第31話 震える夜と朝【世界】

――ワシントンD.C. 米国ダンジョン局(Department of Dungeon Affairs)


 夜の首都は静まり返っていた。

 ポトマック川の水面が、ビルのネオンをゆらりと映す。


 ワシントン郊外にある国防総省ペンタゴン。その地下三階に存在する極秘フロアの管制室では、百面のスクリーンが青白く光を放ち、黙々と職員が情報を精査していた。


 室温はエアコンによって適温が維持されているにも関わらず、どこか肌寒さを感じる。


 そんな思いを抱きながら、若い分析官であるジェイコブ・モリスはコーヒーのカップを指先で転がしていた。

 徹夜続きで赤くなった眼の奥に、次の瞬間、異様な光が映る。


 ADA Japan Auction / Artifact / Skill / New Listing ×5


「……おい、今の見たか?」


 ジェイコブが、マグカップを落としそうになりながらキーボードを叩き、該当ページを拡大する。


「光魔法? 物理耐性は良いとしても回復促進……未発見のスキルオーブ……それがまさかの五件同時出品……だと?」


 裏返った声に、隣の上司――ノーラン副局長が振り向いた。四十代の元軍情報部員は、目を細めてモニターを覗き込んだ。

 深く刻まれた皺の奥で、灰色の瞳が鋭く光る。


「光魔法……? 原始魔法オリジンスキルがオークションに?」


 ノーランの顎の筋肉がわずかに動く。

 オペレーターが数名、椅子を軋ませて立ち上がった。


「フェイクだろ。そんなオーブ聞いたことがねぇ」

「主催はADA――日本支部ジャパン。裏オクでも民間サイトでもない」

「おい、誰がそんな真似を……」

「……本気かよ」


 室内の視線が一斉に集まった。


 背後のガラス壁には、米国国章と並んでU.S. Department of Dungeon Affairs(DDA《ダンジョン局》)の紋章。


 ダンジョン誕生以降、国土安全保障の一角として新設された国家直属の“異常領域”――ADAと協定を結びつつも、国家安全保障に直結する“独立行動権”を持つ機関だった。


「出品者IDは?」

「匿名です。暗号化されたワンタイム登録。ログはトンネル経由で分散。追跡は困難です。おそらくADA内部からの出品登録でしょう」

「オーダーは?」

「……全件、“★《シングル》”」


 部屋の空気が一気に冷えた。

 モニターの光が、誰の顔にも蒼い影を落とす。


「シングルを五連続……? 確率は……」

「理論上、ゼロに等しい」


 分析官が早口で返す。


「ふざけるな。シングルを狙って落とせる人間なんて――」

「存在するわけない。だが事実として、並んでいる」

「つまり……誰かが意図的に、シングルを作り出した」


 数秒の沈黙。

 上席官が立ち上がり、コートを掴んだ。


「国防総省に繋げ。日本政府経由でADAに照会だ。……すぐにだ」

「了解。プロトコル・レッド、起動します」


 ジェイコブは通信端末を操作しながら、小さく呟いた。


「……もし本物なら、世界が書き換わる」


 その言葉に、誰も反論しなかった。

 この日、世界最大の超大国が、静かに“未知”へ震えたのだった。




――東京・霞が関 内閣合同会議室


 翌朝八時。

 雨上がりの霞が関には、灰色の空の下で黒い車列が並んでいた。その車列を見下ろす巨大なビル群。そんなビルの一つに存在する省庁合同会議室には、朝から緊急電話で呼び出された政治家と官僚、そして防衛、外務、経産、ダンジョン庁の幹部たち。


 壁一面のスクリーンに、光り輝く五つの球体の画像が映し出されている。

 オーブは確かに“光”を放っていた。


 画像越しにも分かる柔らかな白光が、呼吸しているようなリズムで薄く明暗を繰り返している。

 そんな映像の下、会議卓はコーヒーの香りと、紙をめくる乾いた音と、騒然としたざわめきに支配されていた。


 各省庁からの連絡端末が断続的に鳴り、怒鳴り声で応答する。そんな光景が終わりを迎えたのは、防衛省事務次官である山吹が会議室に姿を現したからだ。


「アメリカからの緊急照会です」


 防衛官僚が硬い声で言う。


「ADAの公式オークションで、光魔法3件、回復促進、物理耐性のスキルオーブがリストアップされました。オーダーはすべて★《シングル》」

「……詐欺の線は?」

「ADAが主催しています。フェイクなら世界規模の信用問題になるでしょう」


 すなわち、詐欺は有り得ないということだ。

 その事実に、場は騒然とする。


「偶然で"★《シングル》”が五つ並ぶなんて起こりうるのか?」

「つまり、誰かが何かしらの操作をしている」

「なんでまた、ADAJで出品されたんだ? 日本人が出品者か?」

七雄セブンスか水瀬特尉が出所と聞いたが?」

「あり得ん。七雄セブンスに出向している職員も寝耳に水だ」


 政府中枢の役人達が、火のように言葉を交わす中、外務の若手補佐官が恐る恐る口を開く。


「米側は、“偶然ではあり得ない”と。シングルを意図的に作り出す存在がいる可能性を指摘しています」


 言外に日本はそれを独占する気かと、外交的な圧もかけられていた。


「情報が足りん。ADAは何をしておるんだ」


 空気が重く沈む中、秘書官が小声で告げた。


「ADA、大槻監理官と接続完了しました」


 モニターに現れたのは、冷静な目をした巌のような男――大槻。肩書きはADA日本支部の統括役だが、実質ADA日本支部の責任を担う男だ。そして、彼の背後には、伊達の姿もあった。


 浩之のオーブ出品により混乱が起こることを予知していた伊達が、大槻を岡山支所まで呼び出していたのだ。


「例の件については、こちらでも確認済みだ」

「本物なのか?」

「ああ。伊達と共に、当局の職員エージェントが、全件“真”と判定している」

「全て★《シングル》と聞いたが」

「間違いない。出品の際は、伊達も同席し確認している。データも添付している」

「出品者は?」


 一拍の間。

 伊達の目がわずかに細くなった。


「……把握済みだ」

「誰だ」

「柴田浩之という探索者。……監視リスト対象だ」


 会議室が一斉にざわめく。


「……山吹事務次官、柴田浩之とは?」

「……先日の特Sランクダンジョン発生そして消失。その現場となった居宅の住民だ。防衛省こちらの調査では平凡な公務員だったが、数日前に探索者登録をしたようだな」

初心者ルーキーが、オーブだと?」

「ああ、初心者ルーキーだ。その初心者ルーキーの名前が、神碑オベリスクのランキング1位に載っているがな」


 まるで出来の悪いホラー映画を観たかのように、会議室の温度が下がった。

 ごほん、とわざとらしく咳払いをした外務省の局長が椅子を軋ませた。


「その柴田某とやらが何者かは別として、出品を止めることはできなかったのかね? 日本人なら日本政府に提供を優先すべきだろう」

「止める権限などない」


 大槻の声は低く、しかし一切揺るがない。


「ご存知の通り、ADAは国際超法規的機関だ。我々は日本に拠点を置き、日本のために動きはするが、日本政府の管轄下には置かれていない、指揮命令系統が独立した組織だ。これは皆様方の方がご存じでは?」


 その言葉に、会議室の空気が一瞬で張り詰めた。

 官僚たちの顔に苛立ちが浮かぶ。

 しかし、大槻の表情は変わらない。


「つまり、政府が我々に『止めろ』と命じても、法的拘束力はないということだ」


 静かに、だがはっきりと断言する大槻。


「もちろん、我々は協力を惜しむつもりはない。だが、ADAが動くのはダンジョンが関与するものによって、"人類全体の利益"が脅かされたときのみ。この件は、今のところ“違法”ではなく、“異例”に留まると我々は判断している」


 誰かが舌打ちをした音が会議室に響いた。


「今回の一件、全て正規の手続きで行われた以上、我々としては職務を全うするしかない」

「正規……だと?」


 局長の拳が机を叩く。


「それで世界が混乱したら、責任は誰が取る!」

「――世界だ」


 大槻の瞳が、まっすぐにスクリーン越しの視線を受け止める。


「ADAは“対ダンジョンにおける人類の代表機関”だ。どの国家もそれを享受し利用している。つまり、これは“世界”が取る責任だ」


 会議室が凍りつく。

 誰もが口を閉ざしたまま、モニターに映る男を見つめる。

 誰かが、絞り出すように言った。


「――柴田浩之は、★《シングル》を作り出せるのか?」

「……三通りの解釈が可能です」


 大槻が後ろを振り返り、その視線を受けた伊達が答える。


「ひとつは、ドロップの段階で★《シングル》を引き当てる力。もうひとつは、既存のオーブを★《シングル》化する手段。そして、最後は――スキルオーブそのものを作り出す力」

「スキルオーブをつくるだと!? そんな神のような所業、あり得るものかっ!!」

「ええ、もちろんです。あくまでも可能性の話です。ですが、現実として未知のオーブを複数、それも★《シングル》を手にする力をもっているのは事実です。彼の存在は確実に、大きな注目を集めます」


「……つまり?」

「あらゆる手段を用い、彼を“確保”しようと動くはずだ。それは平和的な手段でないかもしれない。だからこそ、ADAは立場を保たなければならい。彼がADAの認定した探索者である限り、我々には保護の責務がある」


 局長が椅子の背にもたれ、苦い息を吐く。


「つまり……お前たちはそいつを見張るが、守りもすると?」

「ああ。それが正しい選択であると考えている。敵対することこそ、愚の骨頂だとな」

「ふん……くだらん、な」


 大槻の答えに納得の出来ない男は、だが口を塞いだ。会議室の空気が大槻の言葉に流されていることを鋭敏に感じ取ったからだ。変わって口を開いたのは、防衛省事務次官である山吹だった。


「……伊達君、教えてくれ。きみの直感で、柴田浩之は味方かね?」

「――はい」

「……そうか。ならば我々日本政府としては、彼の意にそぐわぬ行為は慎むとしようか。よろしいか、法貞局長?」


 山吹が静かに外務省局長に目を向けるに、彼は憮然と頷いた。


「では、ADAには今後も彼の行動を逃さぬよう、改めてお願いしよう。我々としても彼に警護をつけなければな。警察庁に連絡を」


 山吹の言葉で、再び会議室が慌ただしく動き始めた。


「事務次官、アメリカをはじめ、各国からの要請には?」

「……"確認中"とだけ答えておけ。どうせ向こうは勝手にやる。これだから日本ウチはスパイ天国と言われるんだ」


 山吹の愚痴が騒がしくなった会議室に消えていく。

 雨音が窓を叩いた。止んでいたはずの雨がいつの間にか降り始めていた。


「……嵐が、くるな」

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