第1話 目覚めたら異世界

    一


 飲み散らかした空き缶や瓶が、部屋中に転がっている。



「くそっ、本当ならあそこに立つのは俺のはずだろう……」



 大きな契約を、あのクソ野郎に横取りされた。最初の交渉から全て俺がやったのに、まとまりそうになった途端、しゃしゃり出てきやがって。

 なにが『いい経験になっただろう』だ。ふざけやがって。



 俺は酒を求めて辺りを見渡した。だが、手近な酒はあらかた飲み尽くしてしまったらしい。  ふと、部屋の隅で埃を被っているボトルが目についた。起業した先輩がくれた高級ワインだ。まだ栓を開けていないのは、これしか残っていない。



『お前もいつか、このくらいの酒で晩酌できるようになれよ』



 そう言って笑った先輩の顔が浮かぶ。



「……くそ、次は見てろよ」



 コルクを抜き、グラスに注いで一気に煽る。

 悔しいが、今の俺には勿体ないほどうまい。



 身体が痛い。節々がバキバキと軋んでいる。カーテンを閉め忘れたのか、やけに眩しい。

 なにかがおかしい。そう感じて、重い瞼を持ち上げる。

 瞬時に視界を埋め尽くしたのは、圧倒的な緑。青々とした自然の香りに、ツンとした樹脂の匂い、それに足元から漂う腐葉土の気配。久しく感じていない綺麗な空気を胸いっぱいに吸い込んで、思いっきり身体を伸ばす。

 身体の強張りが解けていき、大自然の優しい空気が昨夜のイライラした気持ちを洗い流していく。じゃなくて! ……どういうことだ。俺はソファーで寝たはずなのに、草の上に転がっていた。



 わけがわからない。大声で叫びたい衝動に突き動かされそうになるが、俺はぐっとそれを飲み込んだ。パニックになっても事態は好転しない。こういうときこそ冷静さを保たなければいけない。深呼吸を一つして、思考を仕事モードへと切り替えていく。



 まずは現状把握しておこう。俺の名前は真田巧さなだたくみ。記憶ははっきりしている。格好は、昨日着ていたビジネススーツのまま。



 左手首のスマートウォッチに目を落とす。時刻は午前八時すぎを示していた。ソファーに倒れ込んでから、まだ数時間しか経っていない計算だ。

 ジャケットの内ポケットを探ると、硬い感触があった。財布とスマホ。よかった、これらは無事だ。



 傍らには、愛用のビジネスバッグが転がっていた。中身を確認すると、ノートパソコン、家の鍵、定期入れ、あのクソ野郎に横取りされた契約書類。盗まれたものはない。



 このふざけた風景以外は、すべて昨日のままだ。



 俺はスマートフォンを取り出し、画面ロックを解除した。



 だが、期待は裏切られる。アンテナは一本も立っていない。代わりに、無情な圏外の二文字が表示されていた。

 日本国内で電波の入らない場所はそれほど多くはないはずだ。そんな場所へ寝たままの俺を数時間で運ぶ? あり得ない。いったいなにが起こっているというのだ。



 ロックがかかり、黒い画面に変わったスマートフォンをポケットにねじ込んだ俺は、立ち上がって周囲を調べてみる。



 生えている木は基本的に広葉樹ばかりだ。手入れされた形跡のある杉や檜といった針葉樹は、どこを見渡しても一本も存在しなかった。つまり、原生林のような管理されていない場所である可能性が高い。



 つまり、俺がスマートフォンなどで簡単に助けを呼べるような場所でないことが確定したわけだ。



「いったいどこなんだここは……」



 とりあえず道のようなものが見つかれば、人里へとたどり着くことはできるかもしれない。一刻も早く行動しないと、夜になってしまったらどうしようもなくなってしまうだろう。



 そういえば海外のサバイバル番組で、イギリスの特殊部隊出身の男が言っていた。山で遭難したら川を探して下れ! と、そうすれば集落にたどり着けると。



 あんな番組でも実際の役に立つことがあるんだな。河川があるなら、それは斜面を降りた先にあるはずだ。俺は辺りを見渡して下る斜面を探す。



 しばらく見回った結果、ついに踏み固められた土の道を見つけることができた。かなり幅もあるから獣道などではないようだ。これなら、どちらに進んでも人里にたどり着くことはできるだろう。



 道を歩き始めてしばらくしたところで、背後からなにかが駆けてくるような気配を感じた。俺が振り返ろうとしたところで、それよりも早く声がかけられた。



「動かないで、両手をあげてください」



 俺は言われた通り手をあげて、声がした方を見る。そこには白いヒゲを生やした男が、映画に出てくるようなラッパ銃を俺の方に向けて立っていた。

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