ドキュメント23
落ち着いて男の話を聞くと、男はいつからか分からないが定期的に汗の量が急増する病に冒されているらしい。
そして、甘い。その汗は甘かった。
テンションがまた上がっちゃった俺は、許可も得ずにベロベロと男の首筋を舐めた。
──抵抗しないの? 嫌じゃないの? 嫌だっていうんならやめるよ?
俺は訊いたけれど、何を云われてもやめるつもりはゼロだった。
抱きつくような形で、俺は男の上半身に覆い被さるようにして舐めている。
男だ男。けれど、俺は女の子と話すのは完璧に不可能だ……いや。不可能かどうかは自分でも不明だし、とりあえず涙袋占いを行うことにした。
そこの凡々アパートの平たい屋根に留まっている鳩を呼ぶために口笛を吹くと、その子はサッと飛び立ち、俺を祝福するかのように頭上でクルンと旋回を始めた。
クルクルと回る。そんな様子をじっと見上げていると、いつも糞が落ちてこないかヒヤヒヤしてしまう。
祈るために手を組む。プクリと適切に膨らんだ涙袋は、俺の意志に関係なく蠢く。
──まず離れろ。そう男は云った。
──ごめんけど、無理だわ。俺は動けないんだ。
──嘘だろ?
──あるいは真実かもしれない。
──
──後悔した?
俺は訊いた。どんな答えが返ってきても、俺は何一つ気にしないよ。
少し待っても返って来ず、俺はほんのちょっとだけ落胆する。茶碗の角が欠けたような喪失が、わずかに俺の心を曇らせる。
なんとなく、大人しく男から離れた。
仕組みのよく分からない神経やらなんやらを通して現れる世界の色彩は壊れている……ような気がしている。
俺だけが? 壊れ狂える世は我が脳髄なり。
可愛い鳩の可愛い羽音は俺を緊張させ、元気で明るい太陽のオレンジの光は絡んだ糸をササッと解いてくれるだろう。そういう願い。
そして突然、グニャグニャなっていた袋からプチッと鳴って溢れてくる──何が?
ぁあ。精液だ! あぁは。いや冗談。
そうに決まっているだろうけれど、全部がひっくり返る可能性は決して否定できやしないと思う。次々に落ちていく。
あはは、あはは、あははは、と調整に失敗した暗号機にも似た騒音が口から漏れた。
俺からスッと自然な感じに距離を取った男は、ミルクでも飲みすぎたか? と怪訝な顔をしながら云った。
俺は真面目に答えようかふざけようか迷いに迷い、結果として真面目なほうを選んだ。
──精液かも。
──精液ぃ……?
──うん。
──……ふむ。まあ、仮にそうだとして、どんなルールの下でお前は動いているんだ?
──いんや。俺が考えるにねえ、これは俺のというよりは世界のルールのほうに問題があるんじゃないかなあ?
不適切で適当にすぎるかもしれない。しかし、最初にせよ最後にせよ、世界も俺もどんな奴らもそれぞれ同じようで同じじゃないルールに従っている。
うとうと思考しつつ、男の臭いがこびりついたハンカチで俺はすべてを拭き取った。それからポイッとハンカチを返そうとすると、雑に扱うなよ、と文句を零しながらも普通に受け取った。
──治るのか?
男の声は特徴があるようにもないようにも聴こえた。が、一番最初の印象なんてもう覚えていない。俺は答える。
──たぶんな。
その瞬間に、回転しまくっていた上の子は糞の代わりとばかりに綺麗で透き通った一枚の羽根を落とした。
金箔より銀箔より、ずっと美しい。
あるいは、緑にもブルーにもパープルにも臙脂色にも俺には見える、見えてしまった。
意外にも繊細な手つきで羽根を拾った男は、じゃあ占うか、と独り言みたいに云った。
──知ってんの?
俺は震えていた。走りすぎた疲労はだいたい回復していたけれども、心身はガッチリと繋がっているんだから。
──お前の目を見て分かった。
──目ぇ? ……俺の瞳の価値はな、出会ったばかりの野郎には理解できねえよ。
──誰もが孤独な魂。果てしない海のそのまた果てで通じ合った二つの魂の結びつきは強い。だが、俺はいつまでも探している、運命とかいうやつを。
男は何も云わなかった。
俺の高尚かつ超越的な言葉をあっさり無視で、男は軽く手に乗せていた羽根を、アスファルトの上でだらしなく寝ていた謎の白い液体の群れに突っ込んだ。
根元までずっぽりと濡れて淫靡な雰囲気を醸すそれを、グイグイと無理矢理俺の大事な袋の中に押し込んだ。
どこも折れたりしないだろうが、痛いような気持ちいいような感覚に襲われてゾクリとする。
──痛い! ほんとに痛いよ〜。
──…………、痛くない。
──お前は痛くないやろ、そりゃあ……。と俺は云って、左目の下をさすさす触る。
さすさすと丁寧にね。
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