第25話 油断

 突然だが。


 ダンジョンから産出されたアーティファクトの応用と現代社会の技術の融合は、現代社会に大きなブレイクスルーを起こし、様々な分野で革新的な技術の進歩が起こっていた。


 情報通信分野もそれは同様だった。


 地球とダンジョン内は次元か空間か時空か何かが違うようで、リアルタイムに連絡を取り合うツールがほぼ使用できない状況が続いていた。しかし、技術革新により、今ではリアルタイムに映像配信すらも可能となっている。


 既にダンジョン配信は、社会のスタンダードになっており、ダンジョン配信で莫大な資産を得る者も出てきている。


 ただ、ある程度の機材は必要となるようで、その機材を準備しない限り、ダンジョン内での通信はまだ難しい。


 なぜこんな話をしているのかというと、ダンジョンから帰還してスマホを確認してみると、旅行中の桜から連絡が来ていたからだ。


「あれ? 桜から?」


 スマホには桜からの着信が残っていた。この時間に連絡が来るのは珍しい。いつもは夜に定時連絡のごとく連絡が来ていたからだ。その日のあった出来事や写真、たわいない会話などを送ってきてくれる。可愛いやつだ。


 何度かの着信以外にも、メッセージアプリに連絡が来ていた。


『大河原がいる!』


 短いメッセージ。

 だが、異常を知らせるには的確なメッセージだ。


 すぐさま電話をかけてみるが、電源が切られているという応答音声が流れるだけだった。

 ぞわりとした不安がせり上がってくるが、それを無理矢理押し込み、他のメッセージにヒントがないか探す。


『玉造温泉、華苑』


 場所と……旅館の名前か?


 慌てて検索をかけると、超リッチそうな旅館が引っかかる。一泊十万は超える宿泊料は置いておき、住所を確認すると、ここから車で3時間はかかる距離だった。


 このメッセージが届いたのが、今から10分ほど前。

 今から車で向かっても、合流できるのは連絡が来てから3時間近く後ということか。時間がかかりすぎる。


 早足でホールを抜け出す。自動ドアが開く時間すら惜しく感じる。

 建物から出ると、そのまま駐車場には向かわず、人の気配が少ない裏通りに入り込んだ。


 周囲に人がいないことを確認し――【気配察知】スキルもないし、武道の達人でもない俺からすれば、この気配を探るという行為は難しい。が、別に見られてどうということはない、か。


「【光魔法】ステルス」


 呟くと同時に、身体が虹色の膜に包まれる。すぐに膜は粒子となり、うっすらと消えていった。


 両手を目の前に持ってくると、半透明になっている。

 これが【光魔法】の一つであるステルス――透明化の魔法だ。


 術者である俺からは半透明に見えるが、周囲からは完全に透き通って見えるはずだ。つまりは夢の透明人間になれる魔法。全人類が待望する魔法だった。


 【光魔法】のスキルオーブを使って、まず使えるようになったのが【ライト】の魔法だった。これは光を放ち光源を生み出すだけの魔法だったが、利便性は半端なくある。


 魔法を使うことが面白くて、それを使っては消して使っては消してを繰り返していると、次々と新しい魔法を覚えていった。


 そんな簡単に覚えるものなのかと思ったが、おそらく持ち前の魔力の多さ、無尽蔵な精神力――魔法を使うのに必要な力。所謂MPマジックポイントだ。これがあるから疲れ知らずに永久機関のように魔法を唱え続けることができる――さらには、高い知力があるおかげだろう。


 ところで、ここから玉造温泉がある島根県松江市までどう行くか。


 基本は、車で中国自動車道から米子道を通って北上するか、特急列車を使用するかどちらかだろう。列車の運行本数を考えると、車の方が利便性が高い。

 しかし、それでも数時間はかかってしまうし、渋滞に巻き込まれるとさらにロスが生まれる。


 なら、走るしかないよね。

 というわけで、この前覚えたステルスの魔法で透明化を果たしたわけだ。


 車道に飛び出て、跳ねるように走る車を追い越していく。

 時速80キロを超す車を簡単に追い越す。風圧で追い越した車が軽く揺れるが、そのレベルの被害に抑えられる速度を維持し駆け抜ける。


 強く踏み込めば道路を陥没させてしまうだろうから、力が伝わる前にさらに次の足を踏み出し、ある種の空中歩法を完成させていた。


 信号はジャンプで通り抜け、うねった道は真っ直ぐに突き進み、周りに車がないときは速度を上げ、道路交通法は完全に無視して突き進む。まさに直進。道がなくても関係ない。目的地まで最短で行ってみせる。


 これだけの速度でも走っても、全然体力が尽きない。完全に人間を超越している気がするが、今はそんなことを気にしても仕方ない。


 おそらく、大河原が大衆の面前で直接桜たちを害する可能性は少ないと思う。


 呪いという手段を使い、緩徐に手を忍ばせていたやり方からも、恐らく目的は桜家へのねちっこい復讐か、椿さんか桜を自らのものにするための自作自演か。


 これまでの手管からも、何かしらの復讐だった場合はゆっくりと苦しませることが目的だろうから、簡単には害を加えないと思う。


 それ以外が目的ならなおさら人前で手を出すことはしないだろう。

 目撃者がいる中で手を出してしまうと、警察やADAに追われることになってしまうのは明白だからだ。


 ただ、追い詰められた鼠は猫を噛む。簡単に大丈夫とは言えない状況なのも確かだ。

 一応保険はかけてあるが、悠長に行くわけにもいかない。


 焦るなと言い聞かせながら疾走はしる。

 辿り着いたのは出発してから僅か数十分後だった。


 ◇◆◇


——島根県松江市【柾木家】


 油断はあった。

 桜たち柾木家一行が日本一周旅行を始めて一週間。


 鹿児島から始まったこの旅は、一週間で大分、福岡、山口と四県を経由し、五県目の島根に入っていた。


 それぞれの場所で、ご当地の美味しいものを食し、絶景を満喫し、母娘で買い物を楽しみ――父親は荷物持ちと相場は決まっている――、温泉で身体を癒やしていた。


 一年近くも呪いに苦しんでいた椿にとって、自由に身体を動かせるということは、背中に翼が生えたようなものだった。


 苦しみが大きかったからこそ、その解放感も大きかった。


 だから今日も宿について早々に、日本家屋風の宿の中では異質な空間に思えるバーで、旦那である月遙つきはるとワインを楽しむことにした。娘の桜は温泉街を見てくると出て行っており、この場にはいない。おそらく浩之に見せる写真を撮りに行ったか、お土産でも買いに行ったのだろうと両親はあたりをつけていた。


 ソムリエによってブルゴーニュ型のグラスに注がれたワインは、泣き叫ぶ鷲として有名なカリフォルニア産の赤ワインだった。


 椿の細い指がグラスを廻しているのを、月遙は満足気に眺めていた。苦しんでいた妻が気丈に振る舞って笑顔を見せる度、心は荒れ狂うように痛みを感じていたのだ。


 あのおっとりとした青年のおかげで、そんな妻の笑顔が自分の好きな笑顔に戻ったことに感謝は尽きない。

 まぁ、愛しの娘がその男にぞっこんなのは別問題だが。


「ふふっ、顔が怖くなってるよ」

「ん? ああ、すまない。ちょっと考え事をね」


 月遙はゴホンと咳払いすると、グラスから香る芳醇な匂いに意識を移す。


「うん、良い香りだ」


 ワインの香りを味わったところで、少し口に含む。月遙はこの最初の一口が好きだった。鼻に抜ける香りが、心を穏やかにしてくれる。


 娘を奪っていくあの青年にも寛大になれそうだった。娘の結婚相手として、どんな男でも許したくない気持ちはあるが、娘の幸せを考えるとそうも言っていられない。


 ならば浩之はどうか。

 ほんわかした優しさだけが取り柄のように見えて、底知れぬ雰囲気をもつ青年。数十億、数百億の価値のあるものを平気で渡してくる豪胆なのか、粗雑なのか、アホなのか理解に苦しむ行動力。


 そして、他人事なのに全力を尽くしてくれるお節介でお人好しで芯の通った男。


 月遙個人としては嫌いになれない青年だ。だが、結婚相手となるとどうなのか。一番のネックは年の差だ。だが、探索者としての能力の高さは老いを凌駕するという。

 一説には、探索者の健康寿命は常人より長くなるのではないかと言われている。寿命に関しては常人の二倍になる可能性もあるようだ。


 そうなると年の差は考慮すべき点ではないのかもしれない。だが、まだ娘は18歳。結婚にはいくらなんでも早すぎる。


 月遙の思考がどんどん空回りしそうになった時、椿の声が届いた。


「良い子よね、あの子は」

「ぶふぉ!?」


 何を考えているかピンポイントで当ててくる妻の一言に咽せてしまう。


「本当、月遙くんって考えていること分かりやすいよね」

「むっ、そんなことはない。誰も浩之君のことなんて考えていないぞ」

「あら? 私は浩之くんなんて一言も言っていないけど?」


 くすくす笑ってワインを口に含む椿。ぐうの音も出ない月遙。最初から勝負になっていなかった。


「本当、桜はいい人を好きになったみたい」

「……まぁ、いい人なのは否定しない」


 さすがにそれを否定できるほど、月遙は子どもではなかった。


「だが、まだ結婚は――」

「お父さん、お母さん!!」


 月遙の言葉を遮るようにバーに入ってきたのは桜だった。静かなバーには似つかわしくない乱入者だったが、客が柾木家一行しかいなかったため、スタッフは眉を顰めるだけだった。


 よほど慌てて戻ってきたのか、出る前にはしっかりとセットされていた髪型が乱れている。


「落ち着きなさい、桜。ここは騒ぐ場所ではない」

「あいつがいたの! ああ、ひろくん出ない!!」


 忙しなくスマホをいじる桜。要領を得ない両親が眉を顰める。


「あいつ?」

「大河原!」


 その瞬間。衝撃と轟音。突然、バーの壁が崩れ落ちた。偶然にも壁の側にいたスタッフが、弾け飛んできた壁面の欠片に当たり倒れる。


 それなりの場数を踏んできていたのか。

 バーの店主は呆けたように崩れた壁を見ていたが、かたんと崩れた壁が立てた音ですぐに覚醒した。慌てて電話を手に取ろうとする。


 しかし。


「ぎゃっ!?」


 飛んできた斬撃が、店主の手を切り裂いた。悲鳴を上げながら後ずさる店主。その視線の先には、崩れた壁の奥から這い寄るように現れた化け物がいた。


「カカカ。忙しないの。くつろぎやぁ」


 一つ目の蜥蜴トカゲだった。異様さを強調しているのは、その一つの目が顔の半分以上ある大きさだからか。


 大きな瞳をもつ頭部は緑色で、鼻と耳がなく、口元がワニのように突き出ている。蜥蜴のくせに赤色の着物に青色の裃を着け、脇差を差していた。


 手に持つ打刀が、先ほどの攻撃を放った武器なのだろう。微かな燐光を纏っていた。


「大河原……」


 さらにその後ろからは、痩せぎすな男が姿を見せる。


 細高い鼻まで覆うぼさぼさの髪の隙間から、痩けた頬が覗いている。身につけている服はタキシードだ。なぜかバラの花束を抱えていたが、それがこの状況下では余計不気味に見えた。


「迎えに来たよ。桜さん」


 にちゃりと粘り着くような笑みを浮かべる男。その一言で男――大河原の狙いが桜であることを理解した椿。


「桜! 逃げて!!」

「お母さんも!!」


 桜が椿の手を掴み、逃げ出そうとする。しかし椿の足がもつれ、二人そろって転んでしまった。


 呪いから回復し、もともとの健康な脚に戻ったとはいえ、1年間まともに動いていなかったのだ。普段の生活には支障なく動けても、とっさの動きに対応できなくても仕方がない。


「こんなもの、僕たちには不要だよね。だって、僕たちはこれからずっと一緒にいるんだもの」


 蜥蜴の怪物の手には、いつの間にか桜のスマホがあった。どうやら転んだときに落としてしまったようだ。


「カカカ」


 桜の目には蜥蜴の怪物の腕が霞んだように見えた。次の瞬間、スマホが粉々になっていた。蜥蜴の刀で木っ端みじんに切られたのだ。


「ごめんね。寂しかったよね。

 だから僕以外の男とも連絡取り合っていたんだよね。許すよ。君の側にいなかった僕が悪いんだからさ」


 ぶつぶつと呟くように一人で喋り続ける大河原。

 時折髪の毛の間から見える異様に輝く大きな瞳が、大河原の隣に立つ蜥蜴の怪物と同じ瞳に見え、恐怖が湧き上がってくる。


「大河原、なぜだ? 何が目的でこんなことを!?」


 桜たちを守るように眼前に立った月遙は、恐れを隠しながら大河原に問いかける。彼にとって今必要なのは、桜たちが体勢を整える時間。この苦境を乗り越える策を考える時間だった。


「柾木さん。ひどいですよ。僕に内緒でお出かけなんて」


 きひひ、と笑みを浮かべながら首を傾げる。


「僕ももう家族ですよね?

 それなのに僕を置いていくなんて……」

「何を言っているんだ? 大河原――」

「ひどいじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ぐはっ!?」


 大河原の慟哭が衝撃波を生み出し、月遙を弾き飛ばす。


「ああっ、ごめんなさい、お義父さん。

 家族に手を挙げるなんて、僕はなんて酷いことを……

 でも、お義父さんも悪いんですよ。だから、おあいこですね」

「月遙くん!」

「お父さん!」

「ぐぅ、早く逃げろ」


 吹き飛ばされた月遙を支える椿と桜。


「どうして? なんでこんなことをするの!?」

「お義母さん。なんで分かってくれないんですか?

 全部、僕と桜さんが幸せになるために決まっているでしょう?」

「何を言って……」

「仕方ないですね。

 いえ、ちゃんと説明していない僕が悪いのか。

 ふふふ。僕の悪い癖ですね。みんな僕ほど頭が良くないのに、分かって貰ってるって思い込んじゃう」


 にたりと嗤いながら、大河原が一歩踏み出した。

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