ドキュメント16

 足をもがれたタガメのエキスたっぷりのサイダーはどこまでも透明で、しかし少年はそれを口に含んで飲み下したいとは口が裂けても云えない。

 大人になれば分かるだろう。なんて切実な訴えがあろうとも、彼は永久に子供のままでいたいと願っていたし、その願いが叶うのか叶わないのかは神のみぞ知ると知っている。


 ノックは不穏なカウントダウン。

 笑えてくる。朝だからこそ夢精してしまうのだから、宵は眠らず夢想に耽るべきなんだっておいらは信じてる。


 帰れよ帰れ、星の夢よ。

 哀しい星の下に産まれ、

 流されるままに生きよ。

 青青青青青青プラス青。

 無限連なる 世界で ねぇ♪

 世界の涯てまで ご一緒に♡


「冗談じゃねえ!」と彼は中心なる臍オムパロスで愛を叫ぶように云った。「文化の中心はまさにおいらなのさ! カルチャー即ち世界イコールおいらなのさ!」とは云うものの、どう見ても気狂いじみているけれども、思春期がもたらした過剰なる自意識はとどまる場を知らず、君と行けるとこまで行きたいんだよ……と濡れた瞳で云う。

「か、か、か、かわいそうな、こ、こども」

「お母さん……」

「ママ〜! 良かったねえ! おいらさ、なんだか泣けてくるよ〜!」

「何なの……」

 少女の顔は困惑の色を強めるばかり。


 そうしておいらは合法的にアジフライをご馳走になることになったから、号泣と爆笑止まらず、まるで進化論窮まる世界の大穴を偶然にも見つけてしまったみたいに温かい感動に包まれる。きっと温暖化もいずれ留まるでしょう。


 文化の構造を彼は知らないが、彼にとってはどれほど崇高で高位な魔法も無為涅槃の性質を帯びているらしく、少女はさらに困惑を深める。

 彼女は云った。

「そんな話、どうでもいいから。ぜんぜん好みじゃないの。それよりも──」

「──死と愛について、のほうがお好みかしらん?」と彼は答えた。そして続ける。

「おいらはね。別に同性愛者とかではまったくないんだけど……、男の子の指とかあれとかを舐め舐めするのがちょっと好きになってる。いや、気持ち悪がられても当然だと思うけど、勝手にすりゃいいけどね、おいらは好きになりかけてるってわけさ!」

 少年の声は次第に熱を纏い始める。その鼻息は荒くなり、ふんすふんすと蒸気機関車の如く処女雪を跡形なく溶かすように母親には思えた。

 彼女は云う。

「ところで、アジフライは如何です」

 彼は即答する。

「美味い美味い!」

 彼は精神的に不安定であったので、その声は緊張と恥辱で少し泡立っていた。


 それは良かったです、と母親は云った。云ったきり喋ることをやめ、黙々と箸を動かす。裂かれた腹からは、内臓の代わりとばかりに一冊の本がチラチラと表紙を覗かせている。

 少年は最初、『創世記』か講談社ノベルスかと思ったが、その正体は赤ん坊である。というのは冗談であり、その正体は「今朝食べたラーメンの残滓です」らしい。

「ほんとにぃ? めちゃくちゃに嘘くさいんだけど……。でもおいらが思うに、朝ラーメンする女の人は性欲とか食欲とか睡眠欲とか支配欲とかがめちゃくちゃ強いとかいう噂だか研究だかを聞いたことがあるような……」

 そんな気がしてるんだよ、と彼は云った。

「あっそういえば、君らのお名前はなんていうの?」

 あっでも待ってよちょっと! と少年はけたたましく叫び声を上げる。


 おいらは当てる遊びをする。お名前当てゲームしよ。良いでしょ? と訊く。母親はあっさりと頷いたけど、娘さんは「赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん────」と壊れちゃったみたいに赤赤連呼してて怖い。

 君怖いよぉ……と怯えると、ママさんはごめんなさいね、この子はちょっとだけ、本当に少しだけ頭のネジが緩んでいるものですから……と、ごく真面目な表情で云うから思わず笑っちゃう。


「あは。あは、あはは」とおいら。

「赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん。お母さんのお腹にいっぱいいるの、赤ちゃん。ねえだから早く。早くいいから早く、赤ちゃん……を、……取り出して取り出して可哀想だから…………。ねえねえねえねえ──」

「おいら当てちゃうよ、ママさんの名前。全然良いよね?」

「……ええ。どうぞご勝手に」

「やったね♡ てか興奮してきたなぁ!」


 可愛い少女よ。おいらは君の耳にそっとそよ風みたいに囁いてやりたい。すすすっと、おいらは掠れ声で囁こうと近寄る。

「──あ、赤ちゃん赤ちゃん。お母さんのお腹が大きいのはそのせいなのよ。誰かが孕ませたの。新しい命が芽生えることの責任を、一体誰が取るというの? ねえねえ。ウシガエルみたいな臭いがして苦しいの。助けてよ、助けてよ──」


 彼がどうして、名前当てゲームを行おうとしたのかは不明であるが、イース人にもその理由を解き明かすことは困難を極めるであろう。

「マイフェイヴァリットソングッ!」

「?」

 中年の女は首を傾げる。そして、発火。

 それは、少女のせい。

 作者が考えるに、ネグレクトを幾年も受け続けた少女というのは総じて愚かしく、だが兎にも角にも語ろう──私のラブストーリーを。と一度考えはしたものの、それを語るには人生は長すぎるので、そんなことより好き勝手に生きていたいと願ってしまうので、私はチキンフィッシュバーガーを食べて一旦満足した腹をさすりながら寝室へと向かう。


 少年は知らない。少女の名前を。

 少女と少年の出逢いはラブストーリーの始まりであるべきであろうが、そこに母親が介入するとなるとやや醜悪なものとなる。

 彼女は腹痛がするので、と清潔なトイレへと足を向ける。

 立ち上がろうとしたところで軽い眩暈に襲われ、咄嗟に彼は彼女の手を取り支えた。そして気づく。


『おいらは……とっくに救われていた』

『おいらは……冬であれ秋であれ考えねばならない──女の子にモテるための必勝法を』

『光の道を……ただまっすぐ進まねばならない』

『そもそも……確率という考え方が存在する確率について考える必要があるのでは?』

「……」


 おいらはあまりにも美しい景色に時が止まったみたいに感じ、ママさんの長い睫毛に隠された紫金の、宝石みたいな両瞳にどこまで魅了された。

 いやぁ。

 本当に停まってるみたいだ。タクシーが違法駐車されてるのと同じさ。

 彼女の手のひらはもっちりと柔っこく、おいらの舌と喉と胃腸はきなこ餅を所望している!

 頭から離れないし、頭が芯まで熱く燃えてるみたいにしかも心臓も熱いよ……♡




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