第40話 朝の衝撃

 俺の朝は早い。


 本当はゆっくり寝たいが、年を取ったせいか朝早くトイレに目覚めることが多くなり、そこから二度寝ができなくなってしまった。悲しみの老化現象だ。


 今日も今日とて七時過ぎには目覚めてしまい、二度寝を目指してゴロゴロしている。

 寝たくないと思うときは眠くなるのに、寝たいと思うときは全然寝られない現象、何て言うんだろうな。


 それでももう八時になっていた。ベッドからのそのそと這い出し、そのまま洗面所に直行。洗顔や歯磨きを終わらせリビングに行くと、窓から差し込む朝日が、明るく木目のフローロングを照らしている。


 大きな欠伸をしながら、伸びをする。ステータスが上がり、全身が若く引き締まったのに、コリは出てくるんだなぁ。

 首をコキコキさせていると、玄関のチャイムが二回鳴った。


「ひろくん、開けて!」


 扉を開くと、桜がスマホを掲げたまま突っ立っていた。白いブラウスに薄いカーディガン。朝から可愛いなぁ。目がいつも以上に大きくなっていた。背後で桜のお母さん——椿さんが高級車で去って行くのが見えた。手を振る椿さんは元気そうで何よりだ。どうやら桜を送ってきてくれたみたいだった。


「どうした、落ち着け」

「それどころじゃないって! 見て、ほら!」


 桜が俺の顔にスマホをぴたっとつけてくる。それじゃ全然見えないぞ。

 テーブルセットの椅子に腰掛け、スマホに目を落とすとADAの探索者アプリが開かれていた。


 そういえば、今日のゼロ時がオークションの締切だったな。桜には俺のIDを教えていたので、俺のオークションの出品情報を深く知ることが出来るようになっている。


 光魔法スキルオーブ / ★ / 105,742,000,000 JPY / US-G-AR5AVPUB

 光魔法スキルオーブ / ★ / 104,918,000,000 JPY / JP-G-96AF6ZAJ

 光魔法スキルオーブ / ★ / 106,365,000,000 JPY / RU-P-NKJG6Y8R

 回復促進スキルオーブ / ★ / 597,000,000 JPY / IT-G-HN54FYXB

 物理耐性スキルオーブ / ★ / 791,000,000 JPY / US-G-AR5AVPUB


「おっ、ちゃんと落札されてるなぁ。でも100億か……最終日伸びなかったけど、それでもすごい金額だよな」

「違うよ!! ちゃんと見て! 100億じゃなくて、1000億、せ・ん・お・く!! それがみっつ!!!」

「はぁ!?」


 何度数えても、確かに12桁の数字の列がある。


「せんおく……」

「だよね!? ゼロの数、合ってるよね!?」


 自分のスマホを取り出し、ぽちぽちと計算する。


「……合計で3,184億」


 桜がソファに腰を下ろし、頭を抱えた。


「これ、ひろくんが出したオーブでしょ!? え、もう億万長者どころじゃないよ!?」


 桜はさんぜんおく……はぁぁぁ……と現実感のない声を上げ、天井を見上げた。


「おおおおお落ち着け。まだ税と手数料が引かれてないぞ」

「うん。手数料と税を引いてもざっくり2500億は残るよ」

「にせんごひゃくおく……」


 全く現実感のない金額だ……。


「ん? 2500億? 3000億オーバーが?」

「手数料が1割、ダンジョン税が1割、合わせて600億近く取られちゃうんだね」

「恐ろしい世の中だな……」

「まぁ、こっから所得税とかは取られないから、2500億は丸々ひろくんのものだよ」

「2500億かぁ……何が出来るんだろう? 自分でドーム球場作れたりできるかなぁ」

「余裕だよ。なんならエスコンの建設費が600億らしいから、4個くらい建てられるね」

「凄まじいな……てか、よくエスコンの建設費なんて知ってたな?」


 エスコンフィールド。数年前に北海道に建設された新しいドーム球場だ。一度は行ってみたいと思っている。


「え? あ、いや、たまたまだよ! 別にひろくんが野球好きだから話題合わせられるようにチェックしてたとかじゃないからね! 勘違いしないでね!」


 なんか一気にまくし立てられたけど……。可愛いやつめ。


「ん、落札者情報も出てるんだな」


 指でスライドすると、内訳が表示された。


 ADAのオークションは、扱う内容がアーティファクトということもあり、出品者には落札者情報が表示されるようになっている。オークションを利用する人など外部からはADAが発行するIDしか見られないが、IDだけでもある程度の情報は分かるそうだ。


「光魔法は日本の防衛省、アメリカのダンジョン局、それにロシア人のイワン……ム、ムラ……」

「イワン・ムラトフだね。この人個人で落札してるよ。さすがトップランカー、稼ぎが違うんだろうね」

「知ってるの? このロシア人」

「もう、本当にダンジョンに興味なかったんだね。イワン・ムラトフ。ランク3位の探索者だよ」


 ランク上位となると、千億単位のお金もぱっと使えるようになるのか。探索者ドリームって本当にスゴいんだな。


「物理耐性もアメリカダンジョン局が落としてるんだなぁ」

「ニューヨークのダンジョン探索が上手く進んでないらしいから。出てくるモンスターの攻撃が半端ないらしいよ」

「それで少しでも耐性を上げたいのか……でも、未知のスキルをよく買う気になったよな」


 一応出品の段階で、ある程度のスキルの効果を説明してある。でも、スキルの効果は、実際にスキルを得ないと理解できないものだ。出品者が本当のことを言っているのか判断はつかないはずだけど、それでも入手しようとするのはスゴいな。


「引き渡しの時に、ADA職員によるスキルオーブ確認を実施するようにしてるからね。そこでスキルオーブの名前は確定できるわけだから、それで十分と思ったんじゃないかな」

「まぁ、分かりやすい名前ではあるよな。回復促進はイタリア政府かぁ……」


「多分、バチカン絡みだよね。これ」

「だろうなぁ。宗教は分かりやすい奇跡を大事にするからね。回復は分かりやすい奇跡の手法だと思うわ」

「手法?」

「目の前で傷が塞がる。病気が治る。誰が見ても結果がはっきりするから、『祈りが届いた』っていう物語に直結させやすいだろ」


 桜は小さく頷いた。


「それに巡礼や救護の現場で、聖職者が“治す側”で動けるのは強い。人道支援としても、外交のカードとしても使える。各国に貸し出す形なら、縁も貸しも作れるしな」

「うわ……ちょっと現実的」

「善意と実利は同じテーブルに並ぶことが多いからなぁ。世知辛いよね」

「でも、回復促進って自分の治癒力を高めるだけで、他の人に効果が出るわけじゃないよね?」


 そこのことはしっかりと説明文に載せてある。やっぱり"回復"はいろいろな意味で重い。後でクレームを出されても後味が悪くなる。


「まぁ最大手の宗教派閥としては、回復に関するものは独占したいんじゃないかな? もしかしたら説明文以上のことがあるかもしれないと邪推して、それを他の人の手に渡すのはイヤだって思ってるかもしれないし」

「ふふ、ひろくんって宗教嫌いなんだね」


「そんなことはないけど……そういう意味じゃ、桜も回復系のスキル手に入れただろ? なるべく周りにバレないようにしないと駄目だぞ」

「宗教家に狙われちゃう?」

「うん。それもあるし……どこまでの力があるかなんて周りには分からないからさ。難病の治療や不治の病を治せなんて迫られても、お互いキツいだろ?」


 人は期待する生き物だ。勝手に期待し、その期待が叶わない時は逆恨みが生まれてしまうこともある。そんな醜いところに桜を置きたくない。


「……そう、だね。……でも、“治す”ってやっぱり好き。そういう力は、あるだけで救われる人がいる。私もひろくんに救われたから」

「そうか。桜が後悔しないようにやればいいよ。ケツは拭いてやるからさ」

「もう……せっかく格好良いこと言ってるのに、そのセリフで台無しだよ」


 桜がくすっと笑った。


「俺も後悔しないように全力で楽しむぞ。ということで二千億かぁ……何に使う?」

「想像できない金額だから、どう使えば良いか悩むよね」

「んーほしいものなら沢山あるけどなぁ。車とか新しいパソコンとか……あっカメラも新調したいわ」

「全部買っても、全然残るね」

「だよな」


 でも、他にお金の使い方を思いつかない。卓越した力を手に入れたこともそうだけど、他の人ならもっと半端ないことをしてるんだろうな。自分の小市民っぷりが残念でならない。


「まぁ、それがひろくんの良いところだよ!」

「そうかぁ?」


 お互いに顔を見合わせ吹き出す。まぁ、これくらいまったりしているのが良いかもしれない。


 ひとしきり驚き終えたので、渇いた喉を潤すことにする。俺は体脂肪が気になっていた時に購入していた黒烏龍茶を準備するが、さすがに桜にそれを渡すのは忍びない。キッチンのストックを眺めるが、残念なことにカフェオレしかなかった。


「桜、カフェオレで大丈夫?」

「うん。ありがとう」


 マグカップを受け取った桜が、ふーっと小さく息を吐いた。


「ひろくんはこれからもダンジョン探索続けて、オーブとかを売ったりするんだよね?」

「うん? そのつもりだけど」

「じゃあ、お金の管理とか考えたら、やっぱりギルドは早めに作った方が良いかもね」

「そうだよなぁ」


 この前、【影狼】ギルドの人の勧誘を断るときの言い訳に使ったが、改めて考えても必要なことかもしれない。

 俺ひとりでやっていくなら別になくても良いけど、桜と一緒にやろうとなったら、ギルドをつくった方がいろいろと便利そうだった。


「明日、ADAに行くから、その時白雪さんに聞いてみようか」

「うん……いいんだけど、また白雪さん?」

「そうだけど……どした?」

「べっつにー。どうせ男の人はああいう美人さんが好きなんだなぁって思っただけ」


 わかりやすく、ほっぺがぷくっとふくらんだ。表情がすぐ顔に出る。何この可愛い生き物。


「ねぇ、ひろくん。相談する相手って、身近な人から順にするんじゃないの?」

「身近な人にも相談してるよ。今のところ、俺の相談窓口は桜が一番最初だぞ。ギルドのことだって、桜と話をしたのが最初だし」


 【影狼】の黒渡は男だからノーカンだ。


「それはそうだけど〜……なんか、ひろくんの白雪さんポイントがずるい」

「ポイント制だったのか」

「いま10ポイントくらい」

「ルールがわからん……」


 桜がソファに座り直し、膝を抱えて俺を見上げる。


「……私にも頼ってよ。事務仕事するし、ダンジョンのことも調べるし、戦うし、裏方もがんばる」

「めっちゃ頼ってるよ。制度のことは白雪さんにお願いしようか、ってだけ。餅は餅屋って言うだろ。やっぱり得意分野を活かした方がいいしさ」

「得意分野、ね」

「うん。適材適所。で、桜の得意なことは——」

「——ひろくん係」

「急に強い肩書きが出てきたな」

「係だから、幅広いよ? おやつ、ごはん、スケジュール、あと迷った時の“うん”と“やめよ”担当」

「最後のやつは、マジで助かるやつだな」


 桜の頬がまだ少しふくらんでいるので、俺は手をひらひらさせた。


「じゃ、桜のポイント回復クーポンを使おう。今日の昼、俺が作っちゃる。どうだ」

「……プラス3ポイント」

「渋いな」

「えー、仕方ないなぁ。午後からは一緒に買い物に行く。これで5ポイントプラスしてあげよう」

「強かな交渉人ネゴシエーターだな。いいよ、何かほしいものある?」


 ちいさく笑って、桜はうーんと考える。


「おいしいスイーツ食べに行こ! カップル限定のお店があって行きたかったんだ」

「……それはハードルが高くないかい?」


 そういう店は若いカップルがいくものだと思うけど……まぁ、俺も外見上は若返りしてるから、ギリギリ行ける……か? いや、無理だろ。


「それで、いまの桜ポイントは?」

「うーん、一億万ポイントかな」

「い、一億万ポイント?」

「お昼ごはんが美味しかったらさらに十億万ポイントね」

「桁が違うな」

「大事なとこだから」


 笑って肩をすくめる。頼る相手が増えるのは、悪いことじゃないと思う。けど、いちばん近くて大切な相手はちゃんとここにいる。


「桜」

「ん?」

「今日は“ひろくん係”にたっぷり頼ることにするぞ。よろしく」

「はいはい。じゃ、まずは食材チェックからね!」


 結局、桜主導で昼食を作り、午後からは地獄のカップルカフェに行ってきた。

 感想は……まぁ、楽しかった、な。

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