第191話 腐敗竜の解体手術②
「まずは私に任せて貰おうか」
諒さんは両手に銀色のメスを展開すると、一切の躊躇なく、毒の瘴気が渦巻くクレーターの底へと飛び降りた。
クレーターの底へと舞い降りた諒さんは、まるで無菌室に足を踏み入れるような静けさで、農作業用の長靴を毒の泥濘へと着地させた。
崖の上からその背中を見下ろしながら、俺は腕を組んで静観の構えをとる。
俺が前に出て全力で一発殴れば、おそらくこの戦闘は一秒もかからずに終わるだろう。
でも、何でもかんでも俺がしゃしゃり出て解決していては、ギルドという組織は育たない。トップに立つ者としては、こうやって優秀な仲間に現場を任せ、その手腕をしっかりと見守る度量も必要なはずだ。
何より、俺がやるより誰かがやってくれた方が、俺の労力が少なく済む。そう、俺はまったりライフを夢見るギルドリーダーなのだ!
そんな尤もらしい言い訳を胸中で反芻しつつ、俺は諒さんの戦いを観察することにした。
『ギャルルルルルッ!!』
自身の領域を侵された腐敗竜が、激怒の咆哮を上げる。
空気を切り裂くような重低音と共に、巨大な丸太ほどの太さがある大蛇のような尻尾が、諒さんの胴体を薙ぎ払おうと迫った。
直撃すれば、人体など一瞬で挽肉と化す質量兵器。
だが、諒さんは慌てる様子もなく、飛来する尻尾の軌道を冷徹に見極めていた。
「動きが大振りすぎる。関節の可動域を全く理解していない」
彼はほんの半歩、軸足をずらすだけでその致死の一撃を回避する。
巨大な尻尾が空を切り、背後の岩壁を粉砕する衝撃波が巻き起こる中、諒さんの両手から数条の銀色の閃光が放たれた。
「——
極細の魔導ワイヤーが、腐敗竜の巨体に絡みつく。
それは無造作な攻撃ではない。ワイヤーは鱗の隙間を滑り抜け、首の頸椎、前肢の肩甲骨周辺、そして後肢の大腿骨といった、身体を支える上で最も重要な関節部へと正確に食い込んだ。
『ギ、ギャアァッ!?』
腐敗竜が苦悶の声を上げる。
無理もない。諒さんのワイヤーは、巨体を動かすための腱と神経をピンポイントで切断したのだから。
(……すごいな)
崖の上から見下ろしていた俺は、思わず感嘆の息を漏らした。
力任せの破壊じゃない。敵の構造を完璧に把握し、最小限の力で機能不全に陥らせる。
彼の戦いは、まさに外科手術そのものだった。
だが。
『ゴォォォォォォォォッ!!』
関節を断たれ、膝をついたかに見えた腐敗竜の傷口から、毒々しい紫色のヘドロが噴き出した。
それは瞬く間に切断された腱を繋ぎ合わせ、壊死した肉を強引に補填していく。アンデッド特有の、理不尽なまでの超再生能力だ。
「チッ……。癒着が激しいな。壊死組織の増殖速度が想定以上だ」
諒さんが舌打ちをし、ワイヤーを引き戻す。
彼の視線の先——腐敗竜の胸の奥深くで明滅する『不死の
「コアの正確な座標は特定済みだ。だが、あの胸骨の硬度が邪魔だ。私のメスが届く前にワイヤーが焼き切れるか、弾かれる……!」
再生を終えた腐敗竜が、大きく息を吸い込んだ。
その口腔内に、先ほど岩盤を溶かした
回避は困難な広範囲攻撃。
見守る度量も大事だと思うが、患者の腹が開かないことには名医も執刀できないらしい。医療は一人にして成らず、というやつだな。
俺は崖を蹴り、クレーターの底へと一直線に落下した。
「——お困りのようですね、
着地の衝撃で紫色の泥を吹き飛ばし、俺は諒さんの横に並び立った。
諒さんは俺を一瞥し、視線を腐敗竜に戻す。
「……病巣の位置は完全に把握している。だが、そこに至るまでの『外殻』をこじ開ける火力が、私には足りない」
「なるほど。つまり、俺が胸を開けば——
俺の言葉に、諒さんは不敵な笑みを浮かべた。
「そういうことだ。
「喜んで」
俺が前に出た瞬間、腐敗竜が臨界点まで圧縮した毒の瘴気を放とうと顎を大きく開いた。
だが、遅い。
俺は地面を爆発させる勢いで踏み込み、ブレスが放たれるよりも早く、その巨大な顎の下へと潜り込んだ。
「口臭がきついのは、胃腸が腐ってるから、らしいよっ!」
俺は下顎に両手を掛け、全身のバネと圧倒的な魔力を解放した。
数十メートル、数百トンはあろうかという巨体が、俺の力任せの突き上げによって、文字通り宙へと浮き上がった。
ブレスは空の彼方へ向けて暴発し、鉛色の雲を不気味に染め上げる。
無防備に天を仰ぐ形となった腐敗竜の胸元——巨大な肋骨の鎧が、俺の眼前に完全に露わになった。
「いきますっ!!」
俺は右拳を引き絞り、極大の光属性魔力を収束させる。
浄化の光ではない。純粋な物理的破壊力へと変換した、圧縮魔力の塊。
「——よいしょぉっ!」
光を纏った俺の拳が、腐敗竜の分厚い胸骨に激突した。
空気が破裂し、遅れて轟音がクレーターに響き渡る。
ダイヤモンドよりも硬いであろうアンデッド・ドラゴンの骨の鎧が、放射状にひび割れ、そして粉々に爆砕された。
胸郭が砕け散り、紫色の光を放つ『不死の
「今です!」
俺の合図より早く、諒さんは地を蹴っていた。
彼は宙に浮く巨体の胸元へと跳躍し、空中で身を翻しながら両手のメスを交差させる。
「——術式解剖・
銀の閃光が、空中に幾何学的な軌跡を描いた。
それは芸術的なまでの手際だった。
メスは、露出したコアに一切の傷をつけることなく、周囲に癒着した腐肉と魔力線だけを瞬時に切断する。
ポーン、と。
紫色の巨大な宝玉のような心臓が、竜の巨体からふわりと離脱した。
諒さんは着地と同時に、その極上の素材を両手で優しく受け止める。
『————』
命の源——いや、疑似的な「生」の供給源を失った腐敗竜は、断末魔を上げることもできなかった。
宙に浮いていた巨体は、地面に激突するよりも早く、その形を維持できずに崩壊を始める。
バサァッ……。
紫色の毒々しいヘドロは浄化され、骨と腐肉は、サラサラとした銀灰色の粉末となってクレーターの底へと降り注いだ。
強烈な悪臭は消え去り、そこには微かな魔力の残り香と、堆肥として最高品質の『竜の灰』の山だけが残された。
「オペ、終了だ」
諒さんは、手にした紫色のコアの鼓動を確かめると、満足げに頷いた。
その額にはうっすらと汗が浮かんでいるが、表情は晴れやかだ。
「お疲れ様でした」
俺が声をかけると、諒さんはコアと、足元に広がる大量の竜の灰を交互に見つめ、口角を上げた。
「ああ。これだけ良質な魔力資源があれば、細胞の分裂と再生を爆発的に促進できるはずだ。
これで、最高の培養土が完成するぞ」
かくして、世界を救うための霊薬——その基盤となる幻の花の大量培養計画が、地獄の底で産声を上げようとしていた。
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