駄目魔導教授のアル中、俺の錬金術でしか治せない

リアム@ドイツ留学中

第1話 高機能な服を「魔物の皮」と勘違いされ、アヒル柄パンツ一丁で投獄される

「く、来るな……来るなぁぁぁ!!」

 真昼の静寂を切り裂くような、悲痛な叫び声が響き渡った。目の前の農婦はまるで狂ったように、泥まみれになりながら手足をばたつかせ、後ずさりしていく。その顔には、この世の終わりを見たかのような恐怖が張り付いていた。

「偽物だ……あれは偽物だべ!!」

「継ぎ目のない皮! や、奴が自分の皮を閉じたぁぁ!!」

「はぁ?」

 俺はその場で立ち尽くした。継ぎ目のない皮? 皮を閉じる? ……もしかして、俺の服のことを言ってるのか?

「助けてくれぇぇ!! 神官様ぁぁ!!」

 農婦は転がるように村へと走り出した。走りながらも、まるで地獄の使者に追われているかのような金切り声を上げ続ける。

「偽の皮を被った化け物が村に入っただぁぁ!! あの橙色の悪魔……白昼堂々、皮を閉じやがったぁぁ!!」

「……」

「いや……継ぎ目のない皮って何だよ」

「これはウィンドブレーカーだ! ポリエステルだ! 現代工業の結晶だぞ、クソババア!!」

 俺は必死に説明しようとした。だが、返ってきたのは、蜂の巣をつついたような村の騒乱と、遠くから聞こえる切迫した鐘の音だけだった。

 カン――カン――カン――!

 鐘の音が響く。非常に、極めてマズい予感が、俺の背筋を冷たく這い上がってきた。

(これ……逃げた方がよくね?)

 しかし……逃げる? どこへ? 肥溜め用のフォークや熊手を構えた屈強な男たちが、四方八方から湧いてきた。

 三分も経たなかった。俺は村の中央にある広場で、完全に包囲されていた。周囲からは、警戒と恐怖の視線が突き刺さる。

(落ち着け。木島蓮(きじま・れん)、深呼吸だ)

 俺は両手を挙げ、模範的な降伏のポーズをとった。これが全宇宙共通のボディランゲージであることを祈りながら。目の前に立っているのは、少しばかり上等な服を着た老人だ。手には木の杖を持ち、神官か村長といった風貌をしている。彼は濁った瞳で俺を睨みつけ、杖を持つ手を小刻みに震わせていた。

「あの……村の皆さん、ちょっと説明を聞いてくれませんかね?」

 俺は生唾を飲み込み、脳みそをフル回転させる。異世界転移しましたと正直に言う? ダメだ、狂人扱いされる。

 道に迷った旅人? この服装の説明がつかない。

「ピピッ――ピピッ――」

 言葉を選んでいる最中、腕のデジタル時計が前触れもなく鳴り響いた。アラームだ。俺は慌ててボタンを押し、音を止めた。

「えっと……今のは……」

「詠唱だ!!」

 神官の顔が、瞬時にどす黒い紫色に変わった。彼は俺を指差し、指先を激しく震わせる。

「あれは邪悪な黒魔術じゃ! あの音を触媒に、邪神と交信しておる!」

「早く止めろ!!」

「はぁ!? 呪いじゃねえよ! これカシオの電子時計だよ!」

「黙れ! 二度とその邪神の名を口にするな!!」

 カシオがいつから邪神になったんだよとツッコむ暇もなく、別の農夫が俺の首元を指差して叫んだ。

「見ろ! 奴が脱皮しようとしている!」

 全員の視線が、再び俺のウィンドブレーカーのファスナーに集中する。さっき通気性を良くするために、少し下げただけなんだが。

「あの牙……動いてるぞ! 噛み合わさっている!」

 衛兵らしき男が顔面蒼白になり、手にしたフォークをガチガチと鳴らす。

「あれは人間が作れる代物じゃねぇ! あの儀式を通じて人の皮を剥ごうとしているんだ! 脱皮が完了したら、真の姿が現れるぞ!!」

「いや、だから聞けって! これはYKKと言ってだな、工業規格(JIS)で……」

 ゴッ!

 説明は不要だったらしい。後頭部に強烈な衝撃が走った。たぶん鍬(くわ)か、あるいは石を詰めた袋だろう。視界が一瞬でブラックアウトする。

 意識が途切れる直前、最後に聞こえたのは神官のヒステリックな絶叫だった。

「急げ! 口を塞げ! その偽の皮を剥ぎ取れ! 変身を完了させるな!!」

***

 どれくらい時間が経っただろうか。俺は徐々に意識を取り戻した。

 最初に感じたのは、寒さだ。骨の髄まで染みるような寒さ。真冬にシャワーを浴びている最中、急に給湯器が壊れて冷水になった時のような、あの不条理な冷気が俺を襲った。

「……さっむ」

 呻きながら目を開ける。後頭部はまだズキズキと脈打って痛む。視界は薄暗く、空気には乾燥した藁(わら)の匂いと、そして……何とも言えない酸っぱい臭いが漂っていた。

 体を起こそうとして、手足に力が入らないことに気づく。待てよ。感触がおかしい。ウィンドブレーカーのツルツルした感触もなければ、ジーンズの締め付け感もない。

 なんだか……スースーする。

 俺は自分の体を見下ろした。柵の外から差し込む微かな松明の明かりを頼りに、俺は自分の現在の「尊容」を確認した。

 むき出しの胸板。むき出しの太もも。むき出しのスネ。全身で身につけているのは、鮮やかな黄色の、某有名キャラクターのアヒルがプリントされたボクサーパンツ一枚のみ。

「……」

「俺の服……俺の財布……俺のスマホ……」

 その瞬間、死への恐怖よりも先に、現代文明人としての羞恥心が崩壊した。剥かれた。この俺、木島蓮、二十一歳、理工学部のエリート学生が、今はアヒル柄のパンツ一丁で、屠殺(とさつ)前のチキンのようにガタガタ震えているのだ。

「ヒック……白くていいケツじゃのぅ……」

 突然、隣から呂律の回らない呟きが聞こえた。ビクッとして振り返る。この狭い牢屋(というか、干し草が積まれたただのボロ小屋)には、もう一人先客がいたらしい。

 薄汚い髭面のおっさんが、ボロボロの酒瓶を抱きしめながら干し草の山に埋もれ、トロンとした目で俺のパンツを眺めてニヤニヤしていた。

「ヘヘッ……黄色い……太陽神か……ヒック」

 同房者はアル中だった。素晴らしい。絶望指数+一だ。

「おい、起きろ! ここはどこだ?」

 俺は揺り起こそうとしたが、おっさんは寝返りを打ち、鼻歌交じりに調子外れの歌を口ずさみ始めた。

「あ~、村長夫人の~石臼のような大根足~♪」

 ダメだこいつ。俺が周囲の状況を確認して脱出路を探そうとしたその時、牢屋の外から話し声が聞こえてきた。

「これが、あの悪魔が持っていた道具か?」

 粗末な木の柵越しに外を覗く。皮の鎧を着た二人の牢番が少し離れた場所に座り込み、俺から没収した「戦利品」をいじくり回していた。

 そのうちの一人が手にしているのは、俺のライターだ。コンビニで百円で買った安物。透明なプラスチックの中に、液化ブタンが入っているやつだ。

「これを見ろよ」

 牢番の一人がライターを松明の火にかざし、驚愕の表情を浮かべた。

「この透明な石の中に、水が封印されてやがる! しかも、この水、揺れてやがるぞ!」

「それだけじゃねぇ」

 もう一人の牢番が身を乗り出し、ライターの着火スイッチを指差す。

「この黒い突起……どうやら何かの封印を解くスイッチのようだな」

 心臓が口から飛び出るかと思った。待て。それはブタンガスだぞ兄ちゃん! 火のそばでそんなもんいじるな!

「おい! それに触るな!」

 俺は柵にしがみついて叫んだ。

 だが、俺の警告は悪魔の脅しと受け取られたらしい。牢番Aは不敵な笑みを浮かべた。「なんだ? 封印を解かれるのが怖いのか?」

 そう言って、彼はそのスイッチを力任せに押し込んだ。

 カチッ。

 圧電素子が弾ける乾いた音。

 ボォォォッ!!

 青白い、一直線の火柱が噴き出した。

「うわあああああ!!」

 牢番は驚いて手を滑らせた。極度のパニック状態で、彼は「突然火を吹いて噛み付いてきた」その道具を放り投げた。

 何もない地面に投げていればよかったものを。だが、運命の女神というのは残酷だ。火が消えていないその百円ライターは、美しい放物線を描き、牢屋のすぐ横に積まれていた予備の「乾燥した干し草の山」の中に吸い込まれていった。

 しかも、あの安物はさっきの衝撃でガスノズルが固着したのか、火が消えていない。あるいは高温でプラスチックが溶けたか。

 ドカァァァァン!!

 反応する時間などなかった。火花一つで爆発しかねないほど乾燥した藁(わら)は、継続的な高温に晒され、瞬時に爆燃現象を引き起こした。

 続いて鈍い音が響く――ライターのガスタンクが熱で破裂したのだ。

 まばゆい火球が、牢屋の前で弾けた。

「悪魔の祟りじゃぁぁ!!」

「助けてくれぇ! 法具が爆発したぁ!!」

 二人の牢番は、さっきの農婦以上の悲鳴を上げ、転がるように逃げ去っていった。そのうちの一人が慌てすぎて、腰につけていた鍵束を「チャリン」と地面に落とした。

 牢屋の扉から、わずか一メートルの場所に。

 だが今、その一メートルの距離の間には、急速に広がる炎の壁が立ちはだかっていた。

「……冗談だろ」

 俺は一瞬で燃え広がる炎を見つめ、熱波を肌で感じた。振り返ると、アル中の同房者はまだ「村長夫人は最高じゃ」と寝言を言っている。

 そして自分の下半身を見下ろす。そこにあるのは、黄色いアヒルのパンツ一枚。

 何もしなければ、三分後には俺は北京ダックならぬ「木島ダック」のローストになるだろう。

「ふざけんな!! 逃げるなよ! 先に鍵を開けてけよ!!」

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