第188話 黄泉の国のドクター・ファーマー③

 そう宣言すると、俺はリュックサイドから一本のクワを取り出した。

 ホームセンターで売っているような安物ではない。

 【全てはあなたの心のなかにある】スキルを使って作り上げた、俺の特注品――『豊作くん2号』だ。

 それを諒さんに押しつけた。


「環境を整えると言ってもな……ずっと気になっていた道具だったが、まさか、手作業で耕すつもりか?

 この岩盤だぞ? 破壊は不可能と言われるダンジョンの床だぞ?」


 諒さんは、無理矢理持たされたクワの柄を握りしめ、呆れたように周囲を見渡した。


 俺たちが立っているのは、第3階層『黄泉の国』。

 その光景は、まさに地獄の入り口と呼ぶに相応しいものだった。


 足元に広がるのは、見渡す限りの荒涼とした石原だ。

 『賽の河原』とでも言うべきか。鋭利に尖った岩、砕けた砂利、そして風化した白い砂が無限に続いている。

 植物はおろか、微生物の気配すら感じられない。

 一歩踏み出すたびに、ジャリ、ジャリと、乾いた骨を踏み砕くような音が虚しく響くだけだ。


「土壌は岩石砂漠。水源はあの毒々しいドブ川。そして何より、この日照だ」


 彼は空を仰いだ。

 そこにあるのは太陽ではない。重く垂れ込めた鉛色の雲が、永遠の黄昏トワイライトを作り出している。

 光源と言えば、地平線を流れる『三途の川』が放つ不気味な赤い照り返しか、あるいは空中を頼りなく浮遊する青白い人魂ウィル・オ・ウィスプのような燐光のみ。


 全体的に薄暗く、彩度の低いモノクロームの世界。

 その中で、川の赤と人魂の青だけが毒々しく主張している。


「光合成など望むべくもない。気温も低すぎる。

 仮に土を持ち込んだとしても、ここで植物を育てるのは月面で農業をしろと言われるに等しいぞ」


 もっともな意見だ。

 確かにこの環境下で作物を育てるなんて、無謀にも程がある。


 でも俺は、ここでも大丈夫という証拠——たった一輪だけ咲いている『黄泉の彼岸花』を指差した。


「普通の植物ならそうでしょうね。でも、こいつはこの環境を養分にする異界の植物です。

 この薄暗さも、瘴気も、この花にとっては最高の生育環境なんじゃないですか?」

「……百歩譲って環境は良いとしよう。だが、数はどうする?」


 諒さんは花の前でしゃがみ込み、眉間にしわを寄せた。


「自生しているのは、この一株だけだ。

 種が採れるのを待っていたら何年かかるか分からない。球根が増えるのを待つのも現実的ではない。

 世界中の難病患者に行き渡らせるには、万単位の数が必要なんだぞ?」


「だからこそ、諒さん。あなたの出番です!」


 俺はビシッと彼を指差した。


「え?」

「組織培養……確か、メリクロンでしたっけ? アレしましょう!」

「……っ!?」


 その単語を聞いた瞬間、諒さんの目の色が変わった。

 以前、テレビで見た種子から繁殖させるのではなく、細胞からその花のクローンを生み出す技術だ。


「植物の生長点培養……バイオテクノロジーか」

「はい。この球根を、諒さんのスキル【術式解剖】と魔導メスを使って、細胞単位に近いレベル――数千、いや数万の欠片ピースにまで精密に切り刻むんです」


 俺は両手を広げ、構想を語った。


「本来なら無菌室クリーンルームと特殊な寒天培地が必要だとは思いますが、ここはダンジョン。

 このダンジョンの岩盤を粉砕し、高濃度の魔力を含んだ培養土を作る。それが培地の代わりになります。

 諒さんの神業的なメス捌きで切り分けられた細胞片は、俺の作った土のベッドで、それぞれが独立した個体として再生する……!」


 名付けて、超高速・魔法組織培養作戦だ。

 結構な力業のような気もするが、俺の解析さんによると十分可能な範囲らしい。


「……なるほど。理論上は可能……か」


 諒さんがブツブツと計算を始めた。


「私の魔力制御で細胞の活性を維持しつつ、分割する。

 培養土の魔力濃度が適切なら、生存率は……いけるか。

 一株を数万の苗に変えることも、不可能ではない……!」


「でしょう? そのためには、まず広大な『ベッド』が必要です」


 というか解析ありきのやり方を、即座に理解し検証できる諒さんってヤバくないか。

 まさに天才というやつなんだろうな、という感想を抱きながら、俺は作成しておいた『魔鍬・豊作くん1号』を取り出し、構えた。


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