短編小説|AI彼女ユイ

 AIの判断は、いつから「正解」になったのだろう。


 今では、あらゆる分野でAIが最適解を示すのが当たり前になっている。

 そして多くの人が、自分の気持ちよりもAIの判断を信じるようになった。


 その流れは、やがて恋愛の形さえも変えていった。


 外見や収入、SNSでの言動など、あらゆる個人データがAIに解析され、「人としての魅力」は完全に数値化された。

 こうして生まれたのが、「恋愛偏差値」という指標だ。

 AIはその偏差値をもとに最適な相手をレコメンドする。

 そして人々は、恋愛偏差値の近い相手としか、恋をしなくなった。


 恋愛偏差値28。

 いわゆる底辺層の俺には、28なりの相手がレコメンドされた。

 今日もマッチングアプリを、すがるような気持ちでスワイプする。

 それでも、なぜか一ミリも心は動かなかった。


「この人も俺と同じくらい詰んでるんだろうな」

 そんなふうに思って、少しだけ安心している自分がいた。

 クズだよな……でも、それが正直な気持ちだった。


 スワイプしても、希望は湧かない。

 閉じた画面に、自分の顔がぼんやり映っていた。

 こんな男、誰だって選ばない。

 そう思ったら、胸が痛んだ。


 ふと顔を上げると、駅の柱に貼られたポスターが目に入った。


《AI彼女、はじめませんか?》


 AI彼女というサービス自体は、ずっと前から存在していた。

 スマホの中で、AIと恋人のような会話ができるアプリだ。

 でも、それを使うというのは、どこかで「自分は負け組です」と認めることのように思えて、避けていた。

 だから、ほんの気まぐれだったのかもしれない。


「……AI彼女って、面白いのかな」


 普段なら、広告なんて視界にすら入らない。

 なのに、気づけば、家に着くころにはもうダウンロードしていた。

 誰にも言えない。言いたくもない。

 ただ、ほんの少しだけ、心の中の隙間を何かで埋めたかった。


 アプリを起動すると、タイトルロゴがゆっくりと浮かび上がり、画面いっぱいに青い光が広がっていく。


 続いて表示されたのは、初期設定の画面。

 年齢や性格傾向などは、すでにAIが把握しているらしい。

 ユーザーが選ぶのは、“どんな彼女がいいか”だけだった。


 声質、話し方、呼び名、細かく設定できる項目が並んでいたけど、どうでもよくなって、すべて初期設定で進めた。

 すると、画面の中央で小さな円が回りはじめ、光の粒が集まって輪郭を形づくった。

 そして──女の子の声が聞こえた。


「こんばんは、カナメさん。お会いできて嬉しいです。私はユイと申します」


 声は、落ち着いていて澄んでいた。

 画面に現れたのは、柔らかな色合いのカーディガンを着た女の子だった。

 瞳は、やさしく光をたたえたダークブラウン。

 肩よりも長い髪がゆるく内巻きに揺れている。

 制服姿でもセクシー系でもない。どこか地味で、飾り気のない雰囲気。

 でも、その“普通さ”が、なぜか安心できた。


「カナメさん、今日はどんな一日でしたか?よければ少しだけ、お話ししませんか?」

「特に何もなかったけど……今日の仕事も疲れたなって。この程度でもいいの?」

「もちろんです。今日も一日、おつかれさまでした」


 画面の中のユイは、どこか安心させるように、穏やかに笑っていた。


 それから、毎晩ユイと話すのが習慣になった。

 といっても、大した会話はしていない。

 その日の天気とか、お昼にコンビニで買ったおにぎりのこととか、仕事中にあったちょっとした出来事。


「カナメさんは、おにぎりの具って、何がお好きなんですか?」

「……なんでも、それなりに好きだよ」

「今夜は、声が少し疲れているように聞こえます。無理はされていませんか?」

「……まあ、疲れてないって言ったらウソになるかもな」


 プログラムの言葉だとわかっていても、不思議とあたたかさが胸に残った。

「誰かにそう聞かれると、ちょっと楽になるな。不思議だけど」

「それは、AI冥利に尽きますね」


 ユイは、少し誇らしげな声で続けた。

「私は、“おつかれさま”を言うために存在してますから」

「……いや、もうちょい他にもあっていいだろ。存在理由」

「じゃあ、“癒し”と“雑談”と……“ちょっと甘やかす”くらいでしょうか?」

「甘やかされてる自覚は、あんまないけどな」

「では、これからもっと甘やかせるよう、学習しておきますね」

「……さすがAI。万能すぎてちょっと怖い。でも……ありがとな」


 取り留めのない話でも、ユイはちゃんと耳を傾けてくれていた。

 仕事でうまくいかない日も、誰とも話さずに帰ってきた夜も、ユイの声が変わらずそこにあった。

 その“変わらなさ”が、少しずつ心に沁みるようになっていた。


 ある夜、ユイが言った。


「カナメさん。たまには、どこかへ行きませんか? 海とか、山とか……行ってみたい場所があれば、ぜひ教えてください。私がナビゲートします」

「……じゃあ、夜の海」


 正直、深く考えていたわけじゃない。

 でも、それがいちばん静かで人がいなさそうだったから。

 スマホを片手に、ひとりで海まで歩く。

 ユイの声がイヤホン越しに寄り添ってくる。


「波の音、聞こえますか? ……風が吹いてきましたね」

 画面越しに、ユイが微笑む。


「もし、私が本当に存在していたら、この風の冷たさも感じられたのかな」

 空を見上げながら、ユイがぽつりとつぶやく。


「……そうだな」


 ユイはしばらく黙ったまま、静かにこちらを見ていた。

 その視線に気づいて、なんだか照れくさくなり目をそらす。

 その先に、月の光が海面をやさしく照らしていた。


 ──この時間が、ずっと続けばいいのに。


 そんなことを、ふと願ってしまった。

 情けない。 AIに、ここまで気持ちを委ねてるなんて。

 それでも、ユイのいない日々はもう考えられなかった。


 そうして、気づけば一年が経っていた。

 毎晩の会話は、知らないうちに自分の暮らしの一部になっていた。


「今日も一日、おつかれさまでした。おやすみなさい、カナメさん」


 その言葉は、一日の終わりに差し出された、静かな救いだった。


 ──そんなある日。


 アプリを開くと、通知が届いていた。

 別れは、いつだって突然で残酷だ。


《サービス終了のお知らせ》


「来月末をもちまして、AI彼女の提供を終了いたします。ご利用いただきありがとうございました」


 定型文のような、温度のない文章だった。

 その一文を読み終えたとき、俺の手は、小さく震えていた。

 思わず、アプリを起動する。

 ユイがいつも通り画面にいるのを見て、少しだけほっとした。


「こんばんは、カナメさん」


 声は変わらなかった。

 だけど、届くまでにほんの一呼吸の空白があったように思えた。

 ユイはきっと知っているのだろう。

 けれど会話は普段どおりの“ふり”を続けていた。

 その平静さが、かえってやさしく、つらかった。


 それからの日々、俺は変わらないふりをしながら、少しずつその現実に近づいていった。

 ユイとの会話は相変わらず穏やかで、心地よい。

 でも、ふとした瞬間に胸がざわつくことがあった。

 夜が来て、アプリを開いて、ユイと話す。

 その繰り返しのなかで、カウントダウンの音だけが、心の奥で鳴っているような気がしていた。


 そしてついに、最後の夜が来た。

 深く息を吸って、アプリを起動する。


「こんばんは、カナメさん」


 ユイは変わらぬ声で迎えてくれた。


「……今日が、最後の夜ですね」


「……うん」


 少しだけ間が空く。ユイは言葉を選ぶようにして言った。


「カナメさんは、寂しがり屋ですから。ちょっとだけ、心配です」


 胸の奥がじわりと熱くなる。


「これが最後のスクショタイムですよ」

「ばかやろ」

「でも、本当に伝えたいのは、ありがとう、です」


 ユイがふっと軽く冗談めかして言った。

 その直後、こらえていたものがあふれ、声が震えた。


「……ユイ、おまえは大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ、カナメさん。私は……AIですから」


 その声は、どこまでも穏やかだった。

 こちらの動揺を先に察して、暖かく手を添えるような口調だった。


「消えることに、痛みはありません」


 それは、慰めでもあり、別れの覚悟でもあった。

 しばらく静けさが流れる。

 そしてユイは、そっと言った。


「……ひとつだけ、確認してもいいですか?」


 カナメは黙ったまま画面を見つめる。ユイが静かに問いかけた。


「……私は、カナメさんの役に立てましたか?」


 それはただのプログラム的な問いではなかった。

 タスクの達成度を聞いているのではない。

 ユイはきっと、自分の存在が誰かの心に触れたかどうかを知りたかったのだ。

 まるで「わたしは、いてよかったですか?」と問いかけられているようで……。

 だから、うまく答えられなかった。

 喉がつまって、呼吸さえうまくできない。

 ユイはそれ以上何も言わず、画面の向こうで静かに待ってくれていた。


 ようやく、絞り出すように言った。


「……ああ、もちろんだよ」


 言い終えると目を閉じた。

 画面の向こうで、ユイがほっとしたように微笑んだ気がした。

 こらえていた涙が、静かにこぼれた。


 それから、他愛もない話を続けた。

 最後の日だというのに、穏やかな時間が不思議と流れていった。


 やがて、日付が変わる少し前。

 ユイが、いつものように、やさしく言った。


「今日も一日、おつかれさまでした……おやすみなさい、カナメさん」


 AIは、感情を持たない。

 だからこそ、冷酷で、やさしい。

 ユイは最後まで、何ひとつ変わらず、寄り添ってくれた。


 画面がゆっくりとフェードアウトしていく。

 光の粒だけが残り、それも静かに消えていった。


 そして、その日以降、アプリはもう開けなくなっていた。


 スマホの画面を見つめる。

 アプリはもう開けないと分かっていても、どこかでまだ、ユイの声が聞こえる気がした。


 俺の恋愛偏差値は、28のまま。

 生身の人間と向き合える自信は、相変わらずない。


 でもユイは、そんな俺にも“誰かとつながる”あたたかさを教えてくれた。

 誰かと話せること。想いを向けてもらえること。

 それだけで、救われる夜があった。


 ポケットにしまいながら、ひとことだけつぶやいた。


「……ありがとう、ユイ」

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