ドキュメント12

 昔は聴かなかった歌だって、歳を重ねれば聴くようになるように、僕は大人への階段を着実に(あるいは危なげなく)上っている。のぼせ上がったくだらぬ夢を描くうち、どれが虚構でどれが真実事実なのか明らかでなくなって、僕はやがてひとりの女の子を愛するようになる。

 彼女は僕の唇を奪った日から、まるで覚えのない夢を毎晩見るようになる。

 どんな意味があるのか。あるいは意味なんてなくてただ、目に映り記憶に灼きついたあらゆる景色が整理されていく過程で弾き出された夢想にすぎないのか。


「ぜんぶが夢だなんて……」


 火傷した小指を口に含み、彼女──涅槃ねはんは微笑んだ。

 ねえ良羽よはね、と呼ぶ声は鈴よりずっと綺麗な音を奏で、その音に飲み込まれるさまはまるで天上に打ち上げられたイルカみたいだと思った。完全にそう信じてしまうくらいに、彼女から溢れる魅力は常軌を逸していた……僕にとってはそうだった。

 涅槃はアルバイトをしている。けど、その内容は知らない。お客にエロい夢を見せる仕事でなければいいけど。


「ありえんよね……」

「うん? なにか云った?」

「何も」と僕は首を振る。

「最近の良羽、なにかおかしい気がする」

「……おかしい? って……?」

「いつものことやん」

「いつもおかしいはずないよ。いつもはちゃんとしてるよ、良羽は」

「知らないけど、涅槃がそう云うなら……」


 ちゅぱちゅぱと、彼女は妹の指を丁寧に舐っている。僕のほっそりとした指であれば、もっと素晴らしくそして扇情的に舐め舐めしてくれるに違いない。

 彼女の妹のショートヘアはどこまでも黒く、どこか人形じみていて、僕は少し気に入らない。薄い胸は僕と同じで、むしろ僕の妹かと思えるくらい顔も似ている。



 そして夜。その日の夜のこと。僕は彼女に指を舐めるよう頼み込んだけど、絶対に嫌と云って僕の部屋から出ていこうとするから殺してしまった。老婆の頭をかち割るほうがずっとすっきりできるくらい嫌な感触が手に残り、僕はたぶん君を愛していた……とかふざけてみるけどそれは真実じみていて、やたらと両方の眼球が濡れて濡れて乾きそうになかったから僕は、玄関で靴を履いてドアを開く。

 外の空気は冷たく、誰もが寝静まる夜だと思った。ファミリーマートを訪れた次の日にポストに入っていたナイフで僕は彼女の頭の中をほじくり、そのときはそうしなければならないと固く信じていたけど、それは全然正しくなかった。


 後悔はない。けども僕は泣いている。夢の終わりを夢見たあの日みたいに、僕は海辺に寝転がる黄色い砂のような気持ちでいっぱい。いっぱいいっぱいで何も考えられないまま殺してしまって、でも今は夜風が僕を慰めてくれる。

 あまりにも身勝手で、ついオナニーしたくなってしまう。孤独の海のような気分で電話をかけると、妹の猫子ねここが出る。


「……誰? 夜中にかけんでよ。迷惑やん」

「あのね、よく聴いて」と僕は云った。

「はあ? てかお前かよ。何の用?」

「お前って云うなよ。死にたい?」

 そう呟く僕は震えていて、実はさ、と云う。

「切るわ。夜中やし」

「待ってよそんな遅くないし──」

「駄目や。切る〜」


 泣き出しそうな月はまんまるで明るく、僕はさらに慰められる。そうだ、自慰。自慰をしなければならない。

 カントだってそう僕に囁くに決まっているし、そうであるならすべてに従え。己の欲望に従うことがもっとも現実的で幻想的、つまり……そういうことだった。

 猫子を思い浮かべながら、僕は偶然目についたファミリーマートの個室トイレで自慰に耽る。

 性的欲望はどんな欲望よりも強大かつ重要であり(そう僕は確信している)、どれほど高尚な人間であれ逃れ得ぬ欲求の一つである。


 シコシコシーズン♪ シコシーズン♪

 ズンドコドコドコ♪ シコシーズン♪

 あっちいっても こっちへいっても

 ズンドコドコドコ♪ シコシーズン!

 ンナ──────!!(熱唱)


 事を終えた僕は安らいでいて、今眠ってしまえばどんなに幸福か、想像するまでもなかった。個室から出て手を入念に洗っていると、控えめなノックが耳を泳ぐ。

 ドアに目を向ける。開けて入ってきたのは涅槃で、やっぱりここにいた、と彼女は嬉しそうに唇の端を吊り上げた。やはり不幸は僕を離してくれないのだと思った。




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