ドキュメント28
僕は中学生のとき、中南米のどこかのマフィアかヤクザかに拉致された。あるいはそれは泡沫なる夢なのかもしれないけど、少なくとも僕は否定できない。
そして最期、僕は台湾にあるファミリーマートでのアルバイト中に、僕とそっくりな高校生くらいの少年に金属バットで殴られて死んだらしい。
そういう話を聞かせてくれた盲目の爺さんは歯を磨かないらしく臭くて、僕は仕方なく顔を背けながら彼に訊ねた。
「ところで、僕はほんとに死んだんですか? ちょっと、なんというか、信じられないというか」
それに対し、彼は答えた。開いた口からは、半分以上崩れかけ黒ずんだ前歯が覗いていた。
「死んだよ。うん、間違いなくね。だっておいらも死んでんだもん」
「はっ?」
「だから、ここにいる奴はみんな死んでんだよ。おいらもお前も、あそこで遊んでる坊主どもも」
爺さんが枝みたいな指で差した先には、てるてる坊主みたいな無邪気な表情をした小学生か中学生くらいの子供たちが、ファミリーマートの駐車場に停まっている白いセダンに向かって石を投げて遊んでいた。
僕は「ファミリーマートがあるってことは、この場所は台湾ですか? そういえば、そんな気がするんですけど」と云った。
彼は「どこにでもあるだろ」と云って、そういやお前、名前は? と首を曲げた。ああ僕の名前は……と鼻をつまみながら答えようとしたところで、ファミリーマートのほうからとんでもない速度で飛んできた拳大の石が僕の右頬に直撃した。
「やいやい! ばーかばーか!」と、十三歳くらいの少年がひたすら垂直にジャンプを繰り返しながら嘲笑った。
僕は怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤に染めていきつつ、しかし暴力で応戦しようとはしなかった。そうすべきだと思ったから。
「やり返さないのか?」
そう爺さんは云ったけど、僕は首を振った。目が見えないけど見えるらしい彼は、フランスの指揮者みたいに両手をリズム良く動かし奇妙な歌を口ずさんだ。
その内容をここに記述することは叶わないけど、どうか許してほしい。
すると、セダンのフロントガラスをガンガンガンガン! と石で叩いていた痩せた黒髪の少年も一緒に歌い出し、その隣で疲れきった労働者みたいに顔を俯けていた小柄な少年も歌い出した。
でも僕は歌わなかった。というか知らないんだから歌えるわけもないし。
内心疎外感に浸りながらも平気なフリをしていた僕を置いてけぼりにして爺さんは、どこかから取り出したタンバリンを軽快に叩いて歩き出し、こちらに走り寄ってきた少年たちも彼の後ろについて歩く。
こいつらはみんな同じだと思った。が、それでも僕は違うと思った。
手持ち無沙汰に口をボケッと開けて空想に意識をもってかれていると、知らない禿げたおじさんが音もなく擦り寄ってきて囁いた。
「君、ねえ君。君はもしかして、自分のことを特別な人間だとか思ってない? もし思ってるんなら思い上がりだよ? そこんところ分かってるよね?」
「は? うるせえよハゲ。つーか誰やお前」
「口悪いな君」とおじさんは云った。
「そうだよー。昔っからそうなんだ」
僕は腹を立て、腹を立てた自分に確かな虚しさを感じていた。おじさんの服装はあまりにもみすぼらしくて、もはや憐れみすら覚えられないくらい僕は苦しかった。
言葉では、何も語れない。
おじさんは後退した額の脂汗を拭い、云った。今度は存外大きな声だった。
「君さあ! ハゲにならなんでも云っていいとか思ってない? 思ってるよねえ!」
おじさんはね、そんな舐めたガキが大嫌いなんだよ! と叫び、呆然としていた僕の胸ぐらをガッと掴んで激しく揺らした。
その揺らし方は確実に、鳴り響く歌声に合わせられていた。
そして音楽が鳴り終えるまでそれは終わらず、きっと僕の脳みそは完璧にシェイクされて雪の降り積もったホールケーキみたいにグチャグチャだろうと思った。
鉛色にも紫色にも見えるどんよりとした空に目を瞬かせていると、いきなり降ってきた雷にファミリーマートの入り口から出てきた女の人が打たれた。
僕と同じくアルバイトに明け暮れる高校生か大学生なんだと思ったから、溢れる不可思議な快感と不快感に苛まれながらも立ち上がった僕は、よろよろとゾンビ映画のゾンビみたいにおぼつかない足取りで歩んだ。
近づけば近づくほどに、その女の人の精巧な人形じみた人工的な美貌に僕は惹かれていった。
でも少しびっくりしたのは、彼女の着ていた制服がファミリーマートじゃなくてセブンイレブンのデザインだったことで、同じく気づいたらしいおじさんは何も云わず背を向け嗚咽し始め、その嗚咽はあの奇妙な歌そっくりだった。
僕は言葉を失った。
気絶しているらしい女の人を囲むように集まった爺さんと少年たちは、顔と顔とを突き合わせるようにして口々にぶつぶつ云い合っているように見えたけど、具体的な内容は僕には聴き取れなかった。
僕は気がつく。背を向けているおじさんの汚い背中に、柄が蛇の鱗みたいな黒鉄のペティナイフが刺さっている。
どうやら僕以外、誰も気がついていないみたいだから躊躇なく引き抜いた。おじさんは世にも悍ましい呪詛じみた叫びを上げそうに見えたから僕はその口を手で塞ぎ、なおも噛みついてくるからナイフで眼球をくり抜こうと突き立てると静かになった。
ため息を吐く。
もしかしたら脳に刃が到達してしまったのかもしれないけどどうでもよくて、僕にとってより大事なのは女の人のことだった。
ゼルリゼルリと慎重に目ん玉をくり抜いた僕は、一息吐く暇もなく次の作業へ移る。
「痛い? けど我慢だよー」と優しく禿頭を撫でて、生後四ヶ月の赤ん坊みたいに嫌がるおじさんの右耳にキスをした。
チュッチュッと、かすかに鳴らした途端におじさんは暴れそうになったから僕は慌てて耳を削いだ。
まずは右だけ。うるさいのは嫌いだから、運良くおじさんの汚れたズボンの右ポケットに入っていたガムテープを口にぎっちり貼りつけ、ナイフをひとまず心臓を避けて胸に刺した。
そしてすぐさま抜いて刺し抜いて刺し、抜き刺し抜き刺しを二十三回繰り返すと流石に疲れたのか寝息を立て始めたおじさんに、僕は少なからず驚愕したけど顔には出さない。
左耳を削いだ、ゆっくりと落ち着いて。とりあえず僕も疲れたから眠ろうと目を閉じかけたところで、僕の意志に関係なく、おじさんの冷凍庫に二年間保存したままの腐った豚肉みたいなぶよっとした下顎に僕の口は歯を立て、グジャリグジャリとちぎった肉を咀嚼し出した。
しばらく噛んで食って噛んで食ってを繰り返した。それから、僕は吐いた。
僕は獣だ。獣のようだ? いや、違う。僕は穢らわしい獣そのものだ。そんな嫌悪と忌避が僕を目覚めさせた。
少し……頭に巻いていたねじが緩んだようだった。そうとしか思えなかった。
大丈夫大丈夫だと、自分を慰めているうちに涙が溢れてくる。ぼたぼたと水の粒は大仰に幾度も幾度も零れ落ち、地面をじんわりと濡らした。
しかしながら、どこまでいっても僕は僕でしかない気がしてくる。そうでなくては、僕は前後不覚になるまで酒に酔う竜と同じじゃないか!
ガチガチと打ち合った歯の音は、僕の意のままに鳴って響いて新しい音楽を奏でた。
僕にしか聴こえないはずの音を聴きつけた一人の少年は、僕の顔ギリギリまで顔を近づけてきて目を細めて云った。
「てめえ、なんだ……?」
冷静さを取り戻した僕は言葉を返す。
「なんでもいいじゃん。君が君であるように、僕だっておんなじことだよ」
彼は、いかにも幸薄そうな小さな少年だった。
「あの爺さんに、てめえの名前を教えんじゃねーぞ」
「分かったよ」と僕は答え、頷いた。
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