第189話 黄泉の国のドクター・ファーマー④
俺は深く息を吸い込み、岩だらけの地面に鍬を叩きつけた。
鍬が地面を抉った瞬間、爆音が轟き、ダイヤモンドよりも硬いと言われる第3階層の岩盤が、粉々に砕け散った。
物理的な破壊ではない。耕作スキルによる「土壌改良」だ。
——スキル【
これは今日のために、岡山ダンジョン42階層に出没するモンスター、
その巨大なモグラは、オリハルコンすら噛み砕く剛力な爪と顎を持ち、硬い岩盤をバリバリと捕食しては、体内で魔力分解し、超高濃度の栄養を含んだ排泄物を撒き散らすという、歩く土壌プラントのような生物だった。
こいつが掘り進んだ後は、どんな不毛な岩山であろうと、たちどころに植物が鬱蒼と茂る肥沃な大地へと変わるらしい。
不毛の地の農家からすれば豊穣の神獣として崇められそうな魔物ではあるが、探索者にとっては、踏んだだけで装備が溶ける高濃度の酸性土壌を作り出す厄介極まりない害獣になる。
その能力を抽出したこのスキルは、対象がコンクリートだろうが、鋼鉄だろうが、あるいは呪われた死の大地だろうが、強制的に分子結合を破壊し、植物の生育に最適なふかふかの黒土へと再構築する。
破壊と創造を同時に行う、まさに農業革命とも呼べる反則級のスキルだ。
「おいしょーッ!」
砕かれた岩石は瞬時に粒子レベルまで分解され、空気を含んだフカフカの黒土へと変質していく。
「もういっこ、よいしょー!」
ズドドドドドッ!
俺が猛進する後には、美しい
視界がブレるほどの速度で、俺は『魔鍬・豊作くん1号』を振り下ろし続けていた。
まるで宙から降る彗星の如く、凄まじい速度と勢いで切っ先が岩盤を穿つ。
ガガガガガガッ!!
手に伝わる感触は、岩を砕く重たい衝撃ではない。
まるで豆腐に熱したナイフを通すような、ヌルリとした抵抗のなさ。
スキルの補正によって、俺のひと振りは削岩機数千台分の破砕力を帯びているのだ。
硬質な岩が触れた瞬間に粒子となり、空気を含んで膨張し、ふわりと舞い上がる。
それが俺の進行方向に合わせて、左右に規則正しく積み上がり、幾何学的な直線を形成していく。
「おっほー! 最高! 面白ー!」
脳内麻薬がドパドパと溢れ出る。
本来なら数ヶ月かかる土木工事を、己の肉体ひとつで、しかも秒単位で成し遂げていく全能感。
俺は今、人間トラクターだ。いや、人間コンバインか?
細かいことはどうでもいいや。
ただひたすらに、目の前の荒野を『生命の揺りかご』へと書き換えていく快感だけが、俺の足を前へ前へと突き動かす。
振り返る必要はない。背中で感じる風の流れだけで分かる。
俺が通った跡には、定規で引いたように真っ直ぐで、どこまでも美しい、黒々とした畝が伸びているはずだからだ。
「ふむ」
そんな俺の狂乱じみた耕作風景を、砂煙の向こうから眺めていたティアが、不敵な笑みを浮かべて一歩踏み出した。
「土いじりか。我らには馴染みのない遊戯じゃが……」
彼女は、ひらひらとしたスカートの裾を翻し、小さな手を指揮者のように優雅に掲げた。
その瞬間、彼女の周囲の空気が重く澱み、黄金色の魔力が陽炎となって立ち上る。
可愛らしい少女の姿形をしているが、その影が映し出すのは、紛れもなく頂点捕食者の威圧感だ。
「面白そうじゃ。儂も混ぜるがよい」
ティアは、掲げた手刀を無造作に振り下ろした。
それは、ハエでも払うかのような、極めて軽い動作だった。
「――
言葉と共に放たれたのは、斬撃ではない。
純粋な圧力の塊だった。
彼女の指先が描いた軌跡の延長線上にある大地が、突如として悲鳴を上げ、爆ぜた。
巨大な見えない爪が地殻そのものを深々と抉り取ったかのように、数千トンにも及ぶ岩盤が根こそぎ捲れ上がり、宙へと舞い上がる。
轟音すら置き去りにする破壊の奔流。
空中で粉々に砕かれた巨岩は、その衝撃の余波だけで微細な粒子へとすり潰され、さらさらとした砂状になって降り注ぐ。
俺がスキルによる変換で土を作るのに対し、ティアは圧倒的な物理干渉による粉砕で、強引に土壌を生成してしまったのだ。
「ほう! なるほど、これは案外ストレス発散になるのう!」
味を占めたのか、彼女の瞳が愉悦に細められる。
「次じゃ! あの目障りな岩山も平らにしてくれよう!」
「だろ? じゃあティアはあっちの区画を頼むな」
「任せよ! うりゃあッ!」
大地が波打ち、地形が書き換わっていく。
一人は、一直線に突き進み、精緻な畝を刻む暴走機関車。
もう一人は、広範囲を更地へと変える、歩く天変地異。
異なる二つの災害が通り過ぎた後には、さきほどまでの殺伐とした岩石砂漠の面影は微塵もない。
そこには、地平線の彼方まで続く、広大で肥沃な黒土の農地だけが、静かに横たわっていた。
「……はぁ、はぁ。どうですか、農場長」
「……誰が農場長だ……はぁ……貴様らに常識という言葉が通じないのは分かっていたつもりだったがな……まだ『つもり』だったようだ」
爽やかな汗を拭いながら諒さんに笑いかけると、彼は呆然と立ち尽くしていた。
あれ、もしかしてまた俺なにかやっちゃった感じですね、分かります。ぐへへ。
「これで土台は完璧です。あとは諒さんが種を蒔いて、俺が水を引けば……」
「待て、主よ」
そこで、ティアが鋭い声を上げた。
彼女は完成したばかりの黒土を指先ですくい、匂いを嗅いでいる。
「土は良い。だが、エネルギーが足りんぞ」
「え?」
「この花は『死』と『生』の強い魔力を食って育つ。
ただの魔力を含んだ土だけでは、芽が出るのに数十年、下手すれば百年はかかるじゃろうな」
百年。それでは意味がない。
俺が顔をしかめると、ティアは不敵に笑って、ダンジョンの奥――より深い闇の方角を指差した。
「爆発的な成長を促すには、強烈な起爆剤——肥料が必要じゃ。
例えば……5階層の主、
「5階層? この前来た時はそんなのいなかったけどなぁ」
「くくく。まだ青いなお主は。まぁ儂を信じて5階層へ行けば分かる」
その言葉に、諒さんがカチャリと音を立てて鍬を置いた。
そして懐から、数本の魔導メスを取り出し、ジャグリングのように指先で遊ばせる。
「……つまり、
彼の眼鏡の奥の瞳が、冷徹な光を帯びた。
「上等だ。最高品質の薬を作るためだ。竜の一匹や二匹、解体して肥料に変えてやる」
ドクター・ファーマーの覚悟は決まったようだ。
こうして俺たちは、肥料を求めて、まだ見ぬ階層の主のもとへと向かうことになったのである。
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