第2話 火事から生還したと思ったら、今度こそガチの「火炙りの刑」が待っていた

俺の絶叫は炎にかき消され、返ってくるのは木材が爆ぜるパチパチという音だけ。熱い。言葉にできないほど熱い。

 まるでオーブンの中に放り込まれたようだ。呼吸をするたびに、肺が焼けるような感覚に襲われる。

 自力で何とかするしかない。あの馬鹿な牢番たちには期待できない。俺は煙で涙ぐむ目を細め、燃え盛る煙の中で唯一の生路を探した。

 あの鍵束だ。柵から約一メートル。その一メートルが、生と死を分ける深淵(アビス)だ。

「サイコキネシスが使えれば……せめてスプーン曲げ程度の超能力があれば……」

 俺はこのクソみたいな現状を呪いながら、地面に這いつくばり、必死に腕を伸ばした。指先から鍵まで、あと三十センチ。

「クソッ……おい! そこの詩人! 寝てんじゃねぇ!」

 俺は後ろで死体のように転がっている酔っ払いを蹴り飛ばした。

「ムニャ……ムニャ……もう一杯……」

 役に立たねぇ!

 俺は奥歯を噛み締め、柵の端にある、虫に食われて緩んでいる木の棒に目をつけた。道具を使う。それが人間が動物と違う最初の一歩だ。

 俺は足でその木の棒の根元をガンガン蹴りつけた。一度、二度。バキッという乾いた音と共に、五十センチほどの腐った木片が俺の手の中に落ちた。

「よし。震えるな……落ち着け俺……」

 手は激しく震えている。大きく息を吸い込み、木片を柵の外へ突き出した。近い。木片の先端が、鍵のリングに触れた。

「こい……こっちに来い……」

 息を止め、手首を返す。チャリッ。鍵束が地面を二センチ滑った。いける!

 その時、背後で轟音が響いた。燃えた梁(はり)が落下し、火の粉が飛び散る。いくつかの火の粉が直接俺の踵(かかと)に飛んできた。

「あつッ、熱っ!!」

 俺は反射的に木片を引き戻した。運は俺の味方をしたらしい。鍵束が勢いよく柵の際(きわ)まで滑ってきた。

 俺は鍵を鷲掴みにした。焼けた金属の熱さが掌に突き刺さるが、離すわけにはいかない。震える手で鍵穴に差し込む。

 カチャリ。世界で一番美しい音だ。

 古びた牢屋の扉を蹴破る。夜の涼しい空気が流れ込んできた。助かった! 俺はよろめきながら牢屋の外へ飛び出した。

 だが……。俺は足を止めた。何かに引かれるように振り返り、すでに煙に飲み込まれそうな牢屋の隅を見る。あの酔っ払いはまだ寝ている。尻を掻きながら。

 あいつを置いていけば、焼死しなくても酸素欠乏で窒息死するだろう。

 理性は告げている。お荷物を抱えていては逃げきれないと。だがな、俺はこれでも長年の高等教育を受けてきた文明人なんだよ!!

「チクショウ!」

 俺は盛大に唾を吐き捨て、火の海へと取って返した。

「木島蓮、お前は本当に大馬鹿野郎だ!」

 俺は酔っ払いの襟首を掴み、全身の力を振り絞って背負い投げの要領で担ぎ上げた。重っ! 死んだ豚を引きずってるのと変わらねぇ!

 生暖かい酒臭い息が首筋にかかり、臭すぎて気絶しそうだ。

「起きろ! 火事だぞコラァ!」

 背中の酔っ払いはフガフガと鼻を鳴らすだけで、起きる気配はゼロ。

「行くぞ! しっかり掴まってろ!」

 もうどうにでもなれ。俺はこの巨大な荷物を背負い、尻に火がついたイノシシのように、咆哮しながら燃える門を突破した。

 火の海を抜けた瞬間。視界が開けた。

 火事の騒ぎで、村中の人間はすでに起きていた。今まさに、この広場には、バケツリレーのために集まった数十人の村人が集結していた。

 俺は、その集団と真正面から鉢合わせした。

 空気が凍りついた。全員が水をかける姿勢やバケツを持ったまま、動きを止めた。数十の瞳が、一斉に俺に突き刺さる。

 背景には、天を焦がすような紅蓮の炎。まさに地獄絵図。そしてその壮絶な背景の中央に――一人の男が立っていた。

 彼は全裸で、背中にぐったりした男を背負っている。

 そして何より重要なことだが。炎の光に照らされて、彼の下半身にある唯一の衣服――間抜けな笑顔を浮かべたアヒルちゃんがプリントされた、ピチピチのボクサーパンツが、不気味な光を反射していた。

 時が止まったようだった。鼓膜をつんざくような、女性の金切り声が夜空を引き裂くまでは。

「キャアアアアアア!! ヘンタイよぉぉぉ!!!」

 さっきの農婦だった。続いて神官の怒号が飛ぶ。

「見ろ! 皆の者、見たか!!」

 彼の手にする杖が、俺を、俺の背中の酔っ払いを、そして最後に俺の股間のアヒルを指し示した。

「奴は地獄の業火から生還した!」

「哀れな詩人の魂を生贄として捕らえ!」

「そしてあれを……あの黄色いトーテムを見ろ! あれは神を嘲笑う悪魔の紋章! 冒涜の象徴じゃ!!」

「はぁ!? これアヒルだから! ラバーダック! お風呂のおもちゃ!!」

 だが、その叫びは虚しく響くだけだった。

「いや、俺のパンツはいいから! 先に消火しろよ! 隣の家に燃え移るぞ!」

 しかし、俺への返答は、雨のように飛んできた石礫(つぶて)だった。そして、一斉に襲いかかってくる屈強な男たち。

「その全裸の悪魔を捕らえろ!!」

「村の貞操を守るのじゃ!!」

「ちょ、待て! 俺は被害者で……ぐはっ!」

 二歩も走らないうちに、俺は巨体に押し倒された。顔面が、土と泥の匂いがする地面にめり込む。

 もしこの世に神様がいるとしたら、そいつはとんでもなく性格の悪い三流脚本家に違いない。そうでなければ、今のこのクソみたいな状況の説明がつかない。

 十分後。俺は自由だけでなく、尊厳も失い、さらに生命まで失おうとしていた。

 村の中央広場に、一本の太い杭が打ち立てられた。そして俺は今、その杭に亀甲縛りのように厳重に縛り付けられている。

 足元には各家庭から集められた薪が山のように積まれ、さらに燃焼を助けるためか、あの親切な神官様が油のようなものをぶっかけていた。

 野次馬はさっきより増えていた。消火活動をしていた連中に加え、老人や子供まで見物に出てきている。

「聞いてくれ! 誤解だ!」

 俺は身をよじるが、粗末な麻縄が肉に食い込んで死ぬほど痛い。

「俺はまともな大学生だ! 魔神なんか召喚してない! あの牢番が勝手に……」

「奴は魅了(チャーム)の術を使っているぞ!」

 神官は松明を掲げ、群衆の最前列で声を張り上げた。

「奴の声に耳を貸すな! あれは悪魔の囁きじゃ! 一度でも聞き入れれば、お前たちの魂は奴の股間の黄色い魔獣に食い尽くされるぞ!」

「だからアヒルだっつってんだろ! 家禽(かきん)類だわ!」

 誰がアヒルに魂を食われるんだよ!?

「あれは擬態じゃ!」

 神官は人の話を聞く耳を持たず、松明を振り回し続ける。

「奴は我々を嘲笑っておる! 神聖な炎を嘲笑っておるのじゃ!」

「王国の律法に基づき、邪神を招く異端者には、唯一の浄化方法がある!」

 神官が高々と松明を掲げると、その顔は狂信と興奮で歪んでいた。

「火炙りの刑に処す!!」

「おおおおおお!!」

 村人たちがフォークを掲げて歓声を上げる。

「待て! 違法だろ! 警察は? お巡りさん呼んで! これ人権侵害だから!」

 死の恐怖で、俺の口からは支離滅裂な言葉が飛び出す。

「聞け! 奴が呪文を唱えておる!」

 神官は半歩後ずさりしたが、すぐに凶悪な表情を浮かべた。

「魔神を呼んでいるのじゃ!」

「早く点火しろ! 儀式を完了させるな!!」

 松明が放り投げられた。

 パサッ。

 俺の足元の薪に落ちる。油が一瞬で引火した。

 ボッ!

 炎が舞い上がる。

 終わりか? いや……待て。高い位置に縛り付けられているおかげで、俺の視線は群衆を越え、村の反対側を捉えていた。

 神官や村人たちが背を向けているその空。そこでは、晴れ渡っていたはずの藍色が、灰色の壁に飲み込まれようとしていた。急速に迫り来る雨のカーテン。連なる山々が、その灰色の中に次々と消えていく。

 俺は思い出した。目が覚めた直後、俺の時計が鳴らした気圧急低下のアラームを。そしてこの、息が詰まるような蒸し暑さを。

 雷雨だ! しかも、来てはすぐに去る、夏の夕立のような強烈なやつだ! 奴は来ている。あと数百メートルのところまで。

 だが、火はすでに燃え始めている。……やるしかない。賭けるしかねぇ……。

 俺は大きく息を吸い込み、喉まで出かかった悲鳴を強引に飲み込んだ。お前らが俺を悪魔だと言うなら、演じてやろうじゃねぇか!

「……愚かな」

 俺は神官を睨みつけ、昔見た中二病アニメのラスボスの口調を真似た。熱狂していた村人たちが一瞬静まり返る。神官も祈祷の手を止め、疑心暗鬼の目で俺を見た。

 突然、一陣の冷たい風が広場を吹き抜け、砂埃を巻き上げた。風向きが変わった!

「この程度の凡火(ぼんか)で、私を浄化できると思ったか?」

 俺は顔に当たる湿った風を感じた。それは暴風雨の前触れだ。俺は全身全霊を込め、嵐に背を向けた愚か者たちに向かって咆哮した。

「見るがいい!!」

「天さえも、我がために火を消し去るわ!!」

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