桜の良い匂いを感じ取ったんだろう。ゴブリンは女性の匂いに敏感だ。
「どうする?」
「私がやる」
桜が一歩踏み出し、指先を前に向ける。呼吸を整え、魔力を指先に集める姿は、最初の頃と比べて格段に落ち着きがある。
「——<アクアボール>」
小さな水球が生まれ、一直線に飛び出す。水の塊がゴブリンを貫いた。ゴブリンは小さな悲鳴をあげ光の粒子となって消えていく。
静かに消えるゴブリンの残骸を見届けて、桜がほっと息を吐く。
「ふぅ……」
「今の魔法、前よりめっちゃスムーズだったな」
「ほんと?」
「うん。前は発動まで間が空いてたけど、今は意識と魔力の流れが揃ってる感じがする」
「やった! ひろくんに褒められるのが、一番嬉しい!」
小さくガッツポーズをする。足取りも軽い。
その後も、道中で遭遇するモンスターを桜が中心になって倒していく。
角ラビット、コウモリ、ゴブリン。どれも最初に相対したときは、おっかなびっくりだった相手だ。
でも今の桜は、魔法の射程と威力をきちんと測り、必要に応じて足を止めたり、位置を変えたりしている。
「ひろくん、右側の岩陰から出てくる」
「了解」
桜の合図の直後、ゴブリンが飛び出してくる。俺は一歩前に出て木刀で迎撃する……必要もなく、桜の放った水球がゴブリンの顔面を直撃した。
「ナイス」
「えへへ」
彼女の顔に浮かぶ笑顔は、自信という色を少しだけ帯びている。
5階層を三十分ほど歩くと階段のある広場に出る。俺たちはさらに下へと続く階段に足を踏み入れた。
◇
6階層——風の峡谷。
階段を降り切った瞬間、強い風が肌を叩いた。
目の前には、地面がむちゃくちゃな方向に割れてできた峡谷がいくつも重なっていて、その裂け目同士をつなぐように幅十メートルほどの道が伸びている。
まっすぐ進めばいいって場所ではなく、枝分かれした道がぐねぐねと絡み合った巨大な迷路みたいな構造だ。
ひとつ道を進むと、そこからまた別の裂け目につながっていて、その先にはちょっとした広場みたいな開けた場所がある。
広場と通路のセットが延々と続いている感じで、まるで大きな木の根が地面の中で何層にも広がっているのを上から覗いているような風景だ。
道の両側は吸い込まれそうなほど深い谷だ。
覗くと生暖かい風が一気に吹き上がってきて、体ごと持っていかれそうになる。落ちたらアウトなのは見なくても分かる。
風は常に吹いていて、壁をこするたびに低いうなり声みたいな音が響いていた。見上げれば青空に流れる雲の勢いもスゴい。
「わっ……」
桜が足元の石を小さく蹴り転がすと、谷底へと落ちていく音が聞こえた。カラン、カラン、と、途中で岩肌に当たる音が幾度か響き、最後は何も聞こえなくなる。
「高いね……」
「転落注意って看板があった理由がよく分かる」
入口付近の石柱に、ADA製の注意喚起看板が立っていた。「転落事故多発」「安全帯推奨」と赤字で書かれている。
景色だけ見れば観光地の断崖絶壁だけど、ここは魔物も出てくる。魔物との戦闘中に転落なんて事故も多そうだ。
五階層から六階層になっただけで、難易度がバカ高くなっている気がする。魔物の出現率が低いことだけが救いか。
「ここが、ぴょんぴょんゾーン?」
「そう。詳しくは後で。他の探索者もいるし、ここで立ち話してると邪魔になる」
風に乗って、遠くで誰かの掛け声や金属音が聞こえる。深い谷の向こうにある崖道を、別のパーティが慎重に歩いている姿が小さく見えた。俺たちも足を踏み出す。
「とりあえず、今日は地形の確認だけ。あいつと本気でやり合うのは、【豪運】を手に入れてからにしよう」
「うん」
慎重に足場を選びながら、前方へ進む。ついつい道の真ん中に身体が吸い寄せられてしまうが、仕方ないよね。
桜が時折吹きつける突風に体が煽られ、そのたびに足を踏ん張っている。怖がりながらも、目はしっかり前を見ていた。
途中、崖の影から岩トカゲのような小型モンスターが何体か飛び出してきたが、それも桜が落ち着いて水魔法で処理していく。
なんだか俺は何もしていない気がする。
「ふぅ……」
「足場が悪い中での魔法、よく頑張ったな」
「ちょっと怖かった。でも、楽しい」
「それは良いことだ」
途中の広場で一度休憩し、俺たちはさらに下の階段へ向かった。
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