氷原の民
森の屋敷を囲む猛吹雪を越えるためには正面突破以外に方法はなかった。
旅人の装いとなったルイと変わらずメイド服のセリカは現在ホワイトアウトの状態となっている猛吹雪の中を曖昧な方向感覚を頼りにして歩いていた。
「屋敷を出て一時間は経過したが……未だに先が全く見えん。この方向で合っているのか?」
「安心して下さい御坊ちゃま。歩き続けていれば必ず吹雪を抜けることが出来るはずです」
「だといいがな……それにしてもお前、その格好で良かったのか」
ルイは旅に出るというのに相変わらずメイド服を着ているセリカが気になった。
「はい、私は御坊ちゃまのメイドですので」
「そうか、お前がいいのなら構わないが」
防護魔法で吹雪から身を守っているため体が雪まみれにならずに済んではいるが、この過酷な環境の中でメイド服は幾ら魔族といえど辛いのではないかとルイは思った。
それから幾らか進んだとき、ふとルイは疑問を抱いた。
「セリカよ、一つ聞きたいことがあるのだが」
「はい、何でしょうか」
「路銀は幾ら持ってるんだ」
そう聞くとセリカはあからさまに視線をルイから逸らした。
「……言わなきゃ駄目ですか」
「今どれくらい金があるのか把握しておかなければならんだろう」
「五百リロです」
「悪い冗談だな」
「申し訳ございません御坊ちゃま……冗談ではございません」
ルイはそうか、と呟いて黙り込んでしまった。
僅か五百リロでは宿に泊まることは愚か一食分の食糧を調達することも難しい。
長い間森の屋敷に篭っていたルイであってもその程度のことは分かる。
しかしセリカを責めるのは筋違いというものだった。
魔族であれば人間と深く関わることは難しく、現在では相手にされないか迫害されるかなどちらかになってしまうからだ。
しかしこれからの旅では人の中に紛れていかなければならないこともあるだろう。
全てを自給自足で賄うではいかないことがルイにも分かる。
何かしらの方法を用いて路銀を調達しなければならないことは明白であった。
どうしようかと思案しながら歩いていると、前方からやけに騒々しい気配が近づいてきた。
「何でしょうか、この猛吹雪の中に入ってくる者など……」
吹雪による白ぼけた景色の中から三頭の巨大な影が姿を見せてきた。
「あれは、動物か?」
「いえ、あれはグラソン……魔獣です」
現れたのは体毛を氷によって覆った、一見すればただの氷塊に見える姿をした大型の熊だった。
「ほう、体を温めるのには丁度いいな。やるぞ、セリカ」
「仰せのままに」
グラソンが獰猛な雄叫びをあげて突進してきた。
「ムールス」
ルイは呪文を唱え横に並んで突進してくるグラソンの間に壁を作り、二手に分断させた。
ルイの方には誘導した通り二頭のグラソンが向かってきており、勢いを緩めないままつっこんできた。
「先ずは勢いを殺すか、ムールス」
再び壁の魔法を唱え、今度はグラソンの目の前に作り出した。
突如現れた壁に二頭のグラソンは思い切り激突し、動きを止める。
「さて、仕留めるか」
ルイは小さな空間の裂け目を作り、そこから一振りのレイピアを取り出した。
魔法で生み出した壁を消し、華麗なステップで前へ躍り出たルイは動きを止めたグラソンの一頭に斬りかかった。
「むっ!」
レイピアを通して伝わる感触が想像以上に硬かったため、ルイは瞬時に後退して距離を取る。
グラソンが体に纏っている氷がかなりの硬度を持っている。
手強い、と思うのと同時に攻略する面白みもあるとルイは感じた。
グラソンたちが再び動き始める。
先制攻撃のアドバンテージは失われたが、何も問題はない。
「氷を纏っているなら、溶かすだけだ。インフェルノ」
ルイが呪文を唱えると、地面から地獄の業火が噴き出し瞬く間にグラソンたちを包み込んだ。
耐えきれぬ苦痛に雄叫びを上げるグラソンたちはこの業火を生み出したルイを排除すべく猛攻を仕掛けてきた。
その巨体に見合わない素早い動きで剛爪を闇雲に振り回して襲いかかってくる。
速い、だがルイはその動きを完全に捉え切っていた。
向かってくるグラソンたちに対して逃げるのではなく逆に向かって行き、剛爪の間合いの更に内側に入り込む。
ルイの動きを追いかけて腕を振った二頭のグラソンは同士討ちの形となり、誤って互いを傷つけ合ってしまった。
グラソンたちが纏っている氷塊はインフェルノによって既に溶かされている。
二頭の背後に回り込んだルイは華麗な剣捌きで近場にいる一頭の心臓を貫いた。
残る一頭が横薙ぎに腕を振るもそれをしゃがんで回避し、次の二撃目をレイピアで上手く受け流す。
そして勢い余って大きくたたらを踏んだ隙を狙って心臓を素早く穿ち、絶命させた。
「さて、あっちの方はどうかな」
戦いを終えたルイはセリカの様子を気が気になり戦っているであろう方向へ向かっていった。
セリカはその若々しい見た目とは裏腹に魔族の中では最年長の魔族である。
正確な年齢はルイも把握していないが少なくとも百年以上は生きており、時代遅れな部分も多少あるが魔族の中では上澄の実力者でもある。
だからこそやはりと言うべきか、そんな魔族がそこら辺の魔獣に遅れを取るということは無く、眠るようにして死んでいるグラソンの傍にセリカは立っていた。
「終わっていたか」
「はい、案外あっさりと終わってしまいました」
本当にあっさり終わったのだろう。
戦う前とまるで変わらぬ様子で立っているセリカは何故かグラソンを見つめて何かを思案している様子だった。
「そいつがどうかしたのか」
「はい、これをどうにかしてお金に変えられないかと思いまして」
生きていれば恐ろしく獰猛な魔獣であるグラソンだが、息の根も止まり、氷塊も剥がれ落ちた状態であればただの熊と同じ様なものだった。
「金に、か。まぁ肉とか毛皮にするのが妥当なんじゃないか」
何気なくルイが言うとそうですね、セリカは腰に差してあったナイフを抜き、グラソンを解体し始めた。
吹き荒れる猛吹雪をものともせず、慣れた手つきでグラソンを解体したセリカは丸めた毛皮をルイに差し出した。
「これ、どうにか収納出来ますか?」
ルイは黙ってそれを受け取り、暫く思案してから諦めた様にため息を吐き空間に小さな裂け目を生じさせた。
これは収納の魔法と呼び出しの魔法であり、異空間に荷物を出し入れ出来る便利な魔法である。
但し大きさには制限が有り、余り大きな物を入れることは出来ない。
「僕の亜空間は時間の流れが存在しないが故に劣化することはないが……獣の遺骸を入れるのは些か躊躇するな」
ルイの亜空間には武器をはじめ衣類や書物が収納されており、こういう生ものを入れることに抵抗があった。
亜空間の特殊な構造上、中が獣臭くなるということは起こり得ないにしてもあまり気分が良い物ではなかった。
「申し訳ありません。しかし他に運搬する術がございませんので」
「……分かっている」
ルイは空間の裂け目に毛皮と肉を突っ込んだ。
「僕は世相に疎いからこれが幾らになるかまるで分からない。セリカは分かるのか」
「残念ながら私も人間の価値基準は分かりかねます。ただこれから向かう先に信頼できる取引先がありますので彼に尋ねてみましょう」
セリカが言うにはその人物は魔族であろうと関係なく公正に取引が出来る人物らしい。
猛吹雪を脱出すれば無限に広がっている様な青い空と、どこまでも続く白い大地が見えた。
「ムムカ族の集落はここを通った先にあります」
セリカはルイと違い食糧を調達するためにちょこちょこ外へ出ていたのでこの辺りの地理や集落の位置を把握している。
セリカの先導で氷原を進み続ける。
辺り一面の銀世界をルイは美しいと感じた。
膨大な魔力を持つ己自身すらも圧倒してしまう力を秘めた大自然の素晴らしさに感動し、移動している間にルイはこの光景を思う存分に堪能した。
そして歩き続けること数時間、ついに人間の集落らしきものを発見した。
何かの毛皮を着た、雪焼けした人々が小さな市場を開いている。
「少数民族だと聞いたが?」
「ムムカ族は外部との交流が盛んな部族なので取引がし易いんです。私も食糧を貰いによくここに来ていました」
「そんな話は初めて聞いた」
「今まで聞かれませんでしたので」
しれっとそう言ったセリカは市場を抜けて簡素な作りの家が建ち並ぶ場所は進んで行った。
「市場で取引するんじゃないのか」
「ここで商売をするには族長の許可を得なければならないのです」
要するにこの集落では自由な取引は出来ないということなのだ。
許可を得ずに商売すれば恐らく集落の若者たちから袋叩きに遭ってしまうだろう。
族長の家は一際大きな家だった。
セリカが慣れた手つきでノックすれば家の者が玄関先で対応してくれて、中に招いて貰った。
「セリカ殿か、久しぶりだな」
「お久しぶりです族長」
族長と呼ばれた男は座った状態でも天井に頭がぶつかりそうな程の巨漢だった。
「これをどうぞ」
と言ってまずセリカが差し出したのはドライフラワーだった。
「おお、度々すまんな。これを見れば女たちが喜ぶわい……それで、今日は何が欲しいのだ」
成る程、セレナは今までこの族長と物々交換で物資を手に入れていたのだとルイは理解した。
「話が早くて助かります族長……今回は市場で商売をする権利が欲しいのです」
ふむ、と族長は頭を傾げた。
「それは別に構わんが、何のために」
「これからこの方と旅に出るのです。そのための路銀を幾らか稼ごうかと」
「そうか、この若者がセリカ殿の主人か……」
族長は暫しルイを観察した後、良い案を思いついたと口を開いた。
「ならばこれはどうかな。お主ら二人でとある魔物を討伐して欲しい。報酬は二十万リロだ」
思ってもみない話に思わずセリカは身を乗り出した。
「それは真ですか。しかしどの様な魔物なのか教えて頂かなければ受ける訳には」
「何、お主らならば容易かろう。最近ここら一帯に現れて暴れているやつでな。雪の結晶に違い姿をしている奴だ」
「コンジュリィですね」
「詳しいな、そんな名前だったか。数年前なら儂が退治しに行っていたが今は立場もあるからな……どうだ、やってくれるか」
「どうですか御坊ちゃま」
セリカから聞かれ、ルイは即答した。
「その魔物が何かは知らんが、僕が負ける訳無いだろう」
「では、受けさせて頂きます」
どんな敵であろうと二十万リロも貰えるのであれば受けない手は無いとルイは考えた。
「そう言って貰えると思ったぞ。では早速討伐に行ってもらいたい」
族長に言われるまでもなく二人はコンジュリィが現れるであろう場所へと向かっていった。
魔王の息子の世界旅行記 狂乱のなまこ @komakoma
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