第二話 ギャルとの遭遇

 路地を抜け、なんとか歩道付きの広い二車線道路に出た僕は、同じ学園へ向かう生徒の姿を見つけて、心底安堵していた。


「良かった。こっちで合ってたみたいだ」


 眩しい日差しの中、目を細めて眺める歩道に、五月特有の生ぬるい風が通り抜ける。その中を登校する皆の制服は、夏服だったり上着を脱いでシャツになっていたりとまばらだ。どうも僕のように、まだブレザーを着ている生徒は少数派らしい。


「なぁ、知ってるか? 新市街の噂」


「あー、あれでしょ? ブ……なんとかって怪人のやつ」


 端に立つ僕の前を、二人の生徒が雑談しながら横切っていく。それをなんとなく横目で追いかけつつ。去年の今頃はどうだっただろう? なんて考えてみたけれど、記憶の中に、その光景は保存されていなかった。


 思い返してみれば二年生に進級して、まだ、たった一ヶ月しか経っていない。だというのに、一年生だった四月までのことが、遠い昔のように思える。


「なんか……なんかだよなぁ」


 自分でもよく分からない虚しさを覚えて、思わずため息がこぼれた。まるで、知らない間に時間だけが過ぎ去ってしまったみたいな、わずかばかりの寂しさと、謎の置いていかれた感。


 あとは学園に対する、僕だけの理由から来る危機感もある。僕にとって学園が安全だったのは、だから。


 それと、おかしな感じがもう一つ……さっきから頭や肩が、やたらと重いのだ。ついでに尖った何かが、身体にチクチク食い込んでいる気もする。けれど、それが何かを確認する必要はなかった。


 見るまでもなく、「カァーッ」とか、「ニャーッ」とかいう声が聞こえているからだ。あと、凄くモフモフしてる。


 いつの間に集まって来たんだろう?

 気がついた時には僕の身体で、動物タワーバトルが開催されていた。


「いや、痛いから。僕は木じゃないっての。ほら」


 まとわりつくカラスや猫たちを、刺激しないように引きはがす。「どうせただの動物じゃない」と思えば案の定、しっかり身体が透けていた。離れた途端に、スーッと消えてしまったから、たぶん動物霊(?)なのだと思う。


 通学路が変わっても、いつも通り変わらない体質。

 何も変わっていないようでいて、時間は確かに進んでいる。


 僕が新しいクラスに馴染めているかは、まだ曖昧だ。おかげでそわそわとした妙な浮遊感が、胸の奥で振り子みたいに揺れている。これが五月病というものなのかもしれない。


 たぶん、体質の所為でロクに休めなかった、ゴールデンウィークの影響もあるんだろう。


 そんなことを考えながら、登校する生徒たちの中へ混ざって歩き出す。同じ服装の集団の中へ、埋没するように溶け込んで、自然と足並みがそろっていった。


 周囲の生徒たちを見ながら少し歩いて、ふと、連休中に偶然知り合った、後輩の姿が脳裏に浮かんだ。


「そういえば……あの時の子って一年生だっけ」

 

 あの出会いは中々の驚きだった。僕にとって特筆すべきこともない退屈な休みを、部分的だが衝撃的に塗り替えた出来事だ。


 なにせ人生で初めて出会った、僕と同じ眼を持つ――――、


「あり? 囮先輩じゃん」


 後ろからの気さくな声に振り返ると、いままさに思い浮かべていた後輩の姿があった。


「あ……えっと、瑞々みずみずさん、だっけ?」


「うそっ!? たった数日で距離が開いてるっ!?」


 僕の返事の何が不味かったのか。

 彼女は口を尖らせショックを受けていた。


「あんなに仲良くなったのにひどーい! 汐遠しおんって呼んで下さいって言ったじゃないですか!」


 頬を膨らませてプリプリと怒る後輩――瑞々汐遠みずみず しおん

 彼女は僕の記憶に、ひと目で深く刻まれた女の子だ。


 校則違反など軽く飛び越える金髪を、肩口までの長さで左右に結んだツーサイドアップ。そして、カラーコンタクトを入れた赤い目と、着崩した制服に青いネイル……要するに彼女は、とにかく派手な見た目のギャルだった。


 そう――ギャルである。

 たとえ学園で出会っても、絶対に関わることの無いタイプだ。


 僕のモットーは『あまり目立たず平穏に』だけれど、彼女はきっと、それとは真逆の価値観を持った人間だと思う。だから分かり合えないし相容れない。


 もし共存なんてしたら、僕みたいな『日陰者』はすぐに、『人気者』が放つ輝きで、教室の隅という暗黒空間へ飛ばされる。そして、ひっそりと三年間を終えるのだ。


 彼女たちが送る眩しい青春の影で、独りきり……なんて恐ろしい未来だろう。想像するだけで引きこもりたくなる。


 だから僕は自衛のために、関わらないよう距離を置く。

 少なくとも普段なら、彼女みたいな『ギャル』という存在は、僕にとってそういうもの――『だった』


「そんなこと言われても、僕はそういうのに慣れてないんだよ」


「えー? 意外。囮先輩モテるのに」


「モテる? 僕が?」


 思わず声が裏返る。まさか、そんなことあるはずが――、


「はい。早くも一年の女子の間で噂になってますよ? カッコいい先輩見つけたーって」


「マジで!?」


「嘘です」


「畜生!」


 当然なかった。


「……すみません、いまのは違くて。ホントは、その……あたしがそう思ってるだけなんです」


「え――?」


「嘘ですけど」


「畜生!!」


「あはははは! 先輩って分かりやすい!」


 汐遠が左右から垂らした髪をピコピコ揺らして、ケラケラと楽しそうに笑う。その一方で僕は、クラスカースト上位っぽい彼女のようなタイプへの苦手意識を、改めて再確認した。


「純粋なんだよ悪かったな。というか、先輩を気安くイジるのはどうかと思うぞ」


 そんなしょうもないやり取りを交わしつつ。気づけば肩を並べて歩いているのだから落ち着かない。というのも、女の子と一緒に登校するなんて、これが初めての経験だ。なんでこうなったのやら嬉しいよりも、正直な話、気まずくて仕方なかった。


「確かに。でもでもー、先輩ですけどあたし達、『見えちゃうズ』じゃないですか? だからこう、親近感? みたいなの感じちゃって」


 見えちゃうズ——その、あまりにも酷いネーミングセンスの、コンビ名みたいなものは置いておくとして。僕が汐遠に懐かれた(?)のは、これが原因だ。


 あれは連休に入って三日目のこと。

 日も暮れ始め、そろそろ夕飯でも買いに行くかと、近くのスーパーへ向かう道すがら。どこからか子供の、わんわん泣いている声がした。


 何気なく目をやる。そこに居たのは、泣きじゃくる小さな女の子と、彼女を一生懸命あやしているギャル。僕は、ずいぶん歳の離れた姉妹だな、くらいの印象を抱き、そのまま通り過ぎた。


 そして割引弁当を買い戻ると、二人はまだ同じ場所に留まり、相変わらず女の子は泣き続けていた。また何気なく眺め、喧嘩でもしたのかと足を止めて、ギャルの困った様な声が耳に届いた。


「よーしよーし。どしたー? ほーら。お姉ちゃんが手伝ってあげるから、話してごらん?」


 姉妹にしては、少し変な言い回しだ。そんな風にぼんやり考えた僕の思考は、次の瞬間、氷水をぶっかける速さで覚醒した。


 ギャルがあやす女の子をよく見れば、『身体が透けていた』のだ。


 けれど、僕が衝撃を受けたのはそこじゃない。そんな怪異はとっくの昔に見慣れたものだ。なんなら道端で小銭を見つける方が、まだびっくりできるかもしれない。僕にとって女の子がどういう存在であるかは、詰まるところ、その程度の出来事だった。


 だから問題はギャルの方だ。

 彼女はそれに『触れて』、『話しかけている』


「いい子だねー、泣かない泣かない。大丈夫。あたしが一緒にいてあげるから」


 その光景はあまりにも異質で、異様過ぎて、異常に見えて――だからこそ僕の興味関心を、強く惹きつけた。


 僕は普段、人目を気にしてなるべく悟られないように振舞っている。それは、いま目の前にある光景を、自分で作り出すのが怖いからだ。


『普通でいたい。おかしな奴だと嫌われたくない』


 だって僕は正常だから。こんなのはおかしくて、不気味で、気持ち悪いものだ。僕はいまだって毎日ネットや人伝に、この体質を改善できる方法を探している。


 それなのに――――彼女は何をしているんだろう?


 こんな人目に付く公園で、あんな目立つ見た目をして、他にも周りに人がいるのに。あの奇異な目や、忌避する視線を向けられて、それに気付いていないわけがないのに。


 ゴクリと唾を飲み込んで、僕の中の、時間が止まる。

 視界は色を失って、彼女たちだけが色彩を残していた。


 生まれて初めて見かけた、自分以外の視える人間。


 それはつまり、お腹が空いていたことも、微かに震える手足も、見ていた動画の気になる続きさえも忘れて――――、


 僕が公園へ足を向けるのに、十分な理由だった。

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