第44話 水瀬伊織、再び

 ノックが三回。白雪さんが「どうぞ」と言うと、ドアが静かに開く。


「防衛省特異領域対策局の佐伯佑真です」


 先頭で入ってきた男は、落ち着いた声で名乗りをあげる。細縁の眼鏡の優男といった感じだ。それでもしっかりと鍛えられた体つきだと、スーツの上からでも見て取れた。というか、やっぱりダンジョン最前線で活躍する人達は、ガタイがいい人が多い。


「特域局付特任尉官、水瀬伊織です」


 続いて入ってきた有名人に思わず目をむいた。桜を見れば、呆然と彼女を見上げていた。予想外の人物の登場にフリーズしてしまったようだ。


 以前受付ですれ違った時と違い、水瀬はダークネイビーのセットアップに白のインナー姿だった。


「今回はお招きありがとうございます」


 佐伯さんが軽く会釈する。


「今回のご縁、嬉しく思います」


 二人が一礼して席に着いた。


「柴田浩之です。こちらは柾木桜」

「よ、よろしくお願いします」


 桜の声が少し上ずる。ずっと憧れていた推しがそこにいるのだから仕方ない。普段とは違う桜の姿に、思わず笑みがこぼれる。


「それでは落札者確認からお願いします」


 何度も行っている段取りで、落札者確認、暗号キーの確認とスムーズに進む。これが普通だよな。イタリアとかロシアとかクセが強い人達の後だと、普通のことなのに素晴らしいことだと思えてくる。


「では、オーブ確認を」


 視線が俺に集まる。トートバッグから山吹色のポーチを取り出し、伊達に渡す。容れ物が雰囲気にそぐわない一品だったためか、佐伯の眉が動いたのを見逃さなかった。なんだか申し訳ありません。


「——確認しました」


 伊達と白雪さんの二重チェックの後、すぐに入金が完了し、ポーチは防衛省の方々に渡される。


「受領します」


 水瀬がポーチを両手で受け取る。ゆっくりと、ポーチから光り輝くオーブを取り出した。


「……光魔法」


 静かな一言。水瀬と佐伯が頷き合う。スキルオーブから光の粒子が生まれ、水瀬に吸い込まれていく。水瀬の身体が一際大きく輝き、すぐに元通りとなった。無事にスキルを修得したようだ。


「……なるほど。これが光魔法なんですね」


 両手に目を落としていた水瀬が、顔を上げる。その真っ直ぐな瞳には、強い自信が見て取れた。


「——<燐光>」


 突如、水瀬の周囲に数個の光の塊が生まれる。雪の結晶のように、キラキラと光るそれから、いくつもの光の針が発射された。


 俺は指先で空気を軽く押す。見えない光の壁を作るイメージだ。光の針は見えない壁に当たって弾け散る。小さな光の花火がいくつも舞った。


「水瀬っ!!」


 佐伯の怒声が響く。水瀬は肩をびくっと揺らし、慌てて魔法を消去キャンセルした。


「すみませんっ!」


 水瀬が机に頭をぶつける勢いで謝ってくる。突然の出来事の連続に、部屋の中の空気は置いてけぼりだ。


「本当に申し訳ありません」


 佐伯も同じように頭を下げる。


「いえ、一体どういうことでしょう?」


 突然攻撃されてびっくりする。まさか一番安全だと思っていた日本が、一番攻撃的だとは思わなかった。


「水瀬の恩恵ギフトの影響です」

恩恵ギフト?」

「はい。水瀬の恩恵ギフトは【戦乙女ヴァルキリー】。彼女に類い稀な戦闘スキルを与える希有な恩恵ギフトです」


 水瀬を表す厨二表現に新たなものが加わってきた。【戦乙女ヴァルキリー】に【水月鏡姫ウンディーネ】。かっこ良すぎだろ。


「ですが、デメリットも存在しておりまして」

「デメリット?」

「本人より上位の強者と認めた者に戦いを挑みたくなる——そんな強い欲求に支配されるようです」


 何その戦闘民族みたいな思考。


「訓練でもうコントロールはできるようになったと思っていたんですが、【光魔法】スキルの習得で興奮してしまって……」


 佐伯の解説を引き継ぎ、水瀬が申し訳なさそうに続ける。語尾がどんどん小さくなっていく姿は可哀想だった。いや、待て待て。俺はいきなり攻撃を受けたんだぞ。可哀想で片付けちゃ駄目だろ。


「本当に申し訳ありません」

「大丈夫です。気にしないでください」


 水瀬が改めて頭を下げたので、快く許してあげる。だって仕方ないよ。相手は大和撫子って感じの美人さんだもの。


「いかなる理由であれ、ダンジョン外でのスキルの行使は処分対象です」


 しかし、伊達氏からは厳しい指摘が入ってしまった。伊達は防衛省側、俺たち側と順に目をやり、眉間を押さえながらため息を吐いた。


「今回は被害者側の柴田さんが許されているので、私は見なかったことにします。ですが、我々と柴田さんへの借り一つとして覚えておいてください」

「相変わらず手厳しいな。だが、助かる。何かあれば言ってくれ」


 どうやら伊達と佐伯は知り合いのようだ。手慣れたやりとりの横で、白雪さんが「緊急警戒配備は解除」とインカムに流していた。魔法の行使は察知されるのかもしれない。


「本当に申し訳ありませんでした」

「まぁこちらを傷つける気がないのは分かっていたので、もう気にしないでください」

「そうなの?」

「うん。ギリギリ俺に当たらない範囲の攻撃だったし、そもそも当たる前に消失する魔力だったからな」


 光の針が射出されてからの魔力の減衰を見ると、多分到達する前には魔力が尽きて消えてしまっていただろう。今回は万一を考えて"壁"を作ったけど、その壁に当たった感触からも間違いはないと思う。


「……確信しました」

「はい?」

「やはり、あなただったんですね」

「ん? 何がでしょうか?」

「——いえ、これは私のことですので。お騒がせしました」


 何か勝手に自己完結してしまった。でも、こちらを見る視線に熱がこもっている気がするのは何なんだろうか。恋とか憧れとかではない、もっと剣呑な輝きだ。まさに獲物を狙う目。背筋がぞわっとした。


「それでは、以上で——」

「お待ちいただきたい」


 白雪さんの終了の合図を、佐伯が止める。


「柴田さん、柾木さん。お二人を取り巻く“状況”は、どこまで理解されていますか」


 佐伯さんの言葉に、俺と桜は同時に顔を見合わせた。


「状況?」

「……なんの、です?」


 ぽかん。たぶん今の俺の顔は見事なまでにそれだ。桜も同じ様な顔つきだ。


「端的に言います。ここ数日、国内外の諜報活動が急に騒がしくなっています。対象はあなた方」


 諜報活動。今までのファンタジーとは違った現実感のない言葉が飛び出てくる。


「スパイ映画みたいな、ああいう?」

「現実はもう少し地味で泥臭いですが」


 佐伯さんはタブレットを軽く横へスワイプする。


「昨夜、ADA岡山支所の窓ガラスにレーザー集音の痕跡。向かいのビル屋上に監視の跡。あなたの自宅周辺に、宅配を装った諜報員が二度巡回。近所のゴミステーションに監視カメラが置かれていました」

「カメラ……」

「本日、あなた方を追尾した車両が三台。車種はバラバラ、ナンバーはレンタカー。支所周辺での“乗り捨て”も確認しています」

「映画じゃん……」


 桜が小さく肩をすくめる。白雪さんが申し訳なさそうに続ける。


「ADA側も増えました。サーバに対する不正アクセス試行二十一件、受付への“偽の照会”七件、うち二件は外国の公的機関を装っていました。あと……ダンジョンカードの偽造をそれっぽく試みた人が一名。もちろん門前払いです」


 そんなことが起こっていたとは……。俺は額をかるく押さえる。


「……スマホにフィッシングっぽいのが来たけど、それも?」


 桜が画面を見せかけて引っ込める。


「……違いますよね。すみません」

「いえ、可能性はあります。もし今後も届いたら、転送していただけると助かります」


 佐伯は眼鏡を押し上げ、端末に短く打ち込む。


「というわけで、本題です」


 佐伯さんは姿勢を正す。声のトーンは落ち着いたまま。


「日本政府とADAは、連携してあなた方の保護に当たります」

「保護って、えっと……」


 桜が眉を寄せる。俺も同じ疑問を口にする。


「軟禁、みたいになるってことですか?」

「違います」


 佐伯さんは首を横に振る。即答だ。


「普段の生活を送ってください。学校も、買い物も、ダンジョンも。こちらは見えないところで警護します。目立つ警護警官SPがぴったり張り付くわけではありません。監視検知のルートを組み、必要な場所に静かにヒトとモノを置く。それだけです」

「それは……どうも」

「それと、対諜報機関向けの“目に見えない情報提供”を行います。あなた方の周辺で発生する不審な動き、怪しい連絡、差し出し主不明の荷物、そういったものを我々に渡してください。実力での対処は——失礼を承知で言えば——柴田さんの力で十分こなせるでしょう。組織的敵対行為についての対処は任せて頂いて構いません」


 実力での対処ってできるのか。まぁ、直接攻撃してくる分は大丈夫か、な……。


「もちろん、柴田さん、柾木さんのご家族にも秘密裏にケアします。こちらは、ご家族には内密にお願いします」

「わ、分かりました」

「お願いします」

「それでは、こちらを」


 佐伯さんが名刺大のカードを二枚取り出す。表面に電話番号だけが書かれている。


「何かあれば、こちらにご連絡を」

「じゃあ、こちらの連絡先も」

「結構です。もう存じておりますので」


 こわっ。個人情報保護はどこにいったんだろうか。


「柾木さんには、こちらを」


 伊達氏が小箱を取り出してきた。キーリングに見える、黒い薄型の何かだ。


「ビーコンです。三秒押し続けると、我々に情報が飛びます。バッグに放り込んでおいてください」

「ありがとうございます……?」


 桜が戸惑いの笑みを浮かべる。俺も同じだけど、これはありがたい。守る手段は何個あっても良い。


「では最後に」


 佐伯が声を少しだけやわらげる。


「もし今後、有効なスキルが新たに入手できましたら、ほんの少し優しく融通していただけると、大変助かります」


 ギブアンドテイクということですね。分かります。まぁ、タダより高いものはないって言うし、リターンを求められた方がすっきりする。


「分かりました。善処します」

「ありがとうございます。それでは、我々はこれで——」

「「あのっ」」


 俺と水瀬の声が被った。恥ずかしいヤツだ。どうぞ、と指し示すが、いえいえお先にどうぞと返された。


「水瀬さん。ひとつお願いがあるんですが」

「お願い、ですか?」


 俺は桜の方を見る。桜がきょとんとした顔で見返してくる。


「サイン、いただけますか。桜が、ずっとあなたのファンのようで」

「えっ、ひろくん。そんな」


 桜の耳がみるみる赤くなり、わたわたと手を振る。水瀬は口元をゆるめた。


「喜んで」


 会議室の空気がふっと明るくなった。水瀬が胸ポケットからペンを出す。ペンも濃紺。局章ピンと色が揃っていて、おしゃれだった。


「どこに書きましょう」

「こ、これで……!」


 桜が慌てて鞄からメモ帳を出し、水瀬に渡しに行った。


「お名前は桜さんで良いですか?」

「は、はいっ!」


 さらさらとペンが走る。書き慣れてそうだけど、サインを求められることって多いのだろうか。まぁ、美人で強い女性ということで人気が高いのも分かる気がする。


「どうぞ」

「……っ、家宝にします」


 桜が本気の声で言って、耳まで真っ赤だ。俺は笑いをこらえきれない。


「握手しますか?」

「ぜひ!」


 握手した手を掲げながら席に戻ってきた。もう手が洗えないよぉという独り言が聞こえた。


「私の番でよろしいでしょうか」


 そう言えば、俺と一緒のタイミングで何か言いかけたんだった。頷き、先を促す。


「今度、私とダンジョンに潜っていただけないでしょうか?」

「ダンジョンに?」


 どうしよ。一緒にダンジョンに行けば、俺の力の一端はバレてしまうよな。それの善し悪しはどうなんだろう。ステータス変更とドロップ確定だけ隠せば大丈夫か。あれは謂わばアクティブスキルだ。気をつければ大丈夫だろう。


「もちろん、桜さんもご一緒しましょう」

「えっ、いいんですか?」


 俺の逡巡に、何を思ったのか桜を巻き込んでくる。桜は憧れの人と一緒に行けると聞いて嬉しそうだ。控えめに俺を見上げてきた。くそう。弱点を明確に突いてくる——さすがランクエイトだぜ。


「……分かりました。タイミングが合えばご一緒しましょう」

「ありがとうございます。では、また連絡しますね」


 にっこりと頷く水瀬に、隣でため息をついた佐伯が、口を開く。


「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。——保護の件は本日から開始します。ADAの方でも共有を」


 佐伯さんが立ち上がり、名刺をテーブルの端に揃える。


「では——今日は良い受け渡し日和でした」


 佐伯が少し冗談めかして言い、席を立つ。すっと一礼して部屋を出て行った。水瀬も会釈して後に続く。二人とも音が出ない動きをしていたが、あれは訓練の成果なんだろうか。


「お疲れ様でした。以上で、本日の取引は終了となります」


 伊達が端末を閉じ、こちらに向き直った。


「この会議室は使えるようになっていますので、ご自由に。何かあれば白雪に言ってください」


 そう言い、席を立ち手を差し出してきた。


「今後もよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 俺と桜、両方と握手を済ませると、伊達は颯爽と会議室を出て行く。一つ一つの動きにキレがあるなぁ。


「終わったぁ」


 桜がもう一度席に着き、ぐだーっとテーブルに突っ伏し、伸びをする。色々あった上に、こういう場は初めてで肩肘を張っていたんだろう。


「お疲れ様。でももう一仕事あるぞ」

「えっ」

「白雪さん、少し時間ありますか?」

「ええ。ありますけど……」


 戸惑いつつ頷く白雪さんが、首を傾げた。

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