第3話 気象学の知識で『邪神』を演じ、土下座する村人から金を巻き上げる

 ドガァァァァァァン————!!!

 まるで俺の演出に合わせたかのように。頭上で雷鳴が炸裂し、全員が耳を塞いだ。そして、彼らが反応する間もなく、豆粒のような雨粒がマシンガンのように叩きつけられた。

 ザァァァァァァ————!!

 バケツをひっくり返したような豪雨が、瞬く間に世界を覆った。

 ジュゥゥゥ——

 燃え上がりかけた炎は、一瞬にして鎮火した。立ち上る水蒸気が俺を包み込む。まだ燃えきっていなかった薪は断末魔のような音を立て、黒い煙を上げる湿った木片へと変わった。

「……」

「……」

 世界から音が消えた。残ったのは、地面を叩く激しい雨音だけ。フォークを掲げた村人たちは、彫像のように固まっていた。

 雨水が髪を伝い、目に入ってくる。俺は濡れた髪をかき上げ、顔を上げた。そして、まだ呆然としている神官を睨みつけた。

 足はまだ震えている。心臓は破裂しそうだ。だが、これが唯一の逆転のチャンスだ。ここまで雰囲気が出来上がっちまったんだ、最後まで演じきるしかねぇ。

 俺は深く息を吐き、声を低くした。寒さで震えているのではなく、何か恐ろしい怒りを抑え込んでいるかのように聞こえるように。

「……おい」

 俺が口を開くと、神官がビクリと震え、手にした杖を取り落とした。

「私は本来、無益な殺生は好まぬ」

 俺は冷徹な眼差しで、その場にいる全員を見渡した。周囲から立ち上る白い蒸気も相まって、この光景はさぞかし恐ろしく映ったことだろう。

 俺は足元の湿った薪を見下ろし、蔑むように鼻で笑った。

「神……神の奇跡じゃ……」

 誰かがフォークを捨て、泥の中に跪いた。

「よく聞け、羽虫ども」

 俺は顔を上げ、神官を視線で射抜いた。そして、後で布団の中で悶え苦しむこと間違いなしの、しかし今言わなければならない台詞を吐いた。

「今回降らせたのは水だ」

 俺は一拍置き、獰猛な笑みを浮かべた。

「だが、二度と私の機嫌を損ねてみろ……」

「次に空から降るのは……血の雨だと思え」

 その夜、俺は確信した。この世界では、道理よりも迷信の方が、遥かに有効なのだと。

***

 翌朝。村外れの土の道には、まだ薄霧が立ち込めていた。空気には雨上がりの土の匂いと、そして、あの忌々しい、いつまでも消えない焦げ臭さが漂っていた。

 俺は村の境界を示す古びた石碑の前に立っていた。ようやく、あの公序良俗に反する格好ではなくなった。村人たちは疫病神(俺のことだ)をさっさと追い払うためか、夜通しで服をかき集めてくれたらしい。

 粗末な麻のシャツに、誰かが履き古したようだが洗濯はされているズボン。足には草で編んだ靴。さらにその上から、分厚い麻布のローブを羽織っている。袖が京劇の衣装のように長いのが気になるが、少なくとも人間らしくは見えるだろう。

「あの……偉大なる『ジンケンシンガイ』閣下」

 背後から、震える声が聞こえた。振り返ると、村長が腰を折り曲げて立っていた。手にはずっしりと重そうな布袋と、干し肉のような包みを持っている。彼は顔を上げることもなく、まるで一度でも目を合わせれば、俺が召喚した悪鬼に魂を吸われるとでも思っているかのようだ。

「これは村中からかき集めた……ええと、お供え物でございます」

 村長は布袋を頭より高く掲げた。そのあまりに卑屈な姿に、俺の良心が少し痛む。

「中には銀貨が二十枚と、銅貨が少々。多くはございませんが、これが我々に出せる精一杯でして……」

 俺は布袋を受け取った。ずっしりと重い。

「我々の村は小さく、あなた様のような偉大な御方を留めておくには狭すぎますゆえ」

 俺が金を受け取ったのを見て、村長はあからさまに安堵の息を吐いたが、すぐに緊張した声で付け加えた。

「聞くところによれば、王都の方には……罪と堕落に満ちておりますが、偉い方々も多く、あなた様が……浄化なさるには、ふさわしい場所かと」

 俺は眉をひそめた。翻訳するとこういうことだ。「頼むから金を持ってさっさと失せろ。よそに行って災いを振り撒いてくれ」。

「フン」

 俺はできるだけ高圧的なキャラを維持した。

「殊勝な心掛けだ」

 向こうから出て行けと言ってくれているのだ。俺としても、あやうく丸焼きにされかけた場所に居座る義理はない。それに、俺自身も一刻も早くここを離れたかった。本当に文明があり、法律があり……少なくとも俺の基本的人権が保障される場所へ行きたい。

 俺は金袋を掴み、振り返りもせず大股で街道へと歩き出した。

 一歩、二歩、三歩。俺は背筋を伸ばし、力強く地面を踏みしめ、まるで領地を視察する孤高の魔導師のように振る舞った。

 五百メートルほど歩いただろうか。あの村が丘の向こうに完全に消え、周囲に誰の視線もないことを確認するまで。

 ドサッ。

 膝の力が抜け、俺は泥のように道端の草むらに崩れ落ちた。

「死ぬかと思った……」

「マジで死ぬかと思ったぁぁぁ……」

 一日分の恐怖と疲労が、堰(せき)を切ったように溢れ出した。手は震え、足は吊り、歯の根が合わないほどガチガチと鳴る。涙がにじんで視界が歪んだ。

「ママ……おうちに帰りたい……」

 俺は見知らぬ空を見上げた。

「ここは怖すぎる……エアコンの効いた部屋で、冷たいコーラ飲んで、Twitter廃人になりたい……」

 ここにはWi-Fiもなければコンビニもない。あるのは俺を焼き殺そうとする狂人と、話の通じない馬鹿だけだ。

 この窒息しそうな感覚を紛らわせようと、俺は無意識に襟元を緩め、新鮮な空気を吸おうとした。だが、この麻のローブは長年洗われていなかったらしく、カビ臭い匂いが鼻をついた。

「ゲホッ……なんだこの服、臭っ……」

 俺は眉をひそめ、少しでも清潔な場所を探そうと、本能的に自分の首元、ローブの内側に鼻を近づけた。

 その時だった。俺は動きを止めた。

 カビ臭さと、外の焦げ臭さの下に、微かだが独特な香りが残っていた。昨夜の雨水と混ざり、俺の体温で一晩中温められ、皮膚に残っていたボディソープの残り香。

 それは、微かな甘みを帯びた、安っぽい工業用レモンの香料の匂いだった。

 ドラッグストアの特売で買った激安のリンスインシャンプーの匂いだ。普段なら嗅ぎ飽きて鼻も反応しないような代物だ。

 だが、土と糞尿の臭いが充満するこの世界において、この現代化学工業が生み出した合成香料の香りは、あまりにも懐かしく、そして尊いものに感じられた。

「……少なくとも、俺からは文明人の匂いがする」

 俺は襟元に顔を埋め、故郷の残り香を貪るように吸い込んだ。飛び出しそうだった心臓が、少しだけ落ち着きを取り戻していくのを感じる。

 俺はずっしりと重い金袋を握りしめ、チャリチャリという硬貨の音を聞いた。何はともあれ、生き残った。そして、金はある。

「王都……か」

 俺は膝に手をつき、立ち上がった。その王都とやらがどこにあるのかは知らないが、村長が「偉い人が行く場所」と言うくらいだ。こんなド田舎よりは話が通じるはずだ。

 大都市に行けば、俺の持っている知識も活かせるかもしれない。金を稼いで、快適な生活を手に入れて、勝ち組になってやる……。

「行くぞ、木島蓮」

 俺は虚空に向かって自分を鼓舞した。

「まだ始まったばかりだ」

 俺は足を前に出し、未知の彼方へと続く曲がりくねった土の道を歩き始めた。

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