第43話 イタリアのイヤなやつ

 白雪さんがインカムで合図を送ると、すぐにノックが一回、間を置いてもう一回響く。扉が音を立てない速さで開いた。


 濃紺のスーツに細いタイの男だ。アスリートがスーツで着飾ったようなスタイルと、イタリア人という印象そのものの顔つき。口元だけ微笑に似た形を作っていた。


「国防省特任参事、ルーカ・ベネデッティ。お招きに感謝します」


 やわらかい声だった。この人も日本語を華麗に操っている。後ろに秘書か補佐官か、ひとり書類鞄を胸の前で抱えて立つ。


「まずは手順に従って——落札者確認を」


 白雪さんの声に従い、ベネデッティと名乗った男は胸ポケットからカードを出して、淡々と差し出す。端末を翳すと、小気味よい電子音が鳴った。


「電子暗号キーを」


 補佐官が薄い金属ケースを開け、小型端末を取り出す。伊達さんが端末で確認し、頷く。


「では、続けてオーブ確認を」


 白雪さんが俺に視線を送る。俺は頷いて、薄ピンク色の化粧ポーチを差し出した。伊達さん、白雪さんの順に確認される。


「ありがたい。まさしく求めていたものです」

「それでは入金を」


 伊達さんが決済ウィンドウを立ち上げる。ベネデッティがタブレットをタップし、入金完了。さすがに三度目になると、慣れてきた。伊達さんがポーチをベネデッティに渡す。


 ベネデッティは一礼の角度を正確に取ってから、慎重に受け取る。


「受領しました。多くの人に救いを——そう願っています」


 語尾は祈りだが、目は剣呑だ。器用というか、職業というか。ただの役人ではない気がする。


「それでは以上で——」

「お待ちを。あなたがこちらのオーブを?」


 ポーチを補佐官へ渡したあと、ベネデッティが両手を合わせるように指先を触れ、そのまま視線を俺に移す。


「……ええ、一応」

「なるほど。そちらの可憐なお嬢さんは、あなたの仲間ですか?」

「そうですが、何か?」


 なかなか話が見えてこない。わざと焦らしているのか、それともそういう話の仕方をする男なのか。


「結構。ところで、回復という言葉は、人の心を静める奇跡の響きを持つ。——それを扱うのは、神に選ばれし者である必要があると思いませんか?」

「思いません」


 あいにくと俺は無信教者だ。いや、都合の良いときだけ神様に頼る、都合良い信者か。そんな俺が回復系のスキルを得たとして、神に選ばれたとも思わない。回復スキルを使用できるのが、神に選ばれし者(笑)でなければならないとはもっと思わない。


「ほう……隣人と分かり合えないとは無念です」

「そろそろ時間ですので」


 大袈裟に、というか演技っぽく首を振るベネデッティ。何なんだよ、こいつ。白雪さんも同意見だったのか、退室を促す。


「おお、申し訳ありません。つい自分の話に集中してしまうんですよね。ところで、回復系のスキル、ほかには?」

「ノーコメントで」


 俺の答えに、ベネデッティの目がほんの少しだけ細くなる。


「神の奇跡は、人の手に余ります。正しい救済のために、あなた方が持つ回復に関するすべてのスキルオーブの提出を——神の名の下に、求めたい」


 補佐官がその言葉に合わせるように、鞄から紙束を出す。


「それは?」

「要望書ですよ。ミスターシバタ。我々イタリア政府と、ローマ法王庁からの、ね」

「ここでの提出はお断りします。本日の議題は、あくまで落札品の受け渡しです」


 伊達さんが淡々と遮る。ベネデッティは薄く笑い、今度は俺のほうを見る。


「失礼、ミスター・シバタ。あなたも受け取る気はないと?」

「ちょっとイタリア語は分からないので」

「なるほど……神の加護を失うことは、誰にとっても悲しいことです。事故には気をつけるよう忠告いたしましょう」

「ご忠告、どうも。あなたもお帰りの際は気をつけて」


 俺は明るく返す。桜が俺の袖を少し引く。目で「大丈夫」と返す。

 スッと席を立ったベネデッティは、振り返る前に桜に視線を移した。


「可憐なお嬢さん。もし、あなたのような若い方が回復スキルを持っているなら、保護が必要だ。神学顧問、医療顧問、警護。我々は包括的な支援ができる。窓口を——」

「窓口は柴田です。未来永劫、変わりません。それにそもそも私にそんなスキルはありません」


 桜が断言する。その強い意志が、言葉に宿っていた。だが、未来永劫とは……。照れるぜ。

 それでも、ベネデッティは微笑を崩さない。


「残念です。我々の救いを拒むとは……神は悲しむでしょう。あなたのような素敵なレディが修羅の道を歩むというのですから」

「質疑は以上でよろしいですか」


 白雪さんの声は、固かった。

 ベネデッティはゆっくりと頷いて、ドアに向かい——彼はもう一度だけ振り返った。


「神は見ている。——事故には、本当に気をつけて」


 脅しを含んだ、祈りの形。これだから宗教家はイヤなんだよな。神の名を語れば、何でも許されると思っている。


「良い取引でした。あなたも気をつけて」


 俺は笑って答える。俺たちに手を出すということは、反撃を覚悟しろよという思いを込めて。

 扉が閉じて、静けさが戻る。

 桜が息をひとつ吐く。


「……イヤな感じ」

「でも、大丈夫ですか? 相手は巨大な組織ですよ」


 桜の感想に、白雪さんが心配そうな声を上げる。


「まぁ何とかなると思います。でも、イタリア旅行は止めておこうかな」


 俺の考えている桜強化計画が上手くいけば、あの程度の敵なら何とでもなると思う。でも、集団って怖いからなぁ。特に大きな組織が相手となると、いろいろと日常生活を送るのも大変そうだ。


「大丈夫です。後で話に出ると思いますが、日本そしてADAはあなた達を保護しますので」


 伊達が断言していた。


「保護?」

「その話は追々。それでは、最後の取引といきましょう」

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