第46話 拠点

 岡山の郊外は、空が広い。幹線道路から一本それると、畑と低い建物が続いているからだ。まぁ山が多いので、そこまでの解放感はない。


 前を走る白のセダン——白雪さんが運転するADAの車が、信号のある交差点を曲がり、ハザードを二回点滅させる。白雪さんの合図だ。


「ほえー」


 角を曲がった瞬間、思わず口が半開きになる。


 高級な低層マンションにしか見えない邸宅。三階建てで、外壁は明るい石質パネルで目地が細い。敷地は目隠し塀で囲まれていて、正面にはワイドなシャッターが設置されている。


 右手奥には、斜めに切り込まれた退避スロープがのぞいている。屋上にはガラス張りの手すり。温室らしき半透明の箱が少しだけ、わざとらしくない程度に覗いていた。


「マンション型の一軒家、ってこういうことか……」

「写真よりぜんっぜん実物がいい」


 桜が素直に感嘆して、車を降りてきた白雪さんが得意げに頷く。


「ですよね! 本当にオススメなんです」

「……そう言えば、白雪さんついてきて大丈夫だったんですか? 今日はずっとこっちにつきっきりになってますが……」

「ああ、大丈夫です。そう言えば、お伝えしてませんでしたね。柴田さん、柾木さんには、私が専属の担当として着くことになります」

「専属の担当?」

「まぁ、ぶっちゃけると稼ぐ探索者やギルドには専属で担当を配置することになっているんです。その方が円滑に探索をサポートできますからね」


 何かVIP待遇みたいになってきたけど……稼ぐ探索者はADAにとってもメリットの大きい存在になるということか。まぁ、今回の俺のオークションでも300億は手数料で奪っているわけだからな。


「というわけで、私の都合は全然気にしなくて大丈夫ですよ」

「なるほど……では、よろしくお願いします?」

「はい。お願いされました。では、まずはエントランスですね。ここは二重になっていて、外扉は顔認証、内扉は複製不可の物理キーか、ワンタイムQRで解錠できます。QRの発行はアプリで可能です。もちろん紛失、コピーは対策済みです」


 外扉のカメラに顔を向けると、ピッ、と短く電子音が鳴る。中間の小さなホールに入ると、壁の表示が桜のスマホにリンクして、緑色の大きなチェックが浮かぶ。二枚目の扉が静かに開いた。


「こちらは、ギルド【空飛ぶ大福】の受付となりますね」


 一階ホールは石の床に落ち着いた木目の壁でつくられていた。入ってすぐに上がりがまちがあり、そこでスリッパに履き替える。


 左が応接室と小さなカウンター、右にガラス張りの監視室。正面奥が、例のワイドシャッターへ続く通路だ。受付の壁際には、宅配ボックスのような黒い箱が二つ並ぶ。


「それ、ダミーです。間に“安全箱”が挟まっていて、受け渡しは非接触になります。箱と箱の間の空間にだけ、一定時間だけ開く投入口が出ます」

「直接手を入れられないわけですね」

「はい。全ての窓は反監視ガラスになっています。外からは中の照度を拾いにくく、レーザー集音はこのフィルムで拡散されます」


 白雪さんが壁のスイッチを一つ叩く。天井のどこかで微かなサーッという音が響く。耳にだけ感じるノイズが薄く流れて、鼓膜の裏で砂がこすれるみたいな感覚が走る。


「無音のホワイトノイズです。一階の各部屋、二階の一部に設置されています。防音対策ですね」


 無音と言っているが、俺の能力が高くなったせいか微かにノイズが聞こえる。気にしないレベルだけど、これはあんまり使いたくないなぁ。


「では、こちらへ」


 奥の扉前には、再び上がり框。そこで外用のスリッパに履き替え扉を通ると、内側はローディングベイになっていた。


 大型車一台がすっぽり入り、周囲には電動のテーブルリフトが置かれてある。荷物を上げれば、そのまま隣の倉庫にスライドするようだ。床には黄色いラインで停止位置、天井にはLEDのライン照明がいくつも走っている。


「ここで搬入出が完結します。天候も視線も関係無しですね。横の扉が医療室、向こうが監視室。医療室には簡易ベッド、心電、酸素、救急一式。監視室は二十四時間録画と監視カメラのモニターがあります。セキュリティとして、赤外線と熱源トラッキングも完備しています」

「病院のにおいがするね」

「消毒済みです。では二階へ。内部動線はこちらになります」


 一階の奥に、住人用の扉が置かれてあった。カードキーでタップすると、扉がスッと静かに開く。正面にエレベータのドア。左右の先は階段だ。右が昇り、左が下りになっている。


 階段を上がると、新築の匂いがした。

 二階は大きなリビングとダイニング、対面のキッチン。窓が大きいのに、外からの視線は入ってこない不思議な明るさ。奥にはガラス張りのラボのような個室。そして会議室に使えそうな個室があった。中には100インチは超えそうなモニターが壁に設置され、無垢の木で作られた机が鎮座している。


「こちらは完全防音となるので、会議室としても使えます。電波遮断、ホワイトノイズ、壁材は三重、防諜対策はこれ以上ないレベルですね」


 扉を閉めると、音が一段落ちた。耳鳴りが消えるタイプの静けさだ。天井の間接照明が柔らかく、机は大きすぎず、五、六人でちょうどくらいか。

 桜が壁をトントンと叩く。音が吸い込まれていた。


「ここなら、ロシアやイタリアの悪口言ってもバレないね」

「具体的すぎるな」

「ふふっ、冗談だよ」


 ガラス張りの個室は空っぽだった。

 リビングに戻ると、白雪さんが壁のスイッチに触れる。


「全館空調とオール電化、トイレは各階に一つずつ。浴室は三階ですね。プライベートルームは基本三階に集約してあります」


 三階はスイートが四つ。それぞれの寝室に小さな書斎がついている。あとは洗面脱衣室、バスルーム、トイレとあるが、どれも高級志向だ。廊下は短く、角が少ない。防犯の都合だろうか。


「屋上は最後に。地下に参りましょう」


 エレベーターに乗る。四人くらいが最大人員と思わせるエレベーターだが、動きは滑らかだ。

 地下の扉は重かった。入るとひんやりした空気が身体に当たる。


 まず広がるのは訓練室。小さな体育館くらいありそうな広さだ。床は何か特別な素材を使っているのか、踏むと衝撃が吸収される。かといって柔らかいわけではなく、ある程度の堅さは保持されていた。壁は吸音パネルで、天井はパンチングになっている。


「殴っても蹴っても叫んでも、地上には出にくい仕様です」

「表現が恐ろしいですね」


 俺が恐れおののいている隣で、桜がバットの素振りみたいな動きで、何回か足を踏んでいた。女性は強い。


「気持ちいい床だね」

「よかったな」


 隣は金庫室になっていた。映画に出てきそうな銀行の金庫の扉だ。中はコンクリ打ち放しで、ラックの下には荷重表示があった。


「スキルオーブ、カード、現金、文書、なんでも保管可能です。ここだけは、合鍵の管理が少しだけ厳しいので、後でお手続きください」


 まぁ俺には金庫より安全なインベントリがあるけど、共有で使う物とかは置いてもいいかもしれない。

 エレベーターの前に戻ってきたとき、突然白雪さんが姿勢を伸ばす。


「それでは、“警戒態勢”のデモをします。驚かないでくださいね」


 ピッ、とタブレットに指が落ちる。わずかな間をおいて、建物の至る所からガチャと金属と鉄の音がした。


 廊下の扉がシュッ、シュッと閉まる。天井のLED照明が控えめな赤に灯る。この家の管理アプリが警報を数度鳴らし、「安全モード」の表示になった。監視室から「警護回線、オンライン」という短いアナウンス。


 ものの三秒で家中が様変わりした。


「解除」


 白雪さんの一言で、空気がまた柔らかく戻った。


「もしもの時は、このモードをお使いください。シェルター並の堅固さです。——では屋上へ」


 最後に屋上へ向かう。


 上がった瞬間、風が頬を撫でて、ハーブの匂いが微かにする。擬装温室と紹介された箱みたいな小屋は曇りガラスに覆われ、中には本当にプランターが並んでいる。おとりを兼ねた換気装置だということだ。


 手前の四角いパネルがドローンパッドらしい。LEDのリングがふっと灯って、真ん中に白い十字。


「ADAの緊急ドローンです。救急セットやEPIペンの投下程度なら十八分圏内は可能です」


 視線を塀の中の庭に落とす。塀の内側、赤外線センサーの小さな黒い粒が等間隔にあるのが分かった。退避スロープは道路に直結していた。


「非常時には車両はここから即出られます。裏手の隠し門は、ちょっと面白い仕掛けですよ」


 隠し門は、本当に隠れていた。塀の外装パネルがスライドして、軽自動車一台通れる幅だけ、スッと開く。


「忍者屋敷だな」

「褒め言葉として受け取ります」


 一巡して一階の応接室に戻る。白雪さんが入れてくれたコーヒーの香りが部屋に満ちる。机の上には、タブレットが二台置かれていた。それぞれに『購入のお手続き』の画面が映っている。


「では、ここからが商談ですね。売主はADA連携の特別目的会社——要はADAの管理会社です。価格はご提示の三十億。……ですが」


 白雪さんが、咳払いをひとつ。


「今回多大な貢献がありましたので、装備メンテナンス三年分、ビーコンネットワークの通信費三年分を、売主負担にします」


 それがどれほどの価値かいまいち分からないけど、俺の資産的にはたいした差ではないだろう。やばい。どんぶり勘定が加速している気がする。


 桜が俺の袖をそっと引っ張る。目が大丈夫? と心配そうだ。

 俺は頷く。


「支払いは一括で」

「ありがとうございます!」


 契約は、驚くほどスムーズだった。


 特定事項の説明を受けて、重要事項にチェック。反社条項、瑕疵担保、設備引継ぎ一覧。電子署名は探索者カードで大丈夫だった。タブレットが俺の前に回ってくる。


「こちらで、決裁します。——はい、入金確認しました」


 白雪さんと俺の手元のタブレットにCOMPLETEと表示された。その裏には俺の口座情報が載っていたが、30億も使ったのに全然減っていなかった。恐ろしい……。


「マスターキーと管理アカウントの移行手続き、清掃等がありますので、引き渡しは……三日後でどうでしょう?」

「三日でいけるんですか?」

「全力を尽くしますので。鍵の引き渡しについては——と言っても、物理キーはスペア一本だけです。メインはこの“トークン”」


 手のひらサイズの黒い板。薄くて軽そうだ。


「これをポケットに入れておけば、顔認証と併せて二要素が満たされます。紛失時はアプリで即無効化できます。——動作確認、行きましょうか」


 外扉の前に立つ。ピッ。開く。

 内扉で桜のスマホが震える。ワンタイムQRが一回だけ光って、扉が音なく開く。

 靴を脱ぐ場所で、桜がくるりと回って、深呼吸した。


「ただいま」


 思わず俺も、続ける。


「ただいま」


 家になった瞬間、空気が変わった気がした。さっきまで、すごい物件だなと眺めていたものが、自分のものになっていく変な感覚だ。

 白雪さんが、そっと小さく拍手した。


「ご購入、ありがとうございます。——【空飛ぶ大福】の拠点、確保ですね」

「こちらこそ。……あ、白雪さん」

「はい?」

「ボーナス、いいやつ出るといいですね」

「出ないです! もう! 本当に!」


 真っ赤になって抗議する白雪さんを、桜と二人で笑いながら眺める。

 笑いの余韻が落ち着くと、白雪さんはすぐ“仕事の顔”に戻った。


「引越しについては、ADAの身元秘匿パックをご利用ください。トラックは匿名便、ルートは当日まで開示なし。安心安全は間違いなしです」

「お願いします。引っ越しの準備を……そんなに持って行く物はないかなぁ」


 服とパソコン、カメラとかのガジェットくらいだ。


「それでしたら、家具や電化コーディネーターに依頼してはいかがでしょうか。提携しているところ、ありますよ」


 何でもあるんだな。ADAって一体何の組織なんだと、本気で疑問に思った。


「じゃあ、それもよろしくお願いします。希望等は桜に聞くように伝えてください」

「えっ、ひろくん!?」

「俺のセンスじゃ微妙なものにしかならないからな。桜もここで過ごすことが多いだろ? 好きなようにしてくれて良いよ」


 さすがにピンクピンクしているのは疲れそうだけど、桜ならそんなことはしないだろう。多分……きっと……。


「——では、私はいったん失礼します。嬉しい悲鳴が出そうな片付けが、たぶんあると思いますので」


 白雪さんが軽く会釈して、にっこにこで去って行く。あれは絶対にボーナスが出る報告書を作るんだろうな。

 ひとり減ると、一気に静けさが出てくる。俺と桜は玄関前で顔を見合わせた。


「ひろくん」

「ん?」

「……私も、ここに住んでいい?」

「もちろん……と、言いたいところだけどな。保護者の許可をちゃんと貰えたらな」


 一つ屋根の下に住む男女。そこに何かが起こらないわけもなく……みたいな展開を期待しているわけではないけど——嘘。本当はちょっと期待しているけど、外から見ればいくらギルドメンバーといえ、そういう目で見られてしまう。


 桜の両親が許可するとは思えないから、ここに住むのは難しいと思う。だからこそ、ここで過ごす時には良い環境でいてほしい。


「うん。絶対に説得してみせるね!」


 両手を握りしめて、スゴく闘志を燃やしている桜を暖かく見つめた。

 この時の俺が甘かったと知るのは、すぐ後だった。

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