第3話 労使交渉

 揺れる馬車の中、向かい合わせに座った少女──フォーチュナ・シルバーロードは、楽しげに足を揺らしていた。

 先ほどまでの冷徹な観察者の顔はどこへやら、今は手に入れたばかりの珍しい玩具をどう使おうか思案する子供のような顔だ。


「それで、タクミ。私の下で働く決心はついたかしら?」


 フォーチュナが、毒を含んだ甘い声で問いかけてくる。商会だと言っていたし、内容によってはこの誘いは俺にとってもかなり益のあるものだろう。契約を奪われて悔しい思いはしたが、こうなった以上この世界で一旗あげるのも悪くないように思える。

 俺は、膝の上に置いたビジネスバッグを軽く叩き、商社マンとしてのポーカーフェイスを維持したまま答えた。


「条件次第ですね」


 「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。さっきはああ言ったけれど、手早く状況を説明したかっただけだもの。無理強いをするつもりはないし、なんなら私が紹介状を書いてあげてもいいわ」


 そういってにこりと微笑むフォーチュナ。

 なるほど、アメとムチか。先ほどの圧迫面接のような状況は、こちらの譲歩を引き出すための布石だったのか。商売人の家に生まれただけあって、交渉術は心得ているらしい。

 だが、こちらも商社マンだ。簡単に揺さぶられはしない。


「お気遣いありがとうございます。ですが、まずは雇用条件を確認させていただきたいのですが」


 フォーチュナの眉がぴくりと動く。


「雇用……条件?」


「はい。勤務時間、休日、報酬体系、福利厚生──最低限、この辺りは事前に確認しておきたいですね。あとは契約期間と、双方からの解除条件も」


 俺は商社時代に何度も繰り返してきた確認事項を並べ立てる。

 フォーチュナはきょとんとした表情を浮かべ、エドワードと顔を見合わせた。


「エドワード。彼、何を言っているか理解できた?」

「申し訳ございません、お嬢様。私にも少々……」


 二人の反応に、俺は嫌な予感を覚えた。


「えっと……この世界には労働契約という概念がないんですか?」


「労働契約? ああ、書面での取り決めのこと? そういうのは大きな商談や、貴族間の婚姻くらいでしか使わないわ。普通は口約束よ。私があなたを雇う。あなたは私のために働く。それだけよ」


 あまりにもざっくりしている。現代日本の労働基準法に守られてきた俺からすると、ブラック企業も真っ青の条件だ。


「いやいや、それだと問題が──」

「ふふ、やはり異世界人は面白いわね」


 フォーチュナが唐突に話題を変えた。その顔には、いたずらっ子のような笑みが浮かんでいる。


「……何がです?」

「あなたの唇の動きと、聞こえてくる言葉。ほら、少しずれているでしょう?」


 言われて、俺はフォーチュナの口元に注目した。

 確かに──まるで吹き替えの洋画を見ているかのように、唇の動きと彼女の言葉が合っていない。今まで会話に集中していて気づかなかったが、意識してみると違和感は明らかだった。


「本当だ……。俺の方も、そう見えてるってことですか」

「ええ。私の言葉とあなたの言葉は、おそらく全く違う音をしているはずよ。でも互いに意味が通じている。どういう理屈かしら? もしかして、あなたには心当たりがあるのかしら?」


 俺は首を傾げた。思い当たる節は、何もない。気がついたらこの世界にいて、言葉が通じていた。異世界転生モノでよくある「言語翻訳スキル」でも付与されているのだろうか。


「……正直、わかりません。でも確かに、俺は自分の言葉で喋っている感覚なのに、意味が通じてる」

「まあ、それはいいわ。いつか解明できるかもしれないし。ただ──」


 フォーチュナは、じっと俺の唇を見つめながら言った。


「もし長くこの世界で生きていくつもりなら、私たちの言葉を覚えた方がいいと思うわ。あなたの言葉が翻訳されているとして、その魔法がいつまで続くかわからないもの」


 確かに、そうだ。この便利な翻訳機能がいつ切れるかわからない。俺は語学には自信がある。商社時代に英語と中国語は実務レベルまで習得した。その経験を活かせば、なんとかなるかもしれない。


「それは……そうですね。細かいニュアンスの違いで齟齬があると商売にならないですしね。勉強することにします」

「いい心がけよ。エドワード、この人は見込みがあるわね」

「そうでございますか、お嬢様」


 エドワードは相変わらず懐疑的な目で俺を見ていたが、口答えはしなかった。


「さて、それじゃあ本題に戻りましょうか。あなたの言う雇用条件について、私なりに答えてあげるわ」


 フォーチュナは馬車の座席に深く腰を沈め、指を一本ずつ折りながら説明を始めた。


「まず、あなたには私の助手として働いてもらうわ。要するに、まあ……なんでも屋みたいなものね。事務も雑用も、必要なら商談の手伝いもしてもらうわ」

「職務内容は理解しました。報酬は?」

「月に金貨二枚。住み込みなら衣食住は商会持ち」

「お嬢様! さすがにそれは出し過ぎでございます!」

「エドワード。いいのよ、異世界人だもの。これくらい払う価値があるわ」


 金貨二枚がどれほどの価値かはわからないが、エドワードの反応からして相当な高額なのだろう。悪くないというよりかなり買ってくれているようだ。


「休日は?」

「週に一度。聖日がお休みよ」


 週休一日か。現代日本の感覚では少ないが、この時代──いや、この世界の水準では普通なのかもしれない。


「それから、契約期間──」

「ああ、そんな堅苦しいことは言わないわ。私に愛想が尽きたら、いつでも辞めていいわよ。その代わり、私があなたに愛想を尽かしたら、その時はさよならね」


 なんともざっくりした雇用形態だ。だが、この世界のスタンダードがこれなら、まずは従うしかない。いきなり労働法整備を訴えたところで、狂人扱いされるのがオチだろう。


「……わかりました。その条件で、お引き受けしますので書類を作成しましょう」


 俺が承諾すると、フォーチュナは満足げに微笑んだ。


「書類まで作るの?」

「当然ですよ、俺の世界ではそれが当たり前です。二部作ってフォーチュナさまと俺と一部ずつ保管する。なにか問題があったときに、言った言わないの水掛け論にならないようにするためにも絶対に必要です」

「そう言われれば、そのとおりね。いいわ書類を作りましょう。エドワード」


 エドワードはフォーチュナにいわれるがまま契約書を作っていく。出来上がった契約書は、俺には読むことができない文字で書かれていた。商会で働くのなら文字が読めないのは致命的だ。まず最初に文字と言葉を覚えるところからだな。


 一つ一つ確認しながら間違いなく先程の条件が書かれていることを確認して、俺は書類にサインをした。同じようにフォーチュナもサインをして契約は完了した。


「交渉成立ね。ようこそ、シルバーロード商会へ。──これからよろしくね、タクミ」

「よろしくお願いします。フォーチュナ様」

「もう私の助手なんだから、フォーチュナじゃなくてルーナと呼んでくれる? それに様もいらないわ」

「わかりました。ルーナ」


 差し出された手を握り返す。小さく、白い手だった。けれど、その握力には確かな意志が感じられた。


 馬車の窓から差し込む夕暮れの光が、ルーナの銀髪を淡く染めている。

 どこか遠くで鐘の音が聞こえた。この世界の時刻を告げる音なのだろうか。異国情緒というには、あまりにも現実離れした光景だ。


 つい数時間前まで、俺はスマートフォンを片手にクライアントへのメールを打っていた。それが今や、馬車に揺られながら異世界の商会と雇用契約を交わしている。

 人生とは、分からないものだ。


 エドワードは相変わらず仏頂面だったが、どこか肩の力が抜けたようにも見えた。

 ルーナは再び窓の外に視線を移し、鼻歌を口ずさんでいる。知らない旋律だった。


 このまま商会に向かうのだろう。

 待っているのは見知らぬ世界での新生活。右も左も分からない状況で、頼れるのは自分の知識と経験だけだ。


 不安がないといえば嘘になる。

 だが──悪くない。


 商社マンとして培ってきた交渉術も、数字を読む力も、この世界でならきっと役に立つ。

 そして何より、目の前のこの少女には、他人を惹きつける不思議な魅力があった。


 馬車が緩やかなカーブを曲がり、視界が開けた。

 遠くに街並みが見える。赤い屋根と白い壁が夕日に映え、おとぎ話の挿絵のような光景が広がっていた。


 俺は、この世界で生きていく。シルバーロード商会の一員として。


 新しい物語が、今、始まろうとしていた。

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2026年1月13日 12:04
2026年1月14日 12:04

お嬢様! 謎解きは契約に含まれないのですが?! ~シルバーロード商会の事件簿~ 皐月 彦之介 @G-Satsuki

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