第19話 父と母
さすがにまだ教師だから、と自宅訪問はお断りさせてもらった。
とりあえずキュアポーションは渡しておくことにした。使うかどうかは、親としっかり話し合ってもらえれば良いと思う。
俺としては別に使おうが使わまいが、どちらでも構わない。渡したのも、桜がこれ以上悲しむ可能性を少なくしたかっただけだ。
どうやら桜の電話の相手はお父さんだったようだ。
お父さん的にもキュアポーションを入手したことを信じたいが、状況が状況なだけに信じられない。
もし本物なら感謝し尽くしても足りないくらいだが、桜を騙していたら許せないといった様々な感情の葛藤があったようで、それならいっそ俺も同席の上にポーションを使いたいという思いからの発言だったようだ。
結果。俺が退職した後に桜家に伺うということになった。
俺の好意で渡そうとしただけなのに、わざわざ俺が出向く必要性があるのかと思う人もいるかもしれないが、『まぁ状況的には仕方ないよな』が、正直な俺の気持ちだ。それよりも桜がめっちゃ申し訳なさそうにしていて、こっちが悪いことしてる気がしてしまった。
というわけで。
次の日に退職願を提出し、一悶着の末、退職が決定。勢いって凄いよね。
自宅謹慎中に何してるんだと校長からお叱りの声をいただいたが、辞める決心をしてると本当にどうでも良く、全く心に響かなかった。逆に俺お得意の嫌味をいくつかプレゼントして帰ってきた。清々しい気持ちだった。
正確には退職はまだ先だけど、そんなの俺には関係ないとばかりに、その日のうちに桜家に伺うことになった。
そして今。俺の目の前に待ち構えているのが、立派な豪邸の門扉だ。これはダンジョンに入るとき以上に緊張するな。
インターフォンのチャイムを鳴らすと、すぐに桜が飛び出してきた。
学校で見る制服姿とは違い、ロングスカートのワンピースに薄手のゆったりとしたブルゾンを綺麗に着こなしている。さらさらとした髪も背中まで下ろしていて、いつもとは違う雰囲気を醸し出していた。
「柴田先生! わざわざ、ごめんなさい」
「いや、別に大丈夫だけど、もう先生じゃないから先生って呼ばなくても大丈夫よ」
「……本当に辞めちゃったんですね?」
「うん。一応言っておくけど」
「はい。もう私の責任だなんて思いません! 先生が私のために決めてくれたことですから!」
「うん、そうだな……うん?」
何か良く分からない返答だったが、桜が朗らかな表情で言うもんだから、特に突っ込めずにこの会話は終わってしまった。
「……ごほん。先生、お久しぶりです」
遅れて登場した渋い声のダンディーなおじさん。と言っても俺とそう歳は離れていないと思う。が、なぜか大人としての貫禄というか経験値が圧倒的に負けている気がする……。
「お世話になります。夏の懇談以来ですね」
「その節はお世話になりました。お陰様で桜も無事に進学することができました」
「いえいえ。桜さん自身が強い意志で頑張った成果です。あ、遅れましたが、ご卒業と大学合格おめでとうございます」
「ありがとうございます。ここで立ち話も何ですから。どうぞ」
硬い笑顔で案内されたのは、立派なリビングだった。リビングだけで30帖は軽く超えそうな広さに高い天井と大きな窓。立派なソファにセンスの良いラグカーペット。テレビも大型だし、飼われている犬も大型犬だ。まさに金持ちの家だった。
「こんにちは。桜の母です。ここから失礼しますね」
革張りソファの横に、車椅子に座っている女性がいた。どことなく桜の面影を感じる女性――桜の母が、穏やかな表情で待っていた。
慌てて挨拶をすると、ソファを勧められる。ガラステーブルを中心にコの字型に設置されたソファの端にそっと腰掛けた。
なぜか隣に桜が座ってくる。
いや、こんなに大きいソファなんだから、もうちょっと離れて座ればいいんですよ。
向かい正面、桜のお母さんの隣に腰掛けたお父さんが、どことなくこめかみをピクピクさせている気がする。お母さんが優しそうに微笑んでくれているのが唯一の救いだ。
「さて。先生、こちらのポーションですが……」
お父さんがガラステーブルの上に置かれてあったポーションに目をやりながら、口を開いた。
「本当に、譲っていただいても構わないのでしょうか」
多分、直に触れたことで本物だと"実感"できたんだろう。
その視線から疑念は感じられなかったが、戸惑いがあった。冷静に考えれば、数千万……下手すれば数億するアイテムを
「もちろんです。こちらとしても棚ぼたで手に入れた物ですから」
「ですが、さすがに物が物です。無償で頂くわけにはいきません」
と言われても、桜の家からお金を貰うのも気が引けるな。時価数千万とはいえ、俺からすれば苦労なく毎日ゲットできる物だしな。
「必ず効果があるとは言えないものですから。本当に大丈夫ですよ」
「……先生、それでは成功報酬という形はいかがですか?」
「成功報酬、ですか?」
俺とお父さんのやり取りを静かに聞いていたお母さんが、穏やかに会話に入ってきた。
「ええ。先生は効果がない物を提供し、謝礼を得ることがお嫌なご様子。それなら、もし私がこちらを使用して病気が治った場合のみ、謝礼を支払わせて頂くというのはどうでしょう?」
「……分かりました。でも成功したとしても、高価な
「先生のご厚意に感謝します」
「……では、こちらの契約書にサインをいただけますか?」
「もう、お父さん! 先生はそんな騙すようなことしないよ!」
手際よくお父さんが契約書なる物を出してくる。桜が憤慨した声を出すが、まぁまぁと抑える。正確に契約を交わすことは大切だから、構わない。お父さんの気持ちも分かるしね。後からあーだこーだ揉めたくないのはお互い様だ。
契約書にざっと目を通す。俺が柾木家にキュアポーションを譲ること、報酬は柾木家に一任されること、報酬の発生条件は桜の母の病状が緩和された時、というような文章がシンプルに書かれていた。
捉え方に含みを持たせてある緩い契約書だった。というか、この条件の契約書まで準備してあるということは、この展開は想定内だったということなんだろうな。
「何から何まで申し訳ない……」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですから」
特に突っ込むことなく、サインする。お父さんは心苦しそうにしていた。
桜の母を救う僅かな希望に縋りたい気持ちと家族を守りたい気持ち、さらには好意で手を差し伸べてくれる俺を疑うことへの申し訳なさなど、複雑な心境が垣間見えた。
「じゃあ早速使わせて貰いますね」
契約書を確認し終えると、桜のお母さんが躊躇なくポーションが入ったガラス瓶の蓋を取り、一気に飲み込んだ。
「こ、これは……」
お母さんの身体が薄く橙色に光り、幻想的な燐光を残して収束していく。
「お母さん……」
桜がお母さんの側に寄り、呆然としているお母さんの手を握る。
「痛みが……消えた?」
「本当か!?」
お母さんが桜に寄り添われながら車イスから立ち上がる。よろけながらも立ち上がり、最初は上手く立てない様子だったが、すぐに自力で立つことができた。
不思議そうな顔で脚を触るお母さんに、感極まった桜が「お母さん!」と抱きつき二人でよろけてしまうのはご愛敬だろう。倒れることなくしっかりと桜を抱きしめていた。
「ああ……何と言うことだ……」
その隣でお父さんは天を見上げ、きつく眼を閉じていた。その静かな佇まいに、どれほどの苦労があったのかが滲み出ていた。
まさに感動的な場面。
部外者である俺も、もらい泣きしそうになるくらい胸が熱くなる光景。
しかし。
それは長く続かなかった。
「っつぅ!」
「椿!?」
「お母さん!?」
突然お母さんが脚を押さえ、車椅子に倒れこむように腰を落とした。桜たちの悲鳴が響くが、お母さんは気丈にも大丈夫と桜の肩を抱きしめる。
「大丈夫か、椿?」
「ふふっ、やっぱりそう上手くはいかないみたい……」
「お母さん……治ってない、の?」
「ううん、確かに良くなったの。でも、また急に痛くなっちゃった……呪われてるのかな」
希望が大きかった分、落胆が倍増してしまったんだろう。その声には、笑顔では隠しきれないやるせなさを感じる。その言葉に、桜が大粒の涙を流し、お父さんは唇を噛みしめていた。
――もう良いよな、俺。
「そうです。お母さん、あなたは呪われています」
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