第42話 ロシアのイヤなやつ
ノックが二回。
白雪さんが「どうぞ」と声を掛けると、扉が静かに開いた。
最初に入ってきたのは、濃いグレーのスーツの男。少し小太りの男で、目だけがよく動いていた。
「ロシア連邦迷宮庁国際連携局次長、アレクセイ・ヴォロノフ」
名乗りは滑らかで、声が平板だ。さらにもう一人、男が入ってきた。おそらくこの人がランク3——イワン・ムラトフだろう。
背は俺より少し高いくらいで、身体に厚みはないのに硬い雰囲気がある。髪は短く刈り上げ、額には稲妻みたいな傷跡がある。頬はやや削げていて、顎の線が真っ直ぐだ。目は薄い灰色。
氷というより、乾いた石の色に近いと感じるのは、動きが極端に少さいからだろうか。ダークグレーのスーツは皺が出にくい生地で、白いシャツにネクタイなし。無駄が一つもない着方をしている。
「本件、我々の手順で進めたい」
挨拶もほぼ無しに、ヴォロノフが腰を下ろす前から言った。
「国家安全保障に関わることだ。端的に言えば、キミたちを信頼できんのだよ」
突然、何言ってんだこのオッサンは。流暢な日本語で喋ってはいるが、意味が分からなかった。
伊達さんの眉がわずかに上がる。
「本件はADA標準手順で運用しています。各国間の多国間監査合意に基づくものです。検査工程は非接触で二重確認、監査員も二名、運営主体は出品管理国。例外は認められません」
「例外は、常に存在する」
ヴォロノフの口角が、ほんの少しだけ動いた。
「なに、我々が確認し、正当と認められれば金は支払う。簡単なことだろう。改竄の余地は減り、あなた方にとっても利益だ」
「……改竄って、あの人失礼ですね」
桜が小声で不満を呟く。
「……難癖つける隙をさがしてるんじゃないかな? 安い買い物ではないし」
それにもしかしたら、こちらに落ち度を作らせて、何か要求してくる気かもしれない。なんかヴォロノフってヤツは小者くさい顔つきをしているし。
「手順変更には、事前申請と相互合意が前提です。本日は申請がありません」
「緊急案件だ。手続きは事後で良い」
「良くありません」
伊達さんとヴォロノフが互いに譲らないと、声をあげる。いい加減にしてほしいなと思っていたら、ヴォロノフがニチャァと笑い「イワン」と一声かける。
ムラトフが半歩だけ前に出た。背は高くないのに、身長以上に大きく見える。ムラトフの細い目が見開かれた。空気が一段重くなる。視線が、まっすぐにこちらを射貫いてきた。
息を飲む音が、誰かの喉で小さく鳴った。伊達さんの身体が、ほんのわずかに引き気味になる。
殺気を向けてきているだけだが、物理的に圧を押しつけられる感覚なんだろう。それがランク3のステータスってことか。俺には全く効かないけど。桜に害が及ばないように、こちらも少しやり返す。部屋のどこかでぱきりと音が鳴った。
「進めましょう。こちらの段取りでいきます。ご不満があるならキャンセルをどうぞ。キャンセル料と手数料は頂きますけどね」
俺は何食わぬ顔でグリーンの化粧ポーチ——これも可愛いキャラクターがついている——を取り出し、ファスナーを滑らせた。
「……仕方ありませんね」
ヴォロノフが苦虫を噛みつぶしたような表情で舌打ちをする。思う展開に行けなかったんだろうが、キャンセルはできないし、したくないだろう。なら最初から素直に決められたルールでやるしかない。
ヴォロノフの視線を受け、ムラトフが殺気を解いた。空気が緩み、白雪さんがほっと息を吐く。
「……では、落札者確認を」
伊達さんは何もなかったかのように仕事を続ける。この人、スゴいよな。ムラトフが殺気を実行に移せば瞬殺されるかもしれないのに、冷静にすべきことを成し遂げる。プロだった。
アメリカダンジョン局の時と同じように、ムラトフの探索者カードと暗号キーの確認が終わると、伊達さんと白雪さんによるオーブの確認が行われる。もちろん本物で、ロシアの二人はなんとも複雑そうな表情をしていた。極東の島国の、自分たちよりもレベルが低い奴らが、自分たちにできないことを平然とやり遂げることが悔しかったのかな。
「それでは入金を」
「……チッ」
ヴォロノフが荒っぽく端末をタップする。俺のモニターにCOMPLETEの文字が表示された。あざっす。
「確かに」
千億貰えるんだ。相手がどんな態度でこようが、こちらはにこにこである。だから、しっかりとにこやかに笑顔でお礼を伝える。
伊達さんが化粧ポーチをムラトフに渡す。ムラトフはそれを一瞥すると、すぐにオーブを使用した。淡い光がムラトフを包む。光が晴れると、仏頂面で頷く。
ロシア語で少しやりとりをする二人。ヴォロノフが席を立ち、こちらを一瞥することなく部屋を出て行った。
そのままムラトフも出て行くかと思ったが、逆に一歩だけ前へ出て、短く口を開く。
「Американцы любят говорить. Мы — делать.」
ロシア語で、それだけ言うとそのまま踵を返し、扉が静かに閉まった。
俺は頷いた。
「全くわからん」
「多分……アメリカの人より我々の方が動く、みたいなニュアンスだと思う。ひろくんがアメリカ寄りにならないように忠告したんじゃないかな?」
「えっ、桜、ロシア語も分かるの!?」
驚きなんですけど。俺、英語すら全然駄目なのに……言語は日本語とボディランゲージしか扱えないのです。
「ううん、簡単なところだけだよ」
「いいえ、あれを理解できるなら十分でしょう。アメリカを敵視してますからね、あの国は」
白雪さんが、にっこりと桜を褒める。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「いえ、ありがとうございます。伊達さん。お陰で無事に取引ができました」
先ほどのロシアの難癖については、伊達さんが謝る必要はない。とりあえず、俺の中ではロシアは敵認定しておこう。あいつら面倒くさそうだもん。
「どうでしょう? 一度、休憩を取りましょうか?」
まだあと二カ国との取引が残っているが、そんなに疲れてはいない。桜を見ると、軽く頷いてきた。
「いえ、大丈夫です。一気にやっちゃいましょう」
「分かりました。では、次は【回復促進】——イタリアですね」
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