家隠囮の異常な日常

夜ノ烏

Love×Hex 学園の怪談 前編

プロローグ 旧校舎と狐のお面

 ――――音が聞こえる。


 ヒョロロォオオオ……と甲高く、不安定に揺らぐ音色。

 いつだったかテレビの教育番組で、聞いたことのある音だ。


 能なのか歌舞伎なのか、その区別さえつかないくらい子供の頃だったけれど、そんな感じの特集だった。そこで紹介されていた、能管とかいう名前の笛。たぶん、それの音なのだと思う。


 寂しくて、幽玄で、どこかもの悲しい異界の音色。


 連想した異界はファンタジーな異世界ではなく、冥界や幽冥、根の国だのと、やたらといろんな呼び方のある、死後の世界の方だ。


 当時、僕にはその音が、「あの世だとか幽世みたいな、現実と乖離している場所。あるいは、その狭間なんかで響いてそうだな」、と。そんな風に聞こえて、やけに具体的なイメージを持ったことを、妙にハッキリと覚えている。


 過去の僕はそこに、霧が立ち込める、赤い川辺のようなものを思い浮かべていた。

 

 そんな音が連想させたのかもしれない。まるで、雲が晴れて月明かりがゆっくりと覗くように、おぼろげな視界が、少しずつ鮮明になっていく。どうやらそこは古臭い、どこかの教室みたいだ。


 真っ暗だけど木造の見た目で、机は部屋の後方に、寄せ集められているのが見えた。


 その、ガランと空いた教室の前方。

 黒板の前に――誰かが居た。


 見覚えのある制服姿。どこで見たのかと思えば、ウチの制服だった。つまり、同じ学園の生徒らしい。それならこの場所はおそらく、旧校舎にある空き教室の一つだろう。


 その生徒は何事かをブツブツと呟きながら、一心不乱に黒板へ、何かを書き殴っていた。


 顔は見えないけれど、酷くアレな感じがする様子だ。「狂ってしまった」とか、「憑りつかれている」だとか。そんな言葉が似合いそうな、触れてはいけない『壊れてしまった』人間の気配。


 僕はその光景を、眺めていた。


 だから唐突に気づいたんだ。

 「あぁ、これは夢なんだ」って、そんな風に、呑気に。


 自覚した途端、視界が教室の後方に引き寄せられた。見ればいつの間にか、追いやられた机の前に、誰かが立っている。というよりも、純白の着物に狐のお面を被ったそれは、『誰か』ではなく『何か』と呼んだ方が正しいのかもしれない。


 神聖だけど、どこか不穏な空気を纏う、美しくも歪な存在。禍つ神、祟り神、堕ちた神様。見た目からは、そんな雰囲気を感じさせる。


 年齢や性別が判別できない、そもそも人であるかも怪しい異形の立ち姿。黒板の前の狂人を、じっと見つめる狐のお面。


 その、微動だにしないままの異形を眺めて、視界に変化がなくなったせいだろう。繰り返し鳴り続けている音に、自然と意識が向けられていた。


 黒板を走るチョークの、カッカッという音と、生徒のブツブツ呟く声だけが、無音の暗闇で、お経みたいに響いている。


 やがて、繰り返し聞いていた声が、徐々に大きくなってきて……何を呟いているのかが、聞こえてきた。





「……まえ……な……」






「……み……な……しまえ」







「――――みんなみんな、死んでしまえ!」






 ハッとなった全身が、凍りついた。



 次の瞬間。



 間近で鳴り響いたけたたましい音に、意識が引っ張られた。まるで、映像を巻き戻していくみたいに、凄まじい速さで景色が流れ、僕の視界が、旧校舎から引きはがされていく。


 その去り際に――――。

 なぜかこちらを向いていた狐のお面と、目が合ったような気がした。そして、頭の中で、重苦しく、禍々しく、衣服に染み込む泥のように。



 声が、響いたんだ。



『――――貴方も、一緒に』

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