第36話 新米探索者

 思った以上に神碑オベリスクが設置されている最初の小部屋で時間を潰してしまった。


 ただ、その成果は十分にあった。今の桜のステータスなら、余裕で5階層も突破できると思う。俺もまだ5階層までしか行ったことがないから、ここからは一緒にダンジョン攻略を楽しめそうだ。


 とは言え、いきなり突っ込むのも危険な気がするので、まずは1階層から3階層辺りでダンジョンやモンスターに慣れてもらおう。


「ドキドキするね!」

「お化け屋敷みたいだもんな」


 岡山ダンジョンの1階層は洞窟型だ。まさにダンジョンという言葉がぴったりな光景が目の前に広がっている。


「ふふっ、ひろくんお化け屋敷嫌いだったもんね」

「よく知ってるな」

「前、ひろくんが言ってたんだよ。でも、一人でダンジョン行くの怖くなかったの?」

「いや、さすがに大人だからな。行く必要があるなら、お化け屋敷でもダンジョンでも行けるだろ」


 出来れば避けたいけど。


「じゃあ、今度お化け屋敷行こうよ! テーマパークの方の!」

「お、おう……いいけど……いいのか?」

「うん! 楽しみがまた出来たー! ありがとね、ひろくん!」


 それはデートというヤツではないだろうか。ふっ……緊張するぜ。とアホなことを考えてたら、半透明のゲル状のモンスターが、壁の隙間からぬるりと這い出てくる。青緑のゼリーみたいな身体が、微かに光っていた。


「おっ、スライムだ」

「これが……モンスター! 確かに気持ち悪いけど……動きおっそいね」

「油断しちゃ駄目だよ。噛みつかれたら痛いらしいぞ」

「え、噛むの!?」


 桜の声が裏返る。

 そういう噂は聞いたことがある。でも、余程のんびりしていないと噛まれることはないと思う。それほどまでにスライムの移動速度は遅かった。

 俺は苦笑しつつ、少し下がった。


「試してみるか。さっき覚えた水魔法」

「う、うんっ」


 桜が両手を前に出す。

 指先に魔力が集まっていくのが分かる。空気がきゅっと冷え、碧色の光の粒が凝縮し、手のひらの前に小さな水球が生まれた。


「――いけっ!」


 水球が放たれ、スライムの中心にある核を正確に貫く。

 水しぶきが弾け、スライムの身体がぶるぶる震えたあと、ぐにゃりと形を崩して消えた。


「……え?」


 桜がきょとんとする。

 静寂。

 残ったのは、飛び散った水滴の跡だけだ。


「倒したな」

「……今の、一発?」

「威力は十分。制御も安定してたし、危なげも全くなかった。初戦闘としては上出来じゃないかな」

「やった……!」


 桜の顔がぱっと明るくなる。

 それを横目に俺はスライムの痕跡を見やる。そこには既に何もなかった。


 桜がスライムを倒す前、スライムのドロップリストを確認し、全てドロップONにしておいた。しかし、何もドロップしなかったようだ。やっぱり俺のドロップ調整は、俺にだけ効果を与えるんだろう。


「ひろくん、次行こうっ! 次!」

「ああ。でも、あまりやり過ぎちゃ駄目だよ。また魔力が尽きちゃうからな」

「もう! 分かってるよ!」


 スライムを倒したあとも、桜のテンションは高かった。さっきまで緊張でこわばっていた肩が、すっかり軽くなっている。


「ねぇ、次の階、行ってみてもいい?」

「うん。まだ体力も魔力も十分だし良いかな。でも無理は禁物な」


 1階層の奥まで来ていたので、中央の大部屋に引き返す。1階層はそこに下の階層に降りる階段がある。


 長い階段を下ると、2階層の空気が流れ込んできた。


 ――ここは少し湿っている。

 岩壁の隙間から水が染み出していて、ところどころに小さな水たまりができている。

 水音がぽちゃん、ぽちゃんと響くたびに、桜の耳がぴくっと動く。


「……ここ、ちょっと寒いね」

「奥の方に地下水が流れこんで小さな池みたいになってるからね。湿度も高い」

「ふーん……じゃあ、水魔法が使いやすいってこと?」

「おっ、よく分かってるなぁ。そうらしいけど、俺は水魔法使ったことないから分からないのよね」


 環境の属性が影響を与える。ゲームではよくある設定で、武器の調整や使用魔法の選択にはしっかり考慮しないといけないが……まさか現実でも同じようなことをするとは思ってもいなかった。


 桜は壁際に向かって両手を構えた。


「……試してみてもいい?」

「モンスターが出るまで待とうか。魔力がもったいないぞ」

「はーい」


 残念そうな桜だったが、すぐに通路の先からざらついた音が聞こえる。黒い影――モグラ型の魔物、ディグルが鼻を鳴らして這い出てきた。鋭い牙、黒目がないぎょろっとした目。


 1階層とは違うモンスターだ。めっちゃ小さいけど。ほぼ親指サイズ。一寸法師と良い勝負をかましそうなモグラモンスターは、もう少し大きい姿だったら驚異だったかもしれない。


「出た!」

「落ち着け。さっきと同じ要領でいこう」


 桜の指先が光る。魔力が流れ、水滴が空中で合体していく。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 今度は三つの水球が同時に生成され、ふわりと浮いた。


「――いけっ!」


 放たれた水弾が正確に命中し、ディグルが仰け反る。さらに続けて二発。水の破片が霧となって散り、岩壁にぶつかって消える。


「……よし。完封だ」

「ほんとに倒せた……!」


 桜が目を輝かせる。


「さっきより魔力の流れが安定してるな。やっぱり環境が良いのかなぁ」

「えへへ、なんかね、魔力の流れが見える気がする」

「へぇ。才能があるのかな、やっぱり」


 恩恵ギフトと一緒に修得したスキルには、何らかのバフがかかるんだろうか? それとも恩恵ギフトが本人に一番適したものが与えられるから、それを扱うセンスをもともと持ち合わせているのか。


「それ、褒めてる?」

「めっちゃ褒めてる」

「やった!」


 小さなハイタッチ。ぱちん、と小気味いい音が洞窟内に響く。水魔法の影響だろうか。掌に触れた瞬間、桜の手が少しひんやりしていた。


 そのまま軽く2階層を探検し、3階層もささっと通り過ぎる。正直この辺までは大差がないからな。


 4階層に降りると、空気が少し乾いていた。

 壁の苔はほとんどなくなり、代わりに砂色の岩がゴツゴツと積み重なっている。地面には硬質な亀裂が走っていて、通路の先にはうっすらと砂煙が漂っていた。


「……なんか、さっきまでと全然違うね」

「この階層から、少し地属性が強くなるらしいよ。湿気がない分、水魔法は若干不利になるかもしれないなぁ」

「うわ、それ聞くとちょっとやだなぁ」

「まあ、練習にはちょうどいいと思うよ」


 言葉とは裏腹に、桜の緊張は完全に解けていた。むしろ探検気分が勝っているようだ。まぁ、この階まではこれで良いか。初心者の壁は次の階からだ。


 しばらく進むと、カチカチと硬い音が響いた。金属を擦るような、乾いた音だ。

 暗がりの奥で、岩の塊みたいな影が動いた。


 厚い甲殻に覆われた虫のような魔物――岩甲虫ロックビートルというらしい。サイズは中型犬くらい。足が六本、背中の殻は石のように硬そうだ。


「うわ、あれ虫!? でかいんだけど!」

「確かに気持ち悪いけど、スライムも大概だったろ」

「どっちもやだ!」


 桜が身を引く。

 その瞬間、岩甲虫が殻をこすり合わせて低い音を立てた。警戒だ。こっちを認識している。動きがおぞましいな。こう背中がぞわぞわとする、生理的嫌悪感ってやつだ。


「桜、来るぞ」

「う、うんっ!」


 岩甲虫が突進してくる。その速度は意外と速い。ハイハイをし始めた頃の赤ちゃんくらいは速度が出ている。


 桜は両手を構え、反射的に水球を生成した。

 けれど乾燥した空気のせいか、弾丸の形が少し崩れてしまう。そのまま放たれた水弾は甲殻に当たるも、弾かれた。


「効かない!?」

「殻が硬い! でも、表面にヒビ入った! もう一発!」


 桜は息を吸い、魔力を流し込む。

 次の瞬間、生み出された水の塊が、弾丸ではなく刃の形に変わった。


 空気を切り裂く音——。


 細い水の刃が甲虫の脚をなぎ、岩の破片が飛び散る。動きが止まったところを、さらに一撃。水が甲殻の隙間に入り込み、内部で爆ぜた。

 大きな破裂音と共に岩甲虫の身体が崩れ、石のような破片だけが残った。


「……倒した……?」

「ああ。初の強敵……いや、硬敵・・撃破だな!」


 桜がへなへなとその場にしゃがみ込む。額にはうっすら汗をかいているが、笑顔が輝いていた。


「……ちょっと怖かったけど、気持ちいいね」

「新しい感覚だよな。俺も同じだったわ」


 それにしても、桜の応用力はスゴいな。水の塊だと無理だと分かれば、すぐさまその形を効果的なものに変える。型に縛られない原始魔法オリジンだからこそできる芸当だけど、それを初日で使いこなすセンスは羨ましい。


「でも、この感じなら4階層はもういいかな。本番の5階層行ってみようか」

「うん!」


 桜は立ち上がり、砂を払いながら洞窟の奥を向く。その背中は、もうすっかり新米探索者のそれだった。

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