第56話 帰還と余韻

 ADA岡山支所の救急フロアは慌ただしかった。


 搬送用の自動扉が開閉を繰り返し、ストレッチャーとスタッフが出入りする。八木と松本は別室で処置中。


 俺は装備の返却と簡単なヒアリングを済ませ、白い椅子に腰を下ろして、渡されたペットボトルの水を飲む。喉が乾いていたことに、そこでやっと気づく。


 ほどなくして、冴葉がやってきた。早歩きよりも少し速い歩行だけど、黒いローポニーはほぼ揺れていない。体幹が強いんだろうか。後ろには白雪さんの姿もある。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です。二人は?」

「命に別状はありません。松本は軽度の痺れがあと数日は残るかもしれませんが、後遺症は出ない見込みです」


 胸を撫で下ろす。よかった。


「王獣の牙メンバーは?」

「拘束中です。治安維持部へ引き継ぎました」


 ADAには、探索者——正確には恩恵ギフト所持者が行った犯罪行為に限り、尋問逮捕の権限がある。治安維持部はそれを担う部門らしい。


「ちなみに、ギルド全体への制裁に繋がりそうですか?」

「……正直、難しいです。彼のギルドには政治家とのパイプがあります。おそらく高度な政治的判断という建前で、潰されます」

「そうですか。世知辛い世の中ですね」

「全く」


 冴葉がタブレットに何かを打ち込み、顔を上げる。


「ですが、氷上蓮士の確保は助かりました。さらに殺害意図の証拠も確保済み。何らかの楔は必ず打つと約束しましょう」

「そんなに大物なんですか?」

「ええ。【王獣の牙】ギルド、ナンバースリー。幹部中の幹部です」

「ほえー」


 そこまでのヤツだったとは。飄々として軽い男というイメージしかなかったけど、人は見かけによらないものなんだな。


「なかなか尻尾を出さないというか——尻尾を力尽くで引きちぎっていく男でしたので、今回の証拠保全は助かりました」

「まぁ、それは俺じゃなくてイルミネーターのお陰ですので」


 白雪さんが、俺の足元に置いてある黒ケースを指さす。


「そのイルミネーターですが、ここで再設定に回しますね。初期化してからお渡しします。各種装備一式、綺麗に使ってくれてありがとうございました。助かります」

「新品汚すの、ちょっと気が引けますから」

「次は遠慮なく汚してくださって構いません」


 白雪さんが苦笑する。場が少しだけ柔らかくなった。


「柴田さん」


 背後から声。振り向くと伊達が立っていた。ネクタイを少し緩めているが、顔はいつも通り涼しい。


「救助、感謝します。報告は受け取りましたので、今日は帰って休んでください」

「分かりました。必要なら、また呼んでください」

「……ありがとうございます。申し訳ないですが、お呼びすることになるかもしれません。

 サンダー・ベル、対峙してみてどう感じました?」

「うーん……特には。気持ち悪いなぁ、程度でしょうか」


 あの触手がウネウネするのは、生理的な嫌悪感を感じたなぁ。もともとクラゲが嫌いだからってのもあるかもしれないけど。


「……なるほど。今夜、サンダー・ベルへの対策会議をやることになりました。討伐の可否や編成はそこで決める予定です。また連絡させてください」

「分かりました」


 言外に討伐には俺も呼ぶという可能性を匂わせてくる。まぁ、乗りかかった船だから、仕方ない。

 俺が頷くと、伊達がわずかに顎を引いた。


「ありがとうございます」


 会話を切り上げようとしたタイミングで、別室の自動扉が音を立てた。八木が松葉杖を脇に挟んで出てくる。身体の至る所に包帯が巻かれ、顔色はまだ白いが目はしっかりしている。こちらに気づくと、真っ直ぐ頭を下げた。


「助かった。本当に。松本も感謝している……ありがとう」

「よかったです。無茶はしないでくださいね」

「お互い様だよ」


 八木は苦笑して肩をすくめた。


 救急フロアのスピーカーが小さく鳴り、入退室の通知音が続いた。人の足音、消毒液の匂い、機械の作動音。現実感が、急に戻ってくる。


「じゃあ、俺は帰ります」

「送迎は大丈夫ですか?」


 と白雪さん。


「大丈夫です。車、置いてあるんで」

「では、運転には気をつけて。余韻で判断が荒くなることがあります」


 立ち上がると、冴葉が一歩だけ近づく。


「……本当に、助かりました」


 短く、それだけ。きっぱりした声なのに、暖かさがあった。俺が若かったら速攻惚れてしまうやつだな。


「また何かあれば」

「はい。——お帰りの前にひとつ。携帯の電源、切らないでおいてください」

「うわ……なんかフラグみたいですね」

「現実的なお願いです」


 冴葉の真っ直ぐな目に、思わず苦笑いで返す。

 ビルから出ると、太陽は既に真上を通り越していた。ポケットからスマホを取り出して、桜へ電話をかけようとして、手を止めた。まだ教習中だったら悪いな。


 結局メッセージアプリで、「戻った。これから迎えに行くね」と、一文だけ送ることにした。すぐにスマホが震えて「了解」のスタンプが返信される。続いて、拳の絵文字と、小さなハートがひとつ。心がほっとした。


 ◇


 ADA岡山支所を出た足で、そのまま教習所へ向かう。桜は既に仮免までいっているので、あと少しで卒業だ。大学の入学式に間に合いそうで一安心である。


 これで間に合わなかったら、探索者が足枷になっているのではと父親に睨まれるところだった。セーフ。


 教習所は、外来向けの駐車場が少ない。基本、免許がない人達が来る場所だから小さいんだとは思うが、迎えを考えるともう少し大きくてもいいのではと思う。


 運良く駐車スペースがあったので、そこに愛車を滑らせた。


 夕方の教習所は、教習車のヘッドライトの列がゆっくり流れていている。窓を開け、エンジンを切ると、外からの風がやわらかく入ってくる。

 夕方の風だが、ちょうど良い暖かさだった。もう、春だ。


 ほどなくして、教習車が一台戻ってきた。上手に教習車用の駐車場に停車して、運転席から桜が降りてきた。

 教官に頭を下げて、こっちへ手を振る。表情は明るいけど、目の奥で少しだけ俺を探るみたいに見てくる。


「お待たせ」

「おかえり。お迎えに上がりました」


 ドアを開けて乗り込む桜。シートベルトのカチッという音がして、桜がじっと俺の顔を見てくる。近い。くりくりな瞳にかかる長い睫毛まで、しっかり見える距離だ。


「どした?」

「……ケガは?」

「ないよ。擦り傷一つなし」

「ほんとに?」

「ほんと」


 三回目でようやく桜の肩から力が抜けた。小さく息を吐いて、うなずく。


「救助は?」

「成功したよ。ちょっとケガしてたけど、後遺症はないって」

「よかった。……迎え、ありがとう」

「うん」


 自然に笑う。コンビニで買ってきたミネラルウォーターを差し出すと、桜はキャップを回して、勢いよくひと口飲み込む。


「ぷはっ。生き返った。もう心配し過ぎて教習ミスばっかりだったよ。あ、もちろん大丈夫って信じてたよ! でもそれとこれとは別というか」

「はは。それは大変だったな」


 車を発進させる。教習所の敷地から道路に出るところで一度停止。ウインカーを出すタイミングを、桜が横で確認しているのが分かった。


「なんで全部の信号に右折信号作らないんだろうね? ほんと右折怖い」

「対向車が突っ込んでくるからね。ゆっくり余裕もってやればいいよ」

「私、声、出してた。教官に『実況うまいね』って褒められた」


 必死になって実況しながら運転をする桜を思い浮かべる。可愛い。

 先の信号が赤に変わる。隣に勉強熱心な子が乗っているので、しっかりと車間距離を取って停まった。


「じゃあ俺の助手席でも実況よろしく」

「助手席は……甘やかしてほしい」


 桜がほっぺを小さく膨らませながら、そっぽを向いた。髪を束ねている桜色のシュシュが揺れる。黒のローポニーもいいけど、やっぱりこっちが一番だ。


 信号が青に変わる。車を流れに乗せる。


「で、ひろくんは?」

「まぁ色々あってだな——」


 軽く今日の出来事を説明する。救助、サンダー・ベル、王獣の牙。数時間の依頼だったが、結構密度は高かったな。桜は目を丸くしたり心配そうにしたり、忙しそうだった。


「——ということで、向こうはこの後対策会議するんだって。だから今日はもう解散」

「……怖かった?」

「大丈夫よ。ちゃんと警戒はしたけど、危機感はなかったかな」

「分かった。大丈夫じゃない時は、ちゃんと言ってね」

「ああ、もちろん」


 俺の答えに満足したのか、笑顔で頷く桜。


「ごはん、どうする? 心配したからお腹すいちゃった」

「そういえば俺も昼抜きだわ。がっつり行くか」

「うん。焼肉行っちゃう?」

「じゃあ、明洞かひだやか」

「ひだやにしよう!」

「うい」


 ちょうど交差点に差し掛かるところだったので、焼肉店の方に曲がる。

 桜がそっと俺の肩に手を置いた。


「ね、免許取れたらさ。最初に行きたいとこ、決めとこうよ」

「どこか行きたいところあるの?」

「朝の海。寒いけど気持ちいいやつ。……で、ドーナツ」

「朝ドーナツ、了解」

「車をね、自分のお金で買おうと思うんだ。大福も乗れる車。だからダンジョン探索付き合ってほしいな」

「任せとけ。しっかり稼ぐポイントをリサーチしとく」


 実は、今回の依頼で【空飛ぶ大福】ギルドには結構な額の謝礼金が入っている。ギルドの収入だから、桜にも給料として入る。でも、桜が稼いだわけではないので、きっとそのお金では買いたくないんだろうな。


 自分の力でやるというお父さんとの約束を、しっかり守ろうとしているんだろう。なら俺は応援するだけだ。


「うん、ありがとう!」


 そんな感じで、ふたりの夜がゆっくり始まる。フロントガラスの向こう、街の灯りがぽつぽつ増えて、今日はいつもよりちょっとだけ、やさしい気がした。

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