第一話 同居人は座敷童

 僕――家隠囮やがくれ おとりは、おかしくて異常な人間だ。だけど正常だから、その異端っぷりがバレないように上手く隠している。


 ――『怪異』が見えるという異常。

 しかも、やたらと好かれるおまけつき。


 まともな僕としては、この変な体質にとても迷惑している。仮にこれが、このおかしな名前のせいなのだとしたら、酷い話だと思わざるを得ない。


 だから僕は、両親とすこぶる仲が悪かった。それだけが理由という訳でもないけれど、原因の六割くらいは占めている。絶縁とまではいかないまでも、別居と逃亡、連絡は既読無視くらいのギリギリな距離感で、僕たちは家族という体裁を保っていた。


 そう。僕は現在、高校生にして両親と別居中だ。


 この体質についても、どうにかして改善できないかと、色んな方法を探している。僕はまともな人間になって、普通に暮らしたいから。


 そしてこの、やたらとホラーな夢を見て迎えた朝は、心機一転して新居で迎える、初めての朝だった。


 『お兄ちゃん! 朝だよ! 起きないと遅刻しちゃうよ!』


 カチッ。

 枕元に手を伸ばして、元気な声で叫ぶ目覚まし時計のアラーム――お早うお兄ちゃんシリーズ第三弾――を止める。


「ん~……お兄ちゃんはまだ眠いよ」


 引っ越しで疲れていた僕は、まだ自分の家だと自覚も持てない古き良き日本家屋で、泥のように眠っていた。


 寝ぼけて目覚まし時計に話しかける程度には、ぐっすりと眠れていたようだ。変な夢を見ていた気もするけど、いまいち内容が思い出せない。でも、全身が汗でぐっしょりと濡れているから、おそらくロクな夢じゃないだろう。


「お兄ちゃん……囮は、妹が好き?」


「むにゃ……どうだろ……そうかも?」


 とはいえ、そんな奇妙な体験には慣れっこなので、思い出そうとはしなかった。


「ん。囮はそういう性癖。覚えておく。もう少し、眠る?」


「ふぁ?……でも学園に行かないと……」


 近くから鈴の鳴るような声がする。優しい手つきで、誰かが僕の頭を撫でていた。そう言えば、なんだか身体も重い。これはたぶん、僕の上に何かが乗っているんだ。微かな土の匂いがするけれど、この部屋に植木鉢なんてあっただろうか。


「いいの……ゆっくり休んで?」


 頭を撫でていた手の感触が無くなって、何かが頬に触れた。ひやりとした冷たいその刺激に、霞がかっていた意識が呼び戻されていく。なんだろう、顔に風が当たっている気がする。ほんのりと生暖かい感覚と、ふ~とか、は~みたいな、微かな音。


「ん?……なんだ?」


 瞼の向こうのいろんな気配が気になって、ゆっくりと渋々目を開ける。すると――目と鼻の先に、顔があった。視界が全部埋まるくらいの近さで、僕に顔を寄せている誰か。漆黒の瞳が、潤んだように揺れていて、吸い込まれそうで目が離せない。


「そのまま……じっとして?」


 思わず呼吸が止まる。頬に触れていたのは、彼女の手の平だった。慈しむように僕の頬に手を添えて、顔を覗き込んでいる。そして唐突に、僕は思った。


 もしかしたら、これは夢なのかもしれない、と。


 なぜなら、少女の可憐な唇がすぼめられて、ゆっくりと近づいてきていたからだ。そして、すっかり魅了されていた彼女の瞳が、大切な宝石を箱に仕舞うかの如く閉じられた。


 頬に手を添え、口をすぼめて、目を閉じる。

 さらにそのまま近づいてくるだなんて、まるで――――、


「うわぁ!? ちょ、ちょっと待った!」


「あ……」


 慌てて彼女の肩を、がっしりと掴んで引き離す。

 少女は突然上げた大声に驚くでもなく、ただ不満そうに眉をひそめて、声を漏らした。


 掴んだ拍子に、彼女の着ている黒い着物が乱れ、細い肩が露わになっていた。その白さに、ドキリと胸が音を立てる。


しき! いったい何してるんだ!?」


「ん……若い男の子はこうすると、喜ぶらしい」


「どこでそんな知識を……頼むからいますぐ忘れて、無垢なままの君でいてくれ」


「無垢……生娘が好き?」


「そういう意味じゃねぇよ!?」


 彼女は『しき』という名前の同居人だ。とはいえ僕と彼女に血の繋がりはない。僕は生粋の一人っ子で、両親からカミングアウトされる予定も、いまのところは存在しないはず。ついでに言えば、彼女はこの家にもともと住んでいた女の子だ。


「……? 間違った?」


 不安そうに首を傾げる敷の動きに合わせて、長い黒髪がハラリと揺れる。まっすぐに切りそろえられたそれが、ズレた着物と相まって、変に色っぽく見えてしまった。なまじ日本人形のような見た目のせいで、妙な背徳感まで感じる。


「いや、違わない。違わないけど違うんだ」


「……囮、良く分からない」


「うん、そうだよね……でもとりあえず、こういうのは止めような?」


「ん。分かった」


 敷はコクリと頷いて、ようやく僕の上から降りた。この、どこかズレている彼女と、意思疎通を図るのはとても難しい。けれどそれも仕方がないことだ。なにせ彼女は人間ではないのだから、常識を求める方がおかしいのかもしれないし。


「……囮。家を出る?」


「あぁ。僕は学生だからね。学園に行かないと」


 ベッドの脇で行儀よく控えながら、小首を傾げる敷を眺める。まっすぐ切りそろえられた長い黒髪に、深い漆黒の瞳。彼岸花をあしらった、目にも鮮やかな赤い帯と黒い着物。そんな古風な服装をしているのは、彼女が『座敷童』という妖怪だからだ。


 僕は昨夜まで彼女の存在を、知っていたけれど知らなかった。正確に言えば、信じていなかった。いや、それも正確じゃない。正しくは……馬鹿にしていた。あるいは、嫌っていた、と言うべきかもしれない。


「気をつけて。お外まで、私はついていけない」


 酷く不安そうな顔で僕を見つめる彼女は、この家の守り神なんだそうな。だから家を離れることが出来ないのだと、昨夜彼女に教えてもらった。


「大丈夫だよ。ずっと独りでやってきたんだ」


 手を伸ばして、敷の頭をくしゃりと撫でる。

 安心したように目を細めて身を任せる彼女は、なんだか猫みたいで可愛いらしい。


 そんなこんなで新しい朝は、嬉しい(?)衝撃と共にスタートして、僕は家を出た。屋敷とも呼べそうな広い家の敷地から、おそるおそる記念すべき第一歩を踏み出す。


 その途端。

 制服のズボンのポケットが、くすぐるように振動した。だが生憎、朝っぱらから僕に連絡をするような友人に心当たりはない。「誰だろう?」と思いながらスマホを取り出し、画面を覗き込む。


 画面に映し出されていたのは、非通知の表示だった。


 普通なら通話を切って、ポケットにしまうところだろう。けれど、僕にはそれを出来ない理由がある。だから、普通と違う行動――電話に出ないといけなかった。


 ピッ。


「もしもし」


「もしもし――私、メリーさ」


 ピッ。

 必要な手順を終えて、即座に通話を切り電源を落とす。


「はぁ……またか」


 不定期に、だが何度もかかってくるメリーさんからの電話。

 厄介だが、すでに対処法は覚えているので問題ない。


 一般的にも知名度の高いこの怪異は、一度出てから電源を切り、しばらく放置すれば治まる。初めてかかってきたときは対処法を知らず、家の前までやって来てしまった。たまたま電源が落ちて助かったのは、いい経験だ。


「なんていうか、タイミングが悪いな。本当に」


 やれやれと呟いて、物言わぬオブジェになってしまったスマホを、恨みがましく睨む。新しい家からの通学路を確認したくても、使えなくなってしまった。やっぱり昨日の内に調べておくべきだったと、軽い後悔が頭を過ぎる。


 といっても、過ぎてしまったことは仕方ない。


「まぁ、なんとかなるか」


 悩んでどうなるものでもないし。こんなものはさっさと切り替えて行動に移した方が、ずっと建設的というものだ。まったく知らない町というわけでもないから、どうとでもなるだろう。


 そんな風に気持ちを鼓舞しつつ、歩き出した旧市街の街並みは、昨日まで住んでいた新市街とはずいぶん違っていた。同じ町なのに、全く別物にさえ見える。


 近代的な新市街に比べて、旧市街は昔ながらの木造家屋が立ち並ぶ区画だ。石畳の道と、両側に並ぶ古い木造の家々。その間を縫うように続く細い路地は、昼間でもひっそりとした空気が漂っている。


 僕の歩いているこの路地も、狭く静かで少し薄気味悪い。

 けれど、この嫌な気配はたぶん、路地の雰囲気のせいではなくて――――、


「ネェ――ワタシ、キレイ?」


 端の街灯を通り過ぎたところで、その影から声をかけられた。


 目をやると、真っ赤なコートを着た、口元を大きなマスクで覆った女の人だ。なぜか右手には、やたらとデカい鋏が握られている。鋏は赤黒く不吉に錆びついていて、それの用途を何となく連想させる物騒なものだった。


 よく見れば、顔の半分を覆い隠すマスクの両端からは、耳まで裂けた口が覗いている。


 ――口裂け女。

 あまりにも有名な都市伝説の怪異。


 彼女のことを知らない日本人は、いないのではないかとさえ思うほどの知名度を誇る人気者だ。本物に出会ったら、普通はどんな反応をするんだろう?


 けれど残念な事に、僕はもう何度目かも忘れたくらい遭遇している。だから怯えたりだとか、初々しいリアクションはとってあげられないのだ。


「ネェ、ワタシ――」


「マスクから口、はみ出してますよ」


「エェッ!? ヤダ、ウソォ!?」


 親切に教えてあげると、口裂け女はオロオロしながら後ろを向いてしゃがみこんだ。怪異であっても、女性であることには変わりないらしい。その脇をスルッと抜けて足早に通り過ぎる。


「旧市街にも出るんだな……勘弁してくれ」


 ため息に愚痴を混ぜて、ブルーな気分を吐き出した。家を出た途端にコレだ。信じられない頻度で出くわす怪異。


 これが僕、家隠囮の異常な日常だった。

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